トンボは見ている

飲みによく行く。色んな人と飲む。みんないろんな事考えながら生きていることがわかる。

大きい、小さい、きれい、汚い、高い、安い、遠い、近い、熱い、冷たい、薄い、濃ゆい、硬い、柔らかい

これらのような述語を人に向かって放つと副産物としての自己分析が成立するのではないかと最近思っている。

波多江は大きいの場合その発言者は波多江より小さいという自認があることが証明される。

この反射証明作用を複眼的に作り上げることで自分が自分のことをどう思っているのかの理解が深まるのではないか、と思うわけです。




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