1/7

◆1月7日、ワクチンの副反応もありさっそく日記が中断したが、とりあえず回数だけは稼いで辻褄を合わせる。『月刊スピリッツ』2023年1月号読了。月刊誌をわざわざ買って家で読んだのはたぶん初めてだが、良い。漫画のサイズは大きいければ大きい方が良いのではないか。

◆菅原亮きん『東くんの恋猫』第5話「武蔵」。変わった作風。「絡。」「溢。」「去。」みたいな漢字一文字+句点のフキダシが佐々木マキっぽい、というのに偶然気付いたけれどそれ以外どこからこの作風が来たのかわからない。

◆岩崎真『3年前の窓から』(前編、後編)。マンガに精通していたら細部で気付けるところがたくさんありそうだけど、なんだか一気に読んでしまった。薬物と、それをともに使っていた元恋人へともう一度心が傾いてしまうのか、それとも堅実に生活を前進させられるのか。そのサスペンスがずっと続く。写実的ながらパーツの小さい主人公の顔、とくにその目が、どこをどの角度で見るのか、注視させられる。パッと紙面全体を一望して捉えただけでは、目の微細な表情までは読み取ることができない。主人公の目がポジティブな目なのか、ネガティブな目なのか、それすらも判別できない。コマにグッと接近することで、やっと彼女の目が前を見据えていることに気付く。口元も笑みを浮かべている。この時間差。主人公の心がどちらに傾いているのかが確定するまでの、この微妙なラグ。そのコマの意味が確定するまでのしばし引き延ばされる時間。この宙吊りの時間が、おそらくP.366からp.370にかけて、主人公が元恋人に差し出された薬を受け取るか受け取らないかを逡巡している時間を読者にも疑似体験させるものとなっている。
「外を見ながら作業できるって、」「いいよね。」と言っていた主人公は元恋人に別れを告げてドアを開け、外へと歩む。ラスト、主人公の物語を描いたマンガを手に取ってかつてのことを思い出す主人公の黒い髪のシルエットは空を舞う鳥へと繋がり、もう1羽の鳥と合流するコマの後には、パートナーとマンガを読み始めようとする姿が描かれる。窓際に坐り、二人で本を開く。そして最後のコマ、ページがふわりと開かれ、宙を舞う。主人公は空を舞う鳥のような自由の実感を得て、そしてその体験をもとに他人の手を介して産み落されたマンガは、鳥よりも自由に窓の内・外を問わずどこへでも行けるだろう。
 しかしやはり、もっとも決定的だと思えるコマは、p.412の大ゴマ。引っ越し作業を終え、ベランダに出て、何かを心に決め、そして室内に戻る。その時に主人公が横切るカーテンを描いたコマが、通読を経たのちも、どこまでも心に残る。あのカーテンは揺れているのだろうか。それとも静止しているのだろうか。
 彼女はその後、再度元恋人のもとを訪れ、最後の別れを告げることになるのだが、それは突き抜けるような衝動や決意に基づく決断ではおそらくないだろう。むしろ、危うい均衡の中で、わずかにそちらに傾くような、そんな選択だったのではないか。ほとんど垂直に垂れ下がったカーテンは、このコマの一瞬後には、窓の内側か外側、どちらかに動きそうな予感を孕んでいるよう思う。そして、そのどちらに傾くかわからない、不安定な均衡こそが、依存から治癒しようとする人のリアリティではないか。
「…自分には、」「薬を絶って健全に生活していること自体、とても意味あることに思えます。」と語るマンガ家(彼女の過去をマンガに描こうとしている)の青年は、それに続けてこう語る。「……カーテンを、」「描いていた時のことなんですけど、」「…それまでずっと、物を上手く捉えることができなかったんですけど…」「でも、そのカーテンにある細かな繊維の陰影が、カーテン全体の陰影を成していることに気がついて…」「その時に初めて…」「物をその物らしく描くことができて…」「…確かにそこにカーテンがあったんです。」
 目の細かい角度と向きがその顔の表情を決め、そのコマの意味を決める。依存から治ろうとしている人にとって、すべての瞬間=すべてのコマは、光と影、どちらに転んでもおかしくない微妙な均衡を成し、その均衡に宿る「意味」は詳しく語られないが、少なくとも意志はあるだろう。意志によって陰影は形作られている。その陰影が累積して、物語という長い布地が現れる。彼の描いたマンガは、私たちが今読んでいるこのマンガとよく似ていたのではないか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?