儚い驟雨

 あ、にわか雨だ。こういうの、なんて言うんだっけ。夕立、いや、もっとかっこいい呼び名があったと思うんだけど。なんだろう。なんとか。まあどうでもいいか。あ、シュウウ。しゅうう、シュウウエムラ? 違う。驟雨。一文字目が難しすぎる。驟。なんだそれ。
 それで今日はいつにもまして、不安定な空もようだ。雲がかりながらも、晴れていたのは朝だけ。覗き魔な太陽の不在、街並みのさびしい昼。
 講堂の大きい窓はアルミニウムで縁取られている。多分。それに貼っ付けられるようにして透明なガラス。小さい、気泡みたいな汚れが気になる。
 降ったり止んだりする雨を、わたしはただ眺めていた。自分は今、つまらなそうな顔をしているんだろうな、とわたしは思う。ああ、暇で仕方がない。
 わたしが姿勢と視線を正せば、教壇に立っている男の話が聞こえるはずだけど、この講義ははっきり言って、全然おもしろくない。古文とか、今更誰がやるのっていう。わたしが令和の清少納言。春は憂鬱。夏は憂鬱。冬は憂鬱。は。やめた。バカバカしい。清少納言さん、あんたの時代は現代に比べて苦労が少なすぎるわ。知らんけど。
 ともかく、ただのにわか雨に魅力の面で劣る講義なんだから、朝からだるくてたまらない。この雨がやんだらわたしはどうしたらいいのだろう。雨の露が名前も知らない葉っぱからしたたって落ちるのを、わたしは長いこと見てられない気がする。そうなれば、時計の秒針が一周するのをひたすら耐え待つ作業しか、わたしに光る道はない。
 わたしはいつも、講堂で一番高い場所に身を置く。後ろからノートを見られたくないからだ。文字が汚いからではなく、もっと本質的な意味で、わたしは自分の考えを知られたくなかった。逆に、わたしがみんなの考えを覗いてやれるということもかえって、わたしにとって気味のよい要素だった。周りの学生がなにをしているのか気になって、あたりを見ると、ノートに全力の落書きを書き込む学生がちらほら見られる。あと、シンプルに寝てるやつもいる。教授は目ざといから、こういうやつは裏でこっそり評定を落とされる。起きてさえいればそんなことにはならないのに。クワバラクワバラ〜。
 わたしが大学に入ってから、もう二ヶ月が経つ。それなのに、わたしには友達と呼べる人間が大学内に一人もいない。は。今日も、昨日も、おとといも、大学の誰かと会話らしい会話をするということはなかった。ゼミに入ってはいるけれど、その中でもわたしは誰かと口をきいたりはしない。いや、むしろまわりがわたしを警戒しているのかもしれない。みんなと討論をするでもなく、共通の目標を助け合って達成しようとするでもなく、ただただひとりで研究。自分以外の誰かのことだと考えたら、ちょっと不気味だ。もちろん、わたしはなにかしらのサークルに入っているというわけでもない。
 要するに、わたしはほかの大学生にとっても、ゼミという小さなかたまりにとっても、訳のわからないとしか言い様のない、はっきりとした異物として認識されていて、それから排除されているということなのだろう。大学生活ひと月目で、わたしはそれを肌で感じとった。
 その時、大学は休み時間だった。わたしはフーセンガムを噛みながら、次の講義がある教室に向かう廊下を歩いていた。
 ひとつ上の階にある教室に向かう。白い階段を登る。すると、複数人の女子学生がわたしについてあれこれ勝手なことを言っている声が、下の方から聞こえてきた。
「大崎さんってなんかコワいよねー。なんかいっつも上の方にいるし。」
「ひなたもそう思う? 私大崎さんと同じゼミなんだけど、喋ってるの見たことないわー。」
「でも、プライベートはめっちゃおしゃべりだったりして。」
 二番目の声は同じゼミの石川? だったっけ、石田? まあとにかくそんな感じだった気がする。その石なんとかのほかにも二人の声が聞こえてきた。
