こんな時代やから

 Twitterインスタグラム日常会話に封建的な雰囲気は流れておらず、匿名で誰もが誰かを口撃できる時代にフィットしたお笑い、芸人とは昔とは変わっているのではないのかい
 ピエロの代名詞アルレッキーノが必要とされる場所はカーニバル、身分を忘れて豊作を喜び皆で盛り上がるための装飾品、生と死をぼんやりとにじませて二項同体を成立させた
 ジョークも公には話せない何かをせめて笑い話にしようと、そんな時代の人たちが作ったカルチャーの最先端は何をすればいいのだろう。
 ラバーガールのラーメンユーチューバー、みたいなネタをみてふと思った。どっちなのか。本来馬鹿にすることをはばかられるような存在にユーチューバーは成り上がったのか、はたまた笑いものにする素材の幅はすでに無選別になっているのか。
 笑っちゃダメなものが増える一方で、笑っていいものも増えているのを肌で感じる。一見変なことを言っているように聞こえるかもしれないが、言いたいのは笑いというフィルターを通したときに透明になっていたものが減ってきたともいえる。
 ゆっくり歩くだけの人を面白いと思うことができる。そう思う。みんなじゃないかもしれんけど、もう正直全部面白くないし全部面白い。
 この先に行くには何を笑えばいいのか、まったくわからない。危ないとこ触るのはもうやられとるし、できないを笑うのも、変えられないを笑うのも、失敗を、悪を、笑いつくしかけ始めた今、何で笑えるか
 無邪気か?奇跡か?温度か?大きさか?まだ名前がついていない何かがあることを祈っている。考えてはない、ただ祈っている。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?