代わりに?序文終わりを見据えない壁当て、かわいそうとも思わない

 何を書きたかったのかと、何を伝えたいのかは必ずしも一致するわけではなく、何を言いたいのか、とも一致しない。
それらが直線的につながっているのであれば芸術は必要とされない。寂しいときに寂しいというだけの簡単なコミュニケーションで世界は進むべきである。
 それでは、言葉にならない何かを言葉以外の方法で伝えるものが芸術なのか。そう言った側面はあるだろうがすべてではない
 言葉にならない何かを内包していなければ芸術ではないのか、しらない
 
言葉にならないを考える。
言葉にならないを言い換えることで言葉にならないを削りだす。
言葉にできない。それは言葉にすることがはばかられているからなのか、それに対応した言葉が自分の中にないからなのか
言葉にならない、言葉にするには小さすぎる心の動きのことを言っているのか、言葉になりえるほどの強度とおおきさに満たない何かなのか、
 言葉に対応する感情を認知できていないのか、不愉快だったり、何か琴線に触れているが自分でそれを表面にすくいあげられないものなのか







このくらい距離を離してしたい話がある。
お笑いのそれのかたちと大きさについて
‘あるある‘は、自分では言語化できなかった、または認知の中にあったが表面化させることができなかった事象ではないか。
ツッコミも同様に、お客さんに言語化しにくいしこりをボケで作って、それをつぶす行為ではないか
ボケはささくれのようにきになる何かを、触るのをはばかられるような邪魔な存在に徹底すればいいのではないか
言いたかったこと、言おうと思ったこと、思いつかなかったこと、言われて気づくこと、その近くに何かありそう、ダウジングだ!ダウジングだ!急げ!金脈は近い!手を動かせ!ほらいいって今裾が汚れるとかは捲っときゃいいやんか

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