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◆『教科書名短篇 少年時代』(中公文庫、2016)数編斜め読み。瀧本哲史『僕は君たちに武器を配りたい エッセンシャル版』(講談社文庫、2013)読了、微妙だったがビジネス書の基準点にしたい。満井春香『どうせ、恋してしまうんだ(1)』(講談社、2021)4巻まで読了、すごく巧い。

 ちょうどそのころ、少年の家ではまた父と母のあいだに気まずい空気が流れはじめていたのだった。少年の父は半年前にやっとありついた集金の仕事を自分からやめるといい出したのだ。
 少年は黙って二人の問答をきいていた。
「あんな不愉快なところにはおれん。」
 父はまたいつかみたいに誰か上の人とけんかをしてきたのだ。
 母がぐちをこぼしてはじめた――
「おれん」て、明日からどないするんです。まったく、うち(強調点)のお父さんという人はどこへ行っても半年とつづいたことがない。いまどきどこであなたのような軍人を使うてくれます。」
 母はとにかくもうしばらく辛抱してみたらどうかと父にすすめられた。すると父はさばさばしたようにいった。
「辞表をたたきつけてきた。」
「いつですの。」
 母は驚いたりあきれたりした。そして笑いながら怒り出した。少年の父は十日も前に勤めをやめてしまっていたのだ。だのにそれを母に打ち明けられなくて毎朝黙って弁当をもって勤めに出ているふりをしていたのである。
「あきれた人。」
「とにかく、あそこはやめだ。」
 そういった父は話を打ち切ったようにゆっくりタバコをふかしはじめた。

阿部昭「あこがれ」(『教科書名短篇 少年時代』中公文庫、2016)


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