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回転寿司の色んな思い出達

私は高校生になり下宿で一人暮らしを始めた。同じ中学の同級生の女の子と一緒の下宿だった。帰省した時はよく彼女の両親が車で一緒に下宿まで乗せてくれた。そしてその時彼女の家族は私を一緒に回転寿司に連れて行ってくれた。

その頃の回転寿司は皿の色によって値段が違った。100円寿司はまだ無かった。ご馳走される立場の私は一番安い皿を選んでたべた。自分で払うと言っても受け取ってくれなかった。穴子、玉子、かっぱ巻きが安かった。結構そのネタは好物だったし、当時は海老イカ蟹タコ全てアレルギーで食べることが出来なかった。

結婚して自分の子ども達と回転寿司に行く時は常に皿の色に目を光らせて高い色の皿を取ろうとしたら駄目!と指導していた。だんだん子ども達も皿の色を把握して100円から200円の皿を取るようになった。それ以上になる時は私に取ってもいいか?と尋ねた。次男が回転寿司に行くようになる頃には100円寿司が徳島県にも開店して、皆楽しそうに心おきなく100円皿を取って食べていた。

今年の夏岡山で3人の子ども達と回転寿司に行く機会があった。その回転寿司は100円寿司ではなく高校生の頃行っていた皿の色によって値段が違う店だった。たまに皿の色を間違えて高価な皿の寿司を取ってしまい騒いだり皆でワイワイガヤガヤ楽しく回転寿司を味わった。

今年の夏行った岡山の回転寿司は高額だった割に味はスシロー並だったが、今まで行った回転寿司の思い出の中でもベスト3に入る位楽しかった。

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