"見えない"場合に、頼られる人
もしも、視覚を除いた評価なんてものがあるとしたら、あなたは知りたいだろうか?
シチュエーションや関わりの深さはどうあれ、人と関わる時はどうしても視覚情報が圧倒的に大きいし避けて通ることはできない。
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私のパートナーの下半身には障害があり、大きな音がする靴を履いて歩くため、すぐにお気遣いいただいてしまう。
観覧車に乗ろうとすれば「そのままで大丈夫です」と言っても止めさせてしまうくらい心配されるし、ディズニーシーに行けば「ここから先に20段くらい階段あります!」とさりげないお声がけをいただいたし、私の実家に住む犬からは大いに吠えられてしまう。
一人で歩いていると、文句をすれ違いざまに吐き捨てられたり、(歩かないと障害がわかりにくいので)優先席に座っていたら嫌な顔をされたり、障害者手帳やタクシー券を差し出した後に冷たい対応を取られたりすることも珍しくないらしい。
そんな彼と真っ暗闇で歩いた時のこと。ダイアログ・イン・ザ・ダークと呼ばれるその催しでは、一切の光が入らない空間で、アテンドに連れられた8人の参加者が共に過ごすのだ。慣れた人なら暗闇を楽しむが、慣れない人はどうやって進む方向を決めたらいいのか戸惑う。
そんな場に彼を連れて行ってみて、終わった後に感想を訊いてみたら、なんと驚くべきことに、ずっと彼の腕にしがみついていた人がいたというのだ。普段なら周りから「転ばないか」「もっとゆっくり歩いたほうがいいのか」と気遣われまくる彼が、頼られる側にまわったことが、心地よかったのだという。
一緒にいた私は彼女に見えなかったのだろうか、、いや、いいんだけど。
またある日は、待ち合わせをしていた彼に近付いたら、白杖持った人が遠ざかっていくのを見たことがある。恐らく弱視なのだろう、一人ですたすた歩くその人は、彼に道を訊くも、わからないと答えたら踵を返したらしい。
確かに彼の笑顔からは人の良さしかにじみでていない。高校の後輩には「敵を作らなさそうな顔」と言われて、確かにそうだなと感心した。
たぶん、待ち合わせをしていたために彼が歩く姿を見ることがなく、単純に、道を訊いてみただけなのだろう。
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私は、そんな彼が大好きだ。
一緒に歩いていると、彼にとってはお節介かもしれないことを含め、すべてが興味深い。
障害者だから、人から頼られないの?障害者ってわからなければ頼りたくなっちゃう何かがあるの?パラリンピックのボランティアとして研修を受けていた時も、障害のある人がボランティアすることに違和感を覚える人がいたと聞いたが…それはぜひ変えてほしい意識。障害のある部分はサポートが必要だろうが、それだけに過ぎないのだから。
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