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◆読書猿『独学大全―絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』(ダイヤモンド社、2020年)読了。密度が若干薄い気がするのと、自分に必要ない項目も多い気がしたため、同著者の『アイデア大全―想像力とブレイクスルーを生み出す42のツール』(フォレスト出版、2017年)や『問題解決大―ビジネスや人生のハードルを乗り越える37のツール』(フォレスト出版、2017年)を含めてどう読めばいいかよくわかっていないかったが、たぶん一生読まないつもりで通読、が吉。

◆以下参考になった箇所

・「古くから伝わる経文やカンセキをつぶさに見ると、角筆という先をとがらせた箸のような道具で、紙面を押しくぼませて跡をつけて書いた文字や記号が見つかることがある。これを角筆文字と言う。
 角筆は、紙にわずかなへこみをつけるだけで書かれたものが見えにくいという性質から、鉛筆の普及以前には、漢籍や仏典の訓点、下書き、秘密の記録など多様に用いられていた。文献の上では平安時代にあったことは知られていたが、1987年に正倉院文書にも角筆文字のあることが確認され、奈良時代からあったことが判明している。中国漢代の木簡に刻文のあることが認められることから、源流は中国であろうとされている。
 角筆文字の多くは、当時の読み手たちが、書き言葉の脇に文書を汚さず本人にだけわかるよう記したもので、漢文を読む補助のためのヲコト点や私的なメモなどが残されている。これらは古人がどのように文書を読んできたかを残す痕跡であり、平安時代の日常口語を探る資料でもある。」p.510.511
注釈:小林芳規『角筆のひらく文化史 見えない文字を読み解く』(岩波書店、2014年)https://www.amazon.co.jp/%E8%A7%92%E7%AD%86%E3%81%AE%E3%81%B2%E3%82%89%E3%81%8F%E6%96%87%E5%8C%96%E5%8F%B2%E2%80%95%E2%80%95%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84%E6%96%87%E5%AD%97%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%81%BF%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E5%B0%8F%E6%9E%97-%E8%8A%B3%E8%A6%8F/dp/4000259660

・抜き書き。「抜き書きを年の単位で続けていくと、書き溜めていくほどに、自分のやっていることは、単にどこかで使いたい言葉を収集しているだけではないことに気付くだろう」p.518

・段落要約。教科書に段落番号振るみたいに機械的に段落分けして、一つずつ1~3行程に要約。
→要約文そのものの構成を練る手間が省けそう。p.522~

・筆写。「今日、かつての読者(印刷の発展前の読者―引用者)=筆写者と最も近い読み方をしているのは、数学者や数式で論旨を展開する専門的な科学書を読む読み手だ」p.531
「「小平次元」という理論を構築した数学者飯高茂もまた『数学セミナー増刊 入門・現代の数学6 デカルトの精神と代数幾何』(上野健爾、浪川幸彦高著/日本評論社、1980)に収められた「付記 数学の本の読み方(高校生のために)」という短文の中で次のように述べる。
「もし君が代数学の基礎的事項を学ぼうと思うなら、精読しかありません。高校生が志を立て、群、環、体の勉強を始めるのは望ましいけれど容易でないの一言です。君が天才なら何も言うことはないけれど、君が僕のように普通の人で、ただわけもなく数学をのぞきたいという好奇心があるだけの人なら、こう言いたい。書を閉じてペンをとれ、そして、白紙のノートに、数学の本に書いてある内容を証明の細部に至るまで自分の頭だけを頼りに再構成してごらん、と」」p.532,533
→これができてしまうのが数学というジャンルか。

・「理解は最高の記憶法である」p.571「記憶は理解のよき助力者なのだ(…)つまり、記憶から引き出せるものが多いほど、我々は認知資源を奪われることなく、本来の理解する作業に集中することができる」p.571

・「健忘症に関する符合化障害仮説では、自発的な意味処理がなされないことが、記憶の障害をもたらすと考えられている。(…)記憶障害を持つ人は、より浅い形態的符合化や音韻的符合化はできるが、意味処理を伴う意味的符合化を行っておらず、このためにうまく記憶することができない。」p580,581

