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レモン色の叱責

そのひまわりには妥協が見当たらなかった。

あの黄色も、あの青も、全て必要から導かれてそこに置かれたのだ。エジソンが電球を発明した時みたいに。

上野国立西洋美術館。

フィンセント・ファン・ゴッホの名画の前には人だかりが絶えない。

名前は誰もが知っている。しかし教科書でみたことがあるからといって、わかった気になってはいけない。

実際に足を運んで、本物に触れることでしか得られないものがある。雰囲気がある。圧力がある。

立ち止まらずにはいられない何かがある。


ボコボコとした絵具の厚み。縦と横で交差するような背景の筆遣い。描き直しなぞするか、このひと筆。と覚悟を持って引いたであろう青の一線。

それらから漂う胸が苦しくなるような空気感は、凄腕のカメラマンでも伝えきれないだろう。

あれは美しかった。


黒い部屋に様々な足音がする。周りにいる人はこの絵をどう見ているのだろうか。

聞かねばわかるはずもないが、恍惚としたレモン色の名作を前に、残念ながら涙をこらえて鼻をすすっている変人仲間は見つけられなかった。きっと皆マスクの下にうまく隠しているのだ。

私はこれまで特にゴッホの作品が好きだったわけではない。

どちらかというと印象派の中ならモネが好きだった。以前ゴッホの名作「糸杉」を観た時も、感じるものはあれど彼に傾倒することはなかった。

しかし今回はどうだ。

たった1枚に足がすくむなんて。もう逢えないかもしれないと、出口に向けた足をもう一度引き返して二度観に行ってしまうくらい惹きつけられたなんて。

(描きたくてたまらないんだ)

理性が機能しなくなった頭で、そんなことを思った。

南アルルの太陽を、それに照らされる猛々しいひまわりを、その地を選んだ自らの人生を。そして、これから自分の元を訪れる友、ゴーギャンの歓迎を。

ゴッホは描きたくてたまらなかったのだろう。

溢れんばかりの想いを抱えきれなくて、ありったけの絵具をキャンバスにぶつけたんじゃないか。


敵わないと思った。
私は悔しくて泣いた。


自分はここまで全力で何かを描いたことがあったろうか。

妥協なく、命を削るような音が聴こえそうなほどに、全てを懸けて描いたことがあったろうか。いや無い。喉がカラカラと乾いた。

「お前は甘い」

今もあの輝くようなレモン色が、胸を刺す感触がある。

ただあの黄金だけが、画家とは何かを語り続けている。


こんにちは、はしのです。

読んでいただいて有難うございました。

ゴッホ、あなたは観にいかれたでしょうか。

芸術の見方に「正解」はないですが(というかあったら芸術家側がとんでもなく息苦しいですが)

歴史を踏まえてきたもの、「古典」と呼ばれているものには、ある種の「正解」がある気がします。

さっきの話と矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、それは、

”本物“、”一流”とは何たるか、を学ぶ。

という意味での「正解」です。

歴史の淘汰に打ち勝ち、今なお人々に受け継がれるもの。そこにある必然性。人類が必要としている理由。

そういうものしか出せない”雰囲気”を感じること。

が、我々にとって結構大事だと思っています。

そしてその”雰囲気”は、実際に目の前に立ってみないとわかりません。

百聞は一見に如かず。

教科書でなぞったって意味がないのだと、今回まざまざと感じました。

ひまわり。上野での展示はもう明日で終わってしまうようですが、何か名作と呼ばれる作品に触れる機会があれば、ぜひ足を運んでみて欲しいなーとコソッと思っています。

何を感じるかは人それぞれですが、本物に触れ続けていれば、人生に与えるインパクトは格段に大きいです。ひまわり観たけど特に…という方も、きっと他の作品に胸を打たれる出逢いがあるはずです。あるいはあったはずです。

東京の相田みつを美術館もオススメですよ。

ではでは。