 みんな、勝手なことを言っているが、こいつらは一体なんなんだ。わたしの何を知っているっていうんだ。こいつらからすると、わたしは気味の悪い異物に見えるのかもしれないけど、こっちから見るとお前らも十分に気持ちの悪い集団だからな。そうメンチを切ってやりたかった。
 女の学生はとにかく声がでかい。それからよく喋る。もはや女子というよりも、ただの小娘だ。石なんとか、いやもうこの際石ころでいい。わたしが席についてから程なくして、石ころ御一行はそろって講堂に現れた。
 わたしが座っている、講堂で一番高い席と、石ころどもの立っている、講堂で一番低い地面。それは、わたしの持つ唯一のアドバンテージのように思えた。そんな自分が歯ぎしりがするほどに嫌だった。いっそ、舌を噛み切って死んでやろうと思った。
 そして、目が合った。あいつらはわたしに、嘲るような眼差しを向けた。わたしは一人ひとり、敵意をもって睨みつけた。
 その日から、あいつらはわたしとは真逆に、一番前の席で授業を受けるようになった。それはわたしに対する、目に見えた挑発行為だった。最初のころは、それにとてもイラついた。暇さえあれば手元の消しゴムやボールペンを、あいつらに投げつけることばかり考えていた。
 だがその屈辱感にも徐々に慣れていき、やがてわたしはなんにも感じなくなった。けれど、あいつらに対する反撃、意趣返しを諦めてしまったみたいな感じがして、それはそれで嫌だ。
 そして今に至る。雨はもう止んでしまいそうだ。それと同時に、このつまらない講義もやっと終わりそう。あと三回、時計の針が一周してくれたら。壁に掛かった時計を見つめる。チクタクチクタクチクタクチクタク…
 気の抜けた学徒たちを刺すようにして、突然の強い稲妻が講堂を支配した。屈折する紫の力線が、老年教授の細い声を潰す。わたしも身体をぴくりとさせた。と思う。不意に視線が移って、秒針が一周するのを見逃した。
「きゃあ!」
 ふっ。驚いて大げさに声を上げるあいつらがおかしくて笑った。ちょっと気分がよかった。わたしの悔しさを、神様が晴らしてくれたように思えた。
 直接、雷に打たれて死ねばもっとよかったのに、と少し前のわたしなら思っていたのかもしれない。令和の清少納言プロデュースの呪詛。おおお、クワバラクワバラ〜。
 遠雷の走り抜けたあと、しばらくの間が生まれた。空間が硬直した。教授も、あいつらも、ほかの学生も、雷に怯えるようにして押し黙っている。静謐な空間。わたしだけがひとり、満ち足りた感覚の中にいる。場違いな愉しみ。空虚に響き渡る雨音は踊るようだ。チクタクチクタク…。秒針が一周したのを、わたしはまた見逃した。は。


 夏が呼んでいた。相変わらずじめっとした天気であることは多いけれど、それも最近は少なくなってきた。街を歩けば、人混みと陽射しで額が汗ばむ季節。窓の外から、男だらけとも、感じの悪い女子会ともとれないヘンテコな連中が集まって、ワーワー騒いでいるのが見える。は。それらを見下ろして、無意識のうちに悪くなっていた姿勢を直した。すると背筋が伸びて、身体のどっかからぽきっと音が鳴った。
 大学図書館。石灰色のコンクリート壁には所々、ヒビとも傷ともとれない白い線が細い雷みたいに流れている。まるで、アパートの外壁の排水管からちょろちょろっと流れ出てきた水みたいだった。夏のグラウンドに引かれた白線。
 プラスチック製の軽い椅子に座って、わたしは本を読んでいる。百ページぐらいの、演劇に関する指南書だ。大学には演劇サークルがある。劇作家志望の学生の溜まり場。でもわたしは演劇サークルに属している人間じゃない。台本を読んで、演じる人間の生き様を自分に投影する。理解しなくていい。異なる考えを知り、自分の新たな内実を知るということ、それが演劇の持つ特質なのかと考えた。おお、素敵じゃないか。
 わたしはなんでこの本を読んでいるんだろう。たくさんの本棚の中から、適当に選んで読んだら意外と飽きなかった、ただそれだけ。は。自分に関わり合いのない分野の本を黙々と読んでいる自分がわからなくなった。
