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コロナ後遺症との闘い

2023年4月21日深夜、次男の身体が突然動かなくなった。指一本動かなくなった。

翌日は自分でなんとか起き上がった。ぎこちないが自分の手を使って薬を服用していた。トイレまでかろうじて歩くことはできた。1週間後には、手をグーバーしたり、足の指をぎゅっと握ることができるようになってきた。
その頃は、母が買い物に行っている間に、敷布団から自力で起き上がり襖を閉めたりできるようになっていた。今から考えれば1週間で随分回復していた。また、この頃は光や音過敏もマシで、少しはスマホも使っていた。

その後、薬の副作用など様々な要因があり、徐々に悪化した。再び手指、足指はピクリとも動かなくなり、光・音過敏が悪化し、暗闇の部屋で音を遮断し生活することになった。もちろんスマホの画面は全く見えなくなった。しばらくは、母が介助し起こし立たせると、部屋のポータブルトイレまでは歩けたが、歩いた後に呼吸困難になったことをきっかけに、だんだんと悪化を恐れ歩かなくなった。
そして次男は完全な寝たきりになってしまった。

その頃の我が子達のグループラインでの会話
次男
「過去、身体の違和感があったのに気づかず、トレーニングをし続けて、ここまで身体を傷つけてきた自分の不甲斐なさとかアホさに目を向けて、自分を傷つけてしまった。慰めてけろ」
長女
「アホじゃないよ。ただ頑張ってるだけだよ」
長男
「俺もアホなこといろいろやらかしてきたけど、だからこそ分かることとか言えることがあるから結果全ての過去を肯定してる」
「じゅんもめっちゃキツいと思うけど乗り越えたら、だからこそ語れることとか見えることがあると思う。それは絶対じゅんの強みになると思う」
コロナ後遺症では、泣いたりしたらダメだけど、この日は、長男、長女の優しさに触れ、次男と一緒にちょっと泣いた。

7月上旬にXで知り合った女性からアドバイスを頂いた。その女性も2か月安静に動かなかったことが原因で寝たきりになったらしい。そして慢性疲労症候群の専門医に診てもらった時、専門医から「長く動かなさ過ぎたね。もっと早く動いていれば、ここまで悪くならなかった。激しい運動は危険だけど、筋肉がなくならない程度の運動は、逆にやらないとダメ。心臓に少し負荷をかけることで、POTSも良くなる」とアドバイスされたらしい。その話を次男に伝え、寝てばかりではなく、起きて座って立ち上がり歩こう!と決めた。
動くことで、後から疲労や身体の変化に苦しむことは毎日のようにあったが、苦しい変化の後には、身体の回復が待っていた。
次男は恐れずリハビリに取り組みはじめ、断薬し、サプリメントを減らし、2か月半が経った。

9月中旬、座位は10分/1回、歩行は400歩/1回くらいは可能になってきた。そして一番回復が遅れている手指、腕のリハビリを頑張った。もちろん手指や腕のリハビリをした後には、苦しみがやってくる。何時間も頭や首や背中、全身に辛い症状が現れる。しかし、次男はもう恐れない。しんどいと言いながら呼吸法をしたり、寝ている時の手の位置を変えてみたり、そして、苦しみが収まったら再びリハビリを開始した。
きっと次男の頑張りは報われると信じて、母子は毎日話し合い、励まし合いながら前へ進み続けた。

10月に入り、上半身は回復しているらしいが、何故か歩けない日が増えてきた。9月には1日千歩位歩けてたのに、11月位から歩いたり座ったり出来なくなった。母としては悪化しているのでは?と心配したが、次男は身体は少しずつ回復していると感じていた。不安だが、次男を信じるしかなかった。

12月に入り、完全に寝たきり状態になった。座ることも難しくなった。しかし、手や腕の動きは良くなっている。不安だが今は我慢の時期だ。毎日を明るく楽しく生きて行こうと自分に言い聞かせた。

お正月は、毎年長男夫婦や長女が帰省し、賑やかに過ごすのが恒例だ。しかし次男の音過敏が酷いので、長女が長男夫婦の住む東京のマンション部屋へ泊まらせてもらうことになった。次のお正月は家族全員揃って過ごせるようにと願った。

結局、11月から翌年1月までの3カ月間はベッドで寝たまま、呼吸リハビリを毎日毎日続けた。目に見える回復がなかったので不安だったが、次男の「身体は良くなってる」という言葉だけを信じて日々を過ごした。完全寝たきりの3カ月だったが、母子で冗談を言い合ってよく笑った。次男のメンタルは安定していた。

2月に入って次男は回復期に入ったように見えた。
2月14日未明に突然自力で起き上がり座った。
その後、ベッドサイドに座って立ちあがろうとする動きを見せ始めた。
そして2月20日自力で立ち上がり直立した。

