論理にまつわるエトセトラ 〜僕が大学時代に討論で一度も勝てなかった男の話〜
はじめに 「論理的」とは何か。
塾でアルバイトをしていた頃、生徒たちに「論理的な文章を書くこと」と指導してきた。すると大半の生徒は「論理的って何ですか?」と訊く。僕はこう説明していた。
中学生には「周りから、それはおかしくない? それは無理があるんじゃない? と突っ込まれないこと。筋が通っていること。」
高校生には「因果関係(原因と結果の繋がり)がしっかりしていて、無理がないこと。」
大学時代に受講した、英語で討論する授業の話
大学3年生の秋、僕は英会話の授業を受講した。
てっきりネイティブ講師と話せるものだと思っていたが、実際は同レベルの英語力を持つ学生と英語で討論するというものだった。
討論のテーマはさほど難解でなく、ある程度の知識を持った状態で臨めた。内容は例えば「多くの外国人旅行客を日本に呼ぶには何を変えていく必要があるか。社会システムの観点から論じ、討論せよ」とか、そんな感じ。
そこで、僕は関西出身のNという学生とペアになった。いかにも切れ者といった風貌だが、いつもニコニコしていて人柄も良く、相手を気遣える男だったため、授業自体は非常に楽しかった。
しかし同時にこの授業は、屈辱の時間でもあった。
何を隠そう、僕は討論で彼に一度も勝てなかった。毎回論破されたのだ。英語で。
何を言っても論理的に反論される。さすがにこの主張には反論できないだろう笑と思っていたら、反論される。それも屁理屈ではなく筋が通った反論だ。逆に彼の主張には、屁理屈をこねる隙すら無かった。
その背景に恐るべき頭の回転の速さ、論理的思考力があり、さらに大前提として驚異的な知識量があるだろうことはすぐにわかった。
挙げ句の果てに、Nは僕がどのような理屈で主張を組み立てるかを先読みし、僕が話している途中に「Maybe you would say ~~~~~~~~~ , isn’t it? I knew it. I expected you should say so someday. I think such a logic has some problems…」とか言い出す始末だった。
(日本語訳) 「多分君は〜と言うつもりだろう? やっぱりね。いつか君はそう言うだろうなと思ってた。思うに、その理屈には問題点があってね…」
何度かこの予測が外れていたこともあり、その時は「No~ this time you took a mistake!」(日本語訳)「違うよ〜今回は君が間違えたね!」といって2人で笑いあったなぁ。(ちょっとあいみょんっぽい語尾)
正直、敵わないな、と感じた。
毎回のように
「OK, you are winner.」と言って彼の満足げな表情を見ていたのを思い出す。
もし僕が米津玄師なら「アイムアルーザー どうせだったら遠吠えだっていいだろう」と歌ったかもしれない。知らんけど。
ともかく、人生で初めて、心から敗北を認めた瞬間だった。自信のあるはずの論理力でボロ負けしたのだ。
上には上がいることくらい知っていたが、東大の友人が何人かおり、高校時代から彼らと互角の討論をしてきた分、ここまで手も足も出ない同年代の人間に出会ったのは初めてで、ショックを受けた。
日本代表がブラジル代表と対戦するたびに感じる、あの「絶対勝てないわコレ」感に近かった。
Nの正体
ところで、1月の最終授業の後、2人とも次の予定がなかったので一緒に高田馬場まで歩いた。そこで僕は彼に言った。
「討論強いね。勝てる気がしなかったわ〜」
彼は関西弁で答えた。
「うーん、実は僕なぁ、弁論サークルみたいなところで代表者やってんねん。笑笑」
…なるほど。そりゃ敵わないわけだ。情けない話だが、少し気が楽になったことは認めよう。
ボロ負けした相手が実はめちゃくちゃ強敵だったとわかった時の、少し悔しさが入り混じった安堵感。
彼の弁論法はサッカーにも通用する
そんなNは、自分の論理の型を持ち、相手の型を読み、それに合わせて柔軟にやり方を変える男だった。
これはサッカーにも当てはまるような気がする。
現代サッカーでは対戦相手に合わせて試合途中からでも戦い方を変えなければならない。理論だけでは戦えないのだ。
彼はどちらも天才的に巧みだった。きっとサッカーに理解があれば良い監督になっていただろうな、と思ってしまったのが懐かしい。
Nが語った「討論したくない人間」
路駐がやたらと多い冬の新宿の空の下、彼がペラペラと語ったことの中に、印象深いものがある。(僕は自分がどう相槌を打ったかあまり覚えていないが、うろ覚えの範疇で一応会話形式にしておく。)
N「僕なぁ、討論でやたらと感情論で反論してくる人がおるやんか、ああいうのが一番嫌やねん。ザ・反知性主義というか。」
蓮「そうなの?俺の周りにはあんまりいないなぁ… どんな感じ?」
N「自分が論破されたことに気づけないほどのバカよ。酷いもんよ〜。だって論破して勝ったと思っても噛み付いてくるんやから。ある意味無敵やけど、惨めなもんよな。」
蓮「それはヤバイね。まあ俺も時々論破されたことに気づけないことはあるけど。さすがに感情論で噛みつきはしないなぁ… うん。多分。」
N「多少なりとも論理的に考えられる人なら「自分の論理力が足りないな、もっと鍛えなきゃな」と思えるんやろうけど、それができない輩はまず自分の論理力の無さに気づけないから、延々感情論で噛み付いてくるんや。本当に厄介の極みやで。うちの大学にはさすがにおらんけど。」