 ほかの人はどういう本を読んでいるんだろう、と思ってあたりを見渡すが、わたしみたいに椅子に座って本を読んでいる人は一人もいなかった。途端に、わたしの中でさびしさが巡る。
 わたしが図書館に入ってきた時もそうだった。みんな、図書館に入ってはお目当ての本を素早く見つけて、颯爽と貸し出しの手続きをすませて出ていってしまう。はあ。もっとゆっくりしていけばいいのにさ。
 運動系サークルの男達が時折、冷房の効いた室内を求めて図書館にやってくる。お前らはサークルの部室が別棟にあるんだからそっちに帰れよ。
 あとは、眼球周辺を必要以上に強調した女が、図書館を待ち合わせの場所に使うこともある。大抵そういう場合はしょうもない男を待っている時で、妙にソワソワしてる事が多い。ちょっと挙動不審なぐらい。ふっ。待ち合わせ場所として図書館を使うっていう、ダサいシチュエーションの中にいる自分がお気に召してたまらないんでしょうね。苦笑。
 人の流れは時々やってくるけれど、それが終わってしまうと再び、図書館は面食らうほどの静けさに包まれる。東京スクランブル交差点のタイムラプス映像みたいに、みんなせわしく動いている。サークルとか、デートとか、きっといろいろあるんだろう。わたしにもそういうものがあったら、と小さく思った。はあ。
 そう思うとふと、こんな本を読んでいる自分に小さな危機感を覚えた。学生として、自分が果たすべきなにかを、十分に果たせていないように思った。ひい。
 わたしが青春を楽しめていないと言うのは、誰がどう見ても事実だろう。暇さえあれば図書館に篭って、興味もない本を取っ替え引っ替えする日々。鬱気で目が死んでいる、寝起きのわたしを思い浮かべた。心だって、生きているのか死んでいるのかわからない。
 わたしは本を閉じた。棚に本を戻そうと思い立ち上がったが、本がもともとどこに置いてあったのか、すでにわたしは忘れてしまっていた。数秒立ち尽くす他なかった。
 わたしの読んでいた本を元あった場所に返してもらうよう司書に言って、わたしは図書館を出た。気恥ずかしさが小さくわたしを包んだ。いつも通りのわたしなら、図書館で読んだ本はそのまま借りていく。けれどあの本だけは、借りて帰るのが嫌だった。嫌な気がした。なぜだろう。
 冷房の効いた図書館を出ると、教室棟の白い廊下が真っ直ぐに伸びていた。気温はもうすでに首のあたりがムズムズするぐらい暑くなって、今すぐに身体中から汗が滲み出てもおかしくはなかった。
 わたしはあてもなく、屋上に上がることにした。ガラス扉を開けると、きれいに舗装されたコンクリートの歩道が続いている。開放されたテラスには、人がまばらに集団を作っておしゃべりしたり、バドミントンの羽根をラケットで打ち合ったりしている。鉄柵越しにキャンパスや中庭がパノラマみたいに一望できる中、屋上の連中よりひと回りもふた回りも層の厚い、学生の集団が何か騒いでいるのが見えた。
 テラスに置かれている、木製の広いベンチに腰掛けた。わたし以外にもあと二人ぐらい座れそうなスペースがある。辺りを見回すと、テラスの端に緑を見つける。縦長いプランターから溢れるほどの植物。なんの植物かは分からない。
 テラスの隅に、誰もいないガラス張りの喫煙所が開放されている。わたしはタバコが嫌いだ。匂いがどうも好きになれない。ちょっと体調が悪い時であれば、余裕で吐き気を催す匂いだ。大学には、それはまるで人生の破滅に突き進むかのごとく大量のタバコを吸っているような人種もいるけれど、わたしにとっては全く理解の及ばないことだ。酒もタバコも、成人直後の物珍しさで嗜んでからはそれっきりだ。数えきれないほどの人々を狂わせたとされる、青春の破壊者…。強い色彩のような、おどろおどろしいイメージとはかけ離れた味わいを苦く宣告され、わたしはそういった類の嗜好から距離を置いていった。落胆に近いものが、わたしをそうさせた。