・「ノヴァクは、デイヴィッド・オーズベルの<新たな概念を学ぶには事前の知識が重要である>とする学習観をベースにコンセプトマップの手順と利用を開発した。」p.591
「現時点でわかっている<結びつき>を描き出してみると、何をどれだけ理解しているか/理解していないかが図像化されることで、理解の現状を振り返ることができる。その結果、足りない部分を気付かせたり、新たな<結びつき>を発見することがある。これはどちらも学習を促進するものである。」p.592
「新たに学んだことを既に知っていることに結び付けること、そうして自分の知識のネットワークを組み替え拡張していることは、「上手な勉強の仕方」以上のものを示している。
 それは知識とそれに関わる知的営為の本質そのものだ。
 しかしまた、積極的には教えられているいない事柄である。」p.594,595

→極めて重要な指摘が2点。1点目、学習が「空いた棚への積み込み」ではなく「知識のネットワークの組み換えであり拡張である」こと。手持ちの貧しい知識が、しかしそれこそが学習の材料・肥料になる。2点目、叩き台の重要さ。学習前と学習後、両方の時点での知識のネットワークを図像化することで、おそらく知識の組み換え・拡張作業を紙面上で、最初から最後まで演じきることができる。叩き台は軽視されがちなのでここはもっと考えていい。読書猿の説明はまだ少し物足りない。

・記憶術。①弁論家キケロは古代ギリシアの抒情詩人シモニデスのロクス(場所)を用いた記憶の方法を記憶術の起源とする。しかし弁論術の一部門としての記憶術は共和制衰退とともに実践の場を失う。②弁論術は書く技術=「修辞学」として自由七科に編入され中世的教養の重要な部分を構成するが、口頭弁論の技術である記憶術は長い冬の時代を迎える。③ルネサンス時時代、古代ギリシア・ローマの文献や、新世界の発見によりヨーロッパの外から流入した新しい文物や情報が、印刷術・製紙法を通じて書物として拡散。流動化する社会状況の中で知識を武器に立身出世を求める人々が再び記憶術を利用するように。④同時に新たな情報技術として、「抽象概念からの二分法を繰り返すことで多くの知識を樹形図の形で整理できるペトラス・ラムスの「方法」」や、「文書・書籍から必要な個所を抽出し、様々な索引・検索システムを付加して再利用を可能とする抜粋術」も誕生。これが文献学や図書分類学という学問を生む。「記憶術の時代が終わり、目録の時代が始まろうとしていた」(p.601~607)
→桑木野幸司『記憶術全史 ムネモシュネの饗宴』(講談社選書メチエ、2018年)の超要約としてこのへんの記述使える。

・「1978年にチューリング賞を受賞した、計算科学者ロバート・W・フロイドは、恒例の受賞者による記念講演のなかで、問題解決を職業とする者にとって最も価値のある「ある種の技術」を紹介している。(…)

「やっかいなアルゴリズムの設計を行ったときに味わった私自身の経験では、ある種の技術が自分の能力を高めるために非常に役立った。すなわち、意欲をそそる問題を一つ解いた後で、そのときの『洞察』だけを頼りにして、同じ問題を再び最初から解く。この過程を解ができるかぎり明解かつ直接的になるまで繰り返す。そうして同様な問題を解くための、一般性があり、しかもそれがあれば与えられた問題最も効果的な方法ではじめから接近できるというようなルールを探し出す。そのようなルールは永久に価値のあるものになることが多い」」p.650,651

→面白い。たんに何度も解き直すことでより良い解答にブラッシュアップされていく、ということを言っているのではない。繰り返すことで、その特定の問題を解くという行為、それ自体に関する知識が獲得できるということ。タイムループ映画のこと連想するし、村上春樹が最初から最後まで3回、4回と何度も小説を描き直すことも思い出す。類似問題にあたるのではなく同じ問題を何度もやる、という練習の仕方。



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