蓮「さすがにね。酒に酔ってたら話は別だけどね笑」
(中略)
N「あと、そこまでアホやなくても、論理で勝てない思たら感情論でしがみつこうとしてくる、中途半端に賢い奴も厄介な。」
蓮「別に感情論が完全悪とは思わないけどなー。感情論抜きで物事を考えるとトンチンカンになることもあるとは思う。なにせ人はある程度感情で動くからね。」
N「それはそうよ。感情論をガン無視するのは経済学でも時代遅れなんやっけ? そりゃあ人間なんやから感情論も大事だわな。」
N「ただな、だからといって感情論を認めてまうと、論理なんてハナから不要になると思うんや。それって反知性主義やん。蓮くんはそう思わん?そんなんじゃバカな国になるで〜ホンマ。」
蓮「反知性主義は俺も嫌だな。もう古いよね。ところで昼どうする? 馬場の近くのサイゼでも行く?」 (これだけはハッキリと覚えている)
当時、僕の周りには感情論で反論してくるような人間がいなかったので、その後も「へぇーそうなんだ」「頭が良すぎると大変だなあ笑」とか笑いながら返していた覚えがある。
だが、今ではよくわかる。
なぜかはツイッターを見ていればわかるだろう。
論理的意見と感情論についての話
もちろん、これはNも賛同したことだが、感情論を完全に排除するのは危険だ。時に論理よりも感情の方が正しいことがあるのも事実だし、それに、大衆は論理ではなく感情で動く性質がある。このせいで経済学の理論が上手くいかないとも言われている。
(上から目線で書いている僕も、理屈では"親善試合の結果で一喜一憂するのは愚かだ"とわかっていても、やはり感情は暗くなる。所詮、人間はそういうものだ)
だが、感情論主体に物事を考えるのは間違いだろう。それで良い結果につながることなどない。日本社会の有様を見ていればわかる。根拠も意味もない感覚的な発想やマナーや慣習に一般市民が悩み、近年になってようやく、データを用いて論理的・合理的に考える欧米のやり方を取り入れようと必死になっている。これまでどれだけの損失をしてきたか、考えたくもない。
サッカー界における論理的解説
論理的に、システマチックにサッカーを語れる戸田和幸氏のような解説者が、徐々に力を持ち始めている。(無論いまだに感情論しか語れない解説者もいる。一応彼らがネタにされる時代になりつつあるが、一方でそんな人間がNHKのメイン解説者だったり、JFAの上の方にいたりするのも事実。そんな人間たちが論理バリバリの欧米人と上手くやっていける・話ができるわけがない。だからJFAはオールジャパンにこだわっているのではないかと思ったりする。)
話が脱線したが、僕が言いたいのは、
せめて、Nの言うところの「論理で勝てないな思たら感情論でしがみつこうとしてくる、中途半端に賢い奴」くらいにはなっておきたいよね、ということ。僕はもう、この水準には到達していると思う。なにせ初めから感情論で考えるようなことはしていないので。ただ、これを超えているかはわからない。()
Nも、僕が
1.討論でやたらと感情論で反論してくる、自分が論破されたことに気づけないほどのバカ
2.論理で勝てない思たら感情論でしがみつこうとしてくる、中途半端に賢い奴
3.感情論を使わず、論理でのみ勝負する人
なのかは言わなかった。僕が「感情論も時には必要では?」と言ったことも影響しているのかもしれない。
また話が脱線したが、もう一つ言いたいのは、「自分の論理力が足りないな、もっと鍛えなきゃな」と、常に謙虚に考え、努力しよう。ということ。
何度も書いたが、感情論が必要な時もある。論理だけで考えるとへんてこりんな結論に至ってしまうこともあり、そう言う時は「なんとなく〜」「〜が良さそう」「ワイの経験に基けば〜」といった発想に救われることも多い。
だが、ベースは論理で行った方がいい。論理力を鍛えておいて損はない。あまり固執すると僕のように「日常会話まで論理的でイライラする」と女性から言われてしまうリスクもあるので注意が必要だが、だからといって「感情論でいいやー」ではいけないのだ。
真面目な話になった際に論理的に話せない人は、(相手がシビアな人間だと)相手にすらされない。さらに、論理的に物事を語れない人は、大学のレポートや試験で苦労する。(まあ大半の文系学部なら甘く見てもらえるだろうけど。笑)
上には上がいる。僕も、どれだけ努力してもNを超えられる自信はない。
だが、少なくとも、努力し、論理的に物事を考えようと意識していれば、感情論主体で物事を考えるあまり時代に合わないトンチンカンなことを言い出してしまう、近年の日本によく見られる見苦しい人間にはならなくて済むはずだ。
All opinions are not equal. Some are a very great deal more robust, sophisticated and well supported in logic and argument than others.
(日本語訳) 全ての意見が平等ではない。いくつかの意見は論理と論拠に関して他に比べてはるかに頑丈で、洗練されており、はっきりとした根拠がある。
ドウグラス・アダムス (イギリスの脚本家。代表作に、大人気SFシリーズ「銀河ヒッチハイクガイド」がある。)
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