 中庭にも屋上にも、わたしの顔見知りの姿はない。わたしにとって、同じゼミの学生以外はみな一様に知らない人間だった。わたしが構内をあるくと、やはりすれ違うのはみな知らない人間ばかりで、みなわたしに興味などないのだろう、と思える顔つきをしている。
 べつに、わたしは誰かに興味を持たれたいわけではない。興味を持たれることが面倒とは言わないけれど、自分から頑張って人間関係を構築する必要だってどこにも無いじゃないか。他人との関わり合いにひどく疲れて、擦れて、潰れて、捲れて、ひび割れて、燃え尽きて…。わたしにはそういった、社交性の欠如を正当化できる要素がなかった。他の誰か、或いは自分自身に心を捻じ曲げられたのでなく、最初から歪に形作られていた。生まれながらに不適合。何かの間違いであるべきだった、そういう種の人間は、サバイバル的な社会を、一体どうやって生きてゆけばいいのだろう? いや、生きることは誰にだって出来る。生き抜くことが、何よりも難しいのだ。
 その点彼らはうまくやっているな、とわたしは周囲の喧騒を見て思った。友達がいるから、仲間がいるから、恋人がいるから、ああいう風に輪の中でワーキャーと騒ぐことが許される。多勢に無勢、個よりも衆。自らが群像、もとい集団に含まれないということは、つまり「社交的」なコミュニケーション能力の毀損を覚悟しなければならないということだ。それも、決して大仰にやっては来ない。いつの間にか、自分の中から失われているのだ。それも、口笛を鳴らすみたいな気軽さで。そうして生まれたこころの空洞に、人は必死に何かを詰めようとする。身近にあるもの全てを際限なく欲する。そうして穴を無理矢理に埋めると今度は、自分の本来もっていた地盤と、吸収した物質との噛み合いの悪さに直面する。石を投げ込まれた水瓶のように、意識の流れが不恰好に淀んで、段々と水の波紋が弱まっていくように、自らの意思を組み立てる機関を狂わせ、正確に思考する能力をどろどろに溶かしていく。
 融解された思考能力はどこへゆくのだろう? わたしにはよくわからなかった。でも、きっと嘔吐してしまうのだろう。五臓六腑を無理矢理に満たす、その異物感に耐えられなくなって、何らかを吐き出す。一頻り嘔吐して、惨めに泣いて、哀れにも叫んで、痛ましく喉を枯らして、それでも涙は止まらなくって、また嘔吐して…。そうやって吐き出されたもの一つ一つに、明確な敵意を宿す。そうして、また穴があく。
 苦しみに逆行するように、ぼろぼろな身体を何とか奮い立たせて、ふらつきながらも立ち上がろうとする足を、得体の知れないものに掴まれて転ぶ。身体の内ひだが痙攣して、また吐き気が込み上げてきて嘔吐する。身体の芯に残っていたなけなしの愚雄さえ、ほんの些細なことで崩れる。負の螺旋を繰り返しながら皮膚の下で蠢動する、麻痺と痙攣の内実を知って、そして、精神が破綻する。端的に言うと、壊れる。得体の知れないものにこころを抉られて、殺される。それでも身体の痙攣は止まらず、足下にぶちまけられたキラキラと鈍く光る吐瀉物の中から、砕けた人格の断片を拾い集めようとする。自分自身との破局。
 惨めな情動のディゾルブは、移り変わっても冷め切らない。心底気の滅入る思考が瞬くように発生しては霧消し、どんどん精神に累積していって、停滞する。そして限界を迎える…。
 虚空の中で、どこからかこころに湧いてくる怒涛を力任せにして叫ぶ生気を、何よりも求めている。いや、そうではないのかもしれないけれど。
 その反例がわたしだ。どこにも居場所がないのに、居場所を求めていない。社交とか知るか、で生きてきたわたしに、居場所を与えるものなどいないのだ。社会の仕組み、世界の仕組みから見て、それは何ら不思議のないことだ。逆に、中庭で騒いでいるような連中は、揃って自らの居場所を強く欲したからあそこにいるのだろうか?
