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岬めぐりで積丹ブルー③(神威岬、積丹岬)

2020年7月の神威岬は暑かった

積丹YHに泊まった翌朝は、バスで神威岬まで行ってみた。かつて北海道に引っ越した会社の後輩が、ここがオススメだと言っていたのを想い出したけど、成程その通りだった。

<バス停、神威岬の先端へ>

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サッと歩いて終わりかと思っていたけど、ここの岬は先端まで歩くと片道1時間くらい掛かる。でも、両岸が切り立った崖地にニュウとか咲いているし、積丹ブルーの海は綺麗に輝いているので全く退屈する事はない。実はこの旅でストックを持参したけど、実際に使ったのはここだけだった。

<積丹ブルー(2)>

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岬に向かう遊歩道から下を眺めると積丹の海が青く澄んで綺麗だった。しかも岬の先端部なので右も左も青い海が望める。これってやっぱり礼文島で見た景色と同じだ、と思った。

礼文島の南端にある知床集落から元地灯台を通って桃岩展望台に抜けていくトレッキングルートがある。そのルートでは眼下に青い海をしっかり見れる所は僅かだけど、途中で左に逸れて進んでいくと、思いっきり崖地を覗き込めるような場所がある。2009年に初めてそこに出会ってビックリした。北海道の海って沖縄みたいに碧い。でも、よくよくみると利尻礼文の海は青と黒が入り混じっている。黒はフワフワ揺れている利尻昆布の黒とポツポツ転がっているウニの黒で、これはちょっと沖縄にはないな。その左に逸れていくルートは2011年にも歩いた。でも、何かトラブルでもあったのか2014年にリピートした時には草が生い茂って道を塞いでおり、もう辿れなくなっていた。途中の大石が置かれた場所からどうにも身動きが取れなくなっていた。

<ソビエト監視施設の残骸>

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ここでもまた礼文島のスコトン岬の風景を想起した。あっちは多少面積があるトドが棲息しているとか言う島が見えたけど、ここでは岩が連なる中に1つだけ長く尖った岩が突き出ていた。

こういう地の果てって旅情を誘う。そこで、話したのが地元・小樽から来られた方だった。何度も神威岬を歩いているとか。「いつもだったらこの辺りは行列が出来ている。でも今年はコロナ禍で人が少ない」と教えてくれた。ただ、小樽の昼カラオケでコロナ感染が報道されていた時期だたので、話をしながら「もしや感染?」とか余計な心配をしてしまった自分の事が恥づかしくなった。

今でも小笠原諸島に行くと、未だに「昭和16年_陸軍省」とか刻まれた碑が草むらの中に埋まっている。戦車の残骸もあった。いずれも2018年にこの目で確認してきた。同様に、ここ積丹でもソビエト監視のためのコンクリート製の施設が朽ちた残骸として残っていた。

この日も無茶苦茶に暑かった。私が、神威岬からYHまで歩いて帰ろうとして30分くらい歩いた頃だった。救急車が通った。行き先はどうやら神威岬だ。その後で、消防車も2~3台が擦れ違って行った。こちらもどうやら神威岬方面だった。火事なのか、何事が起きたのか気になっていた。その日の晩に宿で教えて貰ったのだと、どうやら余りの暑さで観光客が熱中症で倒れたらしい。初夏でまだ体が暑さに馴れていない時期なので、どうやらよくある事だとか。神威岬の遊歩道の途中だと階段も多く悪路だ。そこを救助隊が交互に患者を運ばないといけないので、火事ではなくても救助要員が駆けつける為に消防車が必要だったらしい。

積丹岬の東向こうは草叢だった

バスで島武意海岸入口で下車した。日中は更に暑くなり、舗装道路の坂を上っていくのは辛い。積丹岬は神威岬よりも厄介だった。
そこで道が2手に分かれた。先ずはトンネルを潜って島武意海岸に降りていく。上った分だけ険しい岩肌を伝って降りていかないと海岸には辿り着かない。

<島武意海岸へ、遊歩道のトラノオかな>

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ここの観光地なので、コロナ禍だけどそこそこ混み合っていた。ただ、積丹ブルーは海岸に下りて見るより上から覗き込んだ方が綺麗だ。水温も低いし石がゴロゴロした海岸なので、泳いでいる人はいない、そんな小さな海辺だった。

次に、積丹岬へ歩く。そこまでは舗装道路なので支障ない。できればその先の崖地をずっと歩いていくつもりだった。最低でも笠泊まで海岸線にそって歩いてバス停まで戻るか、できればもう少し東側に進んで女郎小岩を崖の上から眺めて見たかった。前日にカヤックで到達した女郎小岩から上を見上げたけど、この日は逆に上から見下ろしてみたかったのだ。

ただ、怖いのがマムシ。と言うのもクマが嫌うマムシがこの辺りに頻繁に出没するらしく、積丹余別のYHに飾られていた年季ものの地図にも大きく「注!!マムシ」と書かれていた。宿とかで聞いてもホントに出るらしい。しかも積丹岬から先は草に覆われていて道もアヤフヤ。殆ど人通りもない。悩みながら少し進んだ所で人とそれ違ったけどその方も途中で撤収したとの事だった。もう限界。

<積丹岬(2)>

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この日は民宿に泊まる。ウニにもありつけたし、バイ貝も2品に入っていた。イカ刺しが名物なのは青森と同じ傾向みたいだ。宿の大女将がかつてニシン漁で栄えた頃の話を聞かせてくれた。当時は人口も多く、毎年ニシン漁の時期になると子供も学校どころではなく手伝いで大変だったとか。布団ににしんの鱗が当たり前のように張り付いていたとも語る。ニシンで湧いた名残は、ニシン用の溜池とか利尻礼文にも残っていたのを想い出した。

<夕食(2)>

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