後にウズベキスタンも独立したためそのあたりの言い回しも 変わったものの件の劇場を竣工させて全員無事帰国しようと いう思いすらあったわけだし後に震災発生したところでも 被災を免れたものもあるんだよな…
本日はソ連の捕虜となりウズベキスタンにてナボイ劇場建設に 関わった永田行夫氏ということにはなるのだけど職人気質を 思わせることや当時のソ連軍に対してうまく論破するやり方を していた後現地での友好関係みたいなことにまで発展したと いうものだよな…