 いや、違うだろう。あれは、わたしみたいな人間とは百八十度違う人種だ。何もしないでいても、居場所が形成されていくタイプだ。何もしないと言うよりは、無意識のうちに自身の居場所を作る能力が身についていて、だからこそ意識的に居場所を作り出す必要がないのだと思う。けれどそれは元を辿れば、自らの居場所に深く飢えているということでもあるだろう。わたしのような人間と違って、自分軸よりも他人軸、と言うより、自分や仲の良い他人が共同に身を置く集団の利を軸にして物事を考える能力が豊かで、かつ個人の利もしっかりと計算できる。社会的にみて、わたしの上位互換のような存在。悪く言えば、ひどく目ざとい。だからなんなんだ。は。冷笑をとばす。ひょっとすると、わたしは日々のハードコアでストレスフルな現実から逃亡するために、わざと自分の思考をシニカルの型に当てはめているのではないかと思った。面倒なことはとりあえず保留にしてしまって、ただ日々を冷たく馬鹿にして、曖昧にする。逃げ。
 屋上でバドミントンを打ち合っている二人組なんかは、自分の居場所をそれほど求めてないように見えた。最低限さえあればいいタイプなんだろう。さばさばとした人間だ。こういう、ほどほどの節度をもって人と接することのできる人間は凄いと思う。驚嘆。共感はしないけど。ほんっと、わたしには夢がないな。
 血液型と同じように、人は同じ種類の人間としか親交を結べないのだろうか。だとすれば、わたしはおそらくこの先も、誰とも仲良くやっていくことはできないだろう。仮に、わたしが誰かと親交を結ぶことができたとしても、わたしはそいつと縁を切ることに躊躇いを覚えないだろう。切りたくない縁など、わたしにはない。破談。
 さっき図書館で読んだ、演劇の本のことをわたしは思い出していた。自分とは違う考えを、人物像まるまるで自己に投影するということに、まったく実感が持てなかった。無理に決まっている。それこそ、わたしの領域を荒らす不和物質として、身体に入れ込む前に嘔吐してしまうかもしれない。案外、わたしには欠けているものが少ないのかもしれないと思った。空き容量が少ないから、新しいデータを入れることができないというわけか。それはただ自分に余裕がないだけ、切羽詰まっているだけなんじゃないのか?
 そんなこんなで、わたしがあれこれと無駄なことを考えていると、中庭の大きな輪から「あれ雨降ってない?」という甲高い、どこか呆けたような女の声が刺さるように聞こえてきた。雨なんか降って、と思った瞬間、腕に水滴が落ちた。水滴の主は、短命ながらも確実に空模様を荒らして回る、一瞬の驟雨であった。それはひどく小粒な驟雨で、コンクリートの床が一面濃く染まるには道のりが遥か遠いような、心許なさがあった。
 女の声が伝播して、中庭にたむろしていた学生たちは一目散に屋根影に身を潜めるべく別々に走り出した。小鍋で麺を茹でている時、ときおり泡が鍋から溢れそうになることがあるが、少量の水を差すことで一時的に水位を下げることができる。突然の驟雨に慌てふためく学生たちの姿が、それに似ていると思った。中庭という鍋の中にはもうすっかり誰もいなくなっていた。取り除かれていた。
 それは実際、霧雨と大差ない雨量だった。雨というより、ミスト。この程度の雨で中庭の連中が一瞬にして散り散りになるとは、大げさだと思った。そして、彼らの関係性はどうせその程度なのだろうとも思った。
 あの日以降、街に雷鳴は訪れなかった。雨は降るだけ降るのに、雷だけはいっこうに降りてこなかった。空の切れ目から屈折する紫の力線を、わたしはもう一度見たかった。そう思いながらあたりを見回すと、屋上からも若干人が減っていた。バドミントンを打ち合っている二人は笑いながら、羽根を相手に打ち返していた。はあ。


 夏の盛り始めた頃、わたしは演劇サークルの活動を見に行った。アポなしだった。演劇サークルはサークル棟の端っこのほうにあった。隣は空き室だった。わたしが戸をガラガラと開けると、十人ほどの学生が小さな冊子にまとめられた台本を手に持って読んでいた。冊子のタイトルには「夫婦善哉」と書かれていた。
