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平成のベンチャー企業。

大学卒業後、小さな不動産会社に就職した。
当時、就職超氷河期と言われていた。
200社以上エントリーしたが、一次試験に呼ばれたのは40社。
そのうち、最終面接に進み、内定をいただけたのはたったの2社。
結局、転勤のない大阪に本社のあるマンションディベロッパーに就職することに決めたのだ。

就職を決めた娘に、母は、
「なんで不動産業なん?せっかく英語の勉強してきたのに」と残念がった。

仕事で英語を使えるような企業はすべて落ちた。
同じ女子大に通う友だちには、就職を選択する必要のない子もいた。
大学院進学や家業手伝いを選んだ友人たちがうらやましかった。
「あ~、なんで、うちは中華料理屋やねん」と、嘆いたこともあった。

4月になり、新入社員研修が始まると、また逃げ腰になる。
御堂筋をはさんで、道路の向こう側に声が聞こえるまで挨拶の練習をさせられた。通りかかる外国人観光客に、"What are you doing?"と聞かれ、”We are practicing our greetings.”って答えた。不動産会社でも英語使うのか~って、嬉しかったのを覚えている。

役員室に配属された。
早朝会議があれば、始発出勤だった。
役員会議が長引けば、タクシーでの帰宅。(もちろん、自腹。)

電話にワンコールででなければ、先輩社員から怒られ、
社長の休憩中に、急ぎの決裁書類を回せないと言うと、オバチャン社員から「あの秘書は能無し」と言いふらされる。

体育会系な部活に所属したことのないわたしにとったら、この会社への就職は、修行としか言いようがなかった。

休みの日にも、「ゴルフの待ち合わせ時間がわからん」と、朝の5時から社長から電話がかかってきたし、秘書だからという理由で、同期との飲み会にも基本的に参加してはいけないと言われ、アフターファイブなんて楽しめなかった。

今思えば、会社に言われる通り、真面目にやらなくても、適当に流して、仕事をすればよかったのだろう。だけど、新卒早々の私には、それができなかった。

貯金がたまったら、会社をやめることしか、頭になかった。
結婚が決まり、次々にやめていく先輩や同期をうらやんだ。
寿退社ほど、美しい退職理由はないとさえ、思っていた。

そんな、人をうらやんでばかりいたからか、その当時の彼氏ともうまくいかず、別れを切り出され、「あ~、寿退社っていう手も、わたしにはないのかぁ」と悲しくなったことを今でも覚えている。

2年間働き、退職する理由なんてなかったのだが、上司に「会社をやめたい」と伝えると、話がトントンと進んだ。その上司も、この会社の先行きは長くないと見越していたのだろうか、すぐに社長に掛け合い、翌月末に退職することが決まった。

寿退社も再就職先もないわたしは、退職理由を考えた。

そうだ、カナダに留学しよう。

「留学のために、会社やめます」なんて、寿退社に並ぶくらい前向きな理由じゃんって、思っていた。

まわりのみなさんも、さすが大人で、根性のないわたしに話を合わせた。
「留学するなんて、うらやましい」
「好きな勉強ができて、いいですね」

留学を理由に、会社から、人生の修行から逃げたのだ。

その後、カナダに留学し、そこで出会った先生に、”You have a talent for teaching."と言われ、「え~!!そうなの!!嬉しい!!」と舞い上がり、今の仕事に就くことになる。

そして、その仕事で、今の主人に出会い、3人の子どもたちにも恵まれた。

嫌で嫌でやめることだけを常に考えていた会社員時代だったが、就職したことも退職したことも、結果的には、今につながるまちがいのない選択だったように思う。

結局は、最初から正しい選択肢なんてないのだ。
今の自分があるのは、その一つ一つの選択。
正しいか間違いかなんて、選択する瞬間にはわからない。
だからこそ、感じたままに選択し、進んでいけばいいのかもしれない。








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