2月中旬から寝たきりを脱出し、日に日に目に見える回復が見られるようになった。しかし同時に些細なことでメンタルを崩しやすくなった。
何故寝たきりの辛い時期にメンタルを保っていたのに、回復期に入ってからメンタルを崩しやすくなったのか、不思議だった。
また回復期に入り、身体がよく動かせるようになり、ストレッチ運動などをする中で、夕方になると脳が疲れてくる。ネットで調べたら、脳疲労はネガティブな感情を生みやすいらしい。
メンタルを崩した時につぶやく言葉
「焦らずに ひと休み ひと休み」

コロナ後遺症で寝たきりになった次男は2023年5月から噛むことで疲れるようになっていた。
そして、食事を全てスムージー食に変えた。一番悪化した時期はストローで吸うことも厳しく、寝飲みでスムジー食を口に流し入れ飲み込んでいた。

2024年3月になり、やっとお粥の雑炊を食べれるようになった。はじめは、魚、肉、野菜は全てみじん切りにしていた。だんだんと柔らかいものはみじん切りにしなくても噛んで食べれるようになってきた。
そしてお粥を卒業して、ごはんを食べれるようになった。
次男は「やっぱりごはんは美味しいなあ」と嬉しそうだ。

3月中旬になり、スムージー食を卒業し、暗闇の部屋の中をたくさん歩けるようになってきた。しかし相変わらず、光過敏と音過敏が治らなかった。光過敏さえ治ったら、リビングに行けるし、外に出ることも出来るのに。

次男の目に見える回復状況のまとめ
2月14日 自力で座った
2月20日 自力でベッドから立ち上がった
3月7日 自力で畳から立ち上がった
3月12日 自力で歩いた
歩けるようにはなったが、まだ光過敏が治らなかったので、暗闇の部屋の中だけで歩くしかなかった。

そして、3月30日、突然光過敏が軽減された。恐る恐るリビングに出た。窓から外を眺めた。やった〜!!

4月1日 0時30分頃の母子の会話
母  「今日はエイプリル・フールやなあ」
次男 「エイプリル・フールツィートしたいなあ」
次男 「〝我が家のトイレは部屋から200m先にあるから、結構トイレに行くの大変です〟とかどうかなあ」
母  「それなら誰も信じないから良いかもね」
次男 「〝長い間髪洗ってないから、頭から雑草生えてきました〟はどう?」
母  「それ面白いな(笑)」
4月1日に次男が約1年ぶりに本当に出来たこと
・トイレに行った
・リビングの椅子に座って雑炊を食べた
・玄関で靴を履き外へ出た

2月13日まで完全寝たきり、暗闇の生活だった次男。
その後起き上がれるようになり、立てるようになり、歩けるようになった。
3月30日に念願の光過敏が軽減され、リビングに歩いて出たばかりだった。
まさか4月1日に家から外へ出るとは全く想像もしてなかった。
エイプリル・フールに起きた嘘みたいな本当の話。

次男は桜が大好きだ。
3月になり暖かい日が続くようになり、次男は「桜が咲いてしまう…」と焦っていた。
毎日のように「桜はもう咲いてる?」と母に尋ねてきた。「まだ大丈夫」と答えながら、今年の花見は無理かなあ…桜の植木を買って来ようかなぁ…と考えていた。
3月30日 光過敏が少し治ってきた。
     リビングへ出て窓から桜を眺めた。
4月1日 母と玄関を出て、外の風景を眺めた。
4月3日 ひとりで散歩し、近所の小学校正門の小さな桜を楽しんだ。
4月4日 ひとりで散歩し、近所の小学校西門の満開の桜を楽しんだ。
2月13日まで、暗闇の部屋で起き上がることも出来なかった次男。4月の花見が出来るとは想像もしなかった。
今年の桜は一生忘れられないだろう🌸

その後は、散歩の距離や時間を伸ばしていった。また料理を作るのが好きなので、自分の料理は自分で作るようになった。日に日に食べる量も増えてきた。
次男が散歩出来始めて2ヶ月が過ぎた。
歩く距離や時間は着実に長くなっているし、疲れ方も減っているみたいだ。
しかし、母と一緒に出かけたことはなかった。

5月30日、次男が「今からとば作(近所のうどん屋さん)へ行こうかな、いや明日お母さんと一緒にとば作行こうかな」と言った。
次の日、久しぶりに母子で歩いて、とば作へ向かった。
途中写真を撮ったりしながら、ゆっくり歩いた。
次男が散歩出来始めて2ヶ月が過ぎようとしている。
歩く距離や時間は着実に長くなっているし、疲れ方も減っているみたいだ。
しかし、母と一緒に出かけたことはなかった。
子どもの頃から家族で通ったとば作。ちょうど茹で上がったところの麺で、凄く美味しかった。
お腹いっぱいで帰り道、次は何処へ行こうか…なんて話しながら帰宅した。
なんでもないようなことが幸せだと感じる。

寝たきりの時も今も母子は必ず完治すると信じてきた。今も完治すると信じている。

世界にはたくさんのコロナ後遺症に苦しむ人々がいる。
この母子の「コロナ後遺症との闘い」の記録が、少しでもコロナ後遺症で苦しむ人々の手助けになると嬉しい。

次男もコロナ後遺症で苦しむ人々も皆んな、決して諦めず、笑顔で完治への道を少しずつ歩んでいって欲しい。

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