 サークルで一番位の高いと思われる、四年生の男がわたしに「こんにちは」と言うと、ぽかんとしていたほかの学生もわたしに挨拶をした。わたしの知っている顔はいなかった。
 わたしが「見学させてもらってもいいですか」と尋ねると、その人は嬉しそうに「いいよいいよ、あそこにちっちゃい椅子あるから座って」と、わたしを歓迎してくれた。わたしに上っ面だけでも、好意を向けてくれた同年代の人間ははじめてだった。名刺ももらった。
 スツールみたいな椅子に座って、しばらく見ていた。すると誰かが「読み合わせしませんか」と言った。サークル長と思しき人が「いいね、やろう!」と言った。わたしはもらった名刺を見た。遠藤。やはり、サークルの代表を務める人物だった。インスタグラムと、メールアドレスが付記されていた。
 しばらく経たないうちに、台本の読み合わせが始まった。わたしはそれをただ見ていた。疎外感を感じて、嘔吐しそうになった。遠藤さんは脇役だった。
 帰り道、わたしは吐いた。突然こみ上げてきた。なぜ吐いたのかわからない。そういう周期が回ってきたからかもしれない。けれど、今日の出来事が関連していることは確かだと思った。住宅街のコンクリートの路地の端に、わたしの吐瀉物が打ち付けられている。わたしはその中からなにかを探そうとはしなかった。必要ないから吐き出したんだと思った。吐瀉物の溜まりに、遠藤さんの名刺を突き刺した。
 その瞬間、わたしはまた強い吐き気に襲われた。お前は存在するだけで列を乱す存在なんだ、と宣告されたようだった。嘔吐。喉の奥が痙攣する。痺れる。口いっぱいに、塩の粒をばら撒かれたような痛みが広がって気持ち悪い。
 吐瀉物はやがて、一度目のものと二度目のものがひとかたまりに混ざりあった。遠藤さんのインクの文字は、力強く印字されたままだ。おえ。


 それからしばらくして、わたしは精神科医にうつ病と言われた。白い部屋で言われた。わたしはそんなはずはないと言った。
 思わず、医者を殴った。男は背もたれ付きの椅子から倒れ落ちた。なにか声をあげていた気がする。それから、机の上に置いてあった筆立てを横にいた女の看護師に思いきり投げつけたけれど、それは外れて、最終的には部屋の奥の方にある器具置き場にあたった。鉄製のなんだかよくわからない器具が騒々しく音を上げて倒れた。その音に負けないくらい、女は叫んでいた気がする。覚えていない。
 わたしは取り押さえられなかった。もっとも、精神病院の職員が駆けつけた頃には、わたしはもうすでにおとなしくなっていたからだった。しばらくして、わたしは応接室みたいなところに連れて行かれた。
 そこで、今回のことは不問にする、ただしこれからの行動しだいで、最悪の場合は検査入院になるだとか言われた。わたしは、はいとかわかりましたとかすみませんとか相槌を打った。
 話が終わると、次の通院日を決めた。それから帰してもらった。外を出ると、いつの間にかすこし季節外れの驟雨だった。傘を持っていなかったので、傘を差さずに帰った。雨から身を守る気力さえいまは乏しかった。家路につくその足取りは重く、身体の隅々まで水分で満たされたみたいだった。うう。携帯が鳴ってるけど、無視する。
 また住宅街を通った。わたしの吐瀉物が乾いて、電柱の裏に大きな白い斑点として雨の中でも残っていた。遠藤さんの名刺はなくなっている。座り込んで、しばらくそれを眺めていると、また口の中に塩粒の感覚を思い出して吐きそうになる。
 どうして殴ったのか。それはたぶん、わたしの限界だったからだと思う。いろんなことを後回しにして、馬鹿にして、それが最終として蓄積し、わたしの人格を欠かしたのだと思った。わたしのこころは今、空洞なのだろうか、と少し考えて、わたしは冷笑主義と斜視をひとまずやめることにした。かわりに、誰かの考えを詰め込もう。そのために、演劇をはじめよう。遠藤さんのメールアドレスはもう忘れてしまったけれど、また聞けばいいだけだ。
 街を濡らす雨が弱まってきた。いまは吐き気もだんだんと落ち着いてきた。紫の力線は、その気配すら感じ取れない。家に帰ろう、とわたしが立ち上がると、前髪から小さな水滴がしたたり落ちた。それは儚い驟雨とぶつかって弾けて、やがて街に流されていくだろうとわたしは思った。