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儘ならないを、在るが儘で、思うが儘に

ワタクシゴトながら、今月19日で30歳になりました。

自分がまだ子どもの頃、30歳の女性といえばそれはそれは立派な大人で、ハイヒールをカツカツと鳴らして都会の人混みの中を颯爽と歩きながらキラキラオーラを放ちまくっている素敵な人なんだろうと半ば夢見心地にイメージしていたのですが。

現実は、瀬戸内に浮かぶ人口約150人の小さな島で、履き潰したぺたんこ靴でわんぱく息子のあとを追って髪を振り乱しながら走り回る、ほぼほぼすっぴんメガネの私ときましたぞ。

子どもの頃の私よ、嘆くことなかれ。夢見た女性とはあまりにかけ離れているけれど、これでもお気に入りの暮らしができているし、こんな自分のことも嫌いじゃないのです。


そう、嫌いじゃない。
ただ、好き、でもない。

正確には、好きになれない、といったところでしょうか。

 ◇◇◇

今夏、一年延期になっていたオリンピックの熱を遠くに感じながら(そもそもあまりスポーツ観戦しないのと、家にテレビを置いていないので)ふと思い出したこと。

日本でのオリンピック開催が決まった当時まだ大学生だった私は、卒業間近の飲み会なんかで仲間たちと「オリンピックイヤーにまたこうやってみんなで集まろうね!」とか「その時みんな結婚して子どもとかおっても不思議じゃないよな〜」なんてことをわいわいしっぽりと話していました。

あの時は「この約束が叶うはず、というよりむしろ叶えてやるぞ!」ぐらいにたぶんみんなが思っていたんだろうけど、それぞれがそれぞれの場所で仕事や家庭を持った生活を営むようになって、どんどん儘ならないことが増えてきて。
お互いの結婚式ですら、仕事が忙しいだとかちょうど出産のタイミングと重なってしまってとかで泣く泣く欠席せざるを得ないこともあったぐらい。

だからこの約束が果たされなかったのはコロナ禍だったことを差し引いても仕方なかった結果なのかもしれないし、今は難しかったけど長い目で見たら案外そのうち叶うもののようにも思えるのですが。


ここからは、自分の話に限ったこととして。

普段の生活の中で儘ならないことに折り合いをつけるために、何かを諦めたり手放したりすることを当たり前にしてしまっている今の自分が、どうしても好きにはなれないのです。

たとえば
「仕事や家事で忙しくて〇〇できない」
「子どもが(と)いるから〇〇できない」
「お金がないから〇〇できない」などなど…

この数年間たしかに幸福だった一方で、個人的に人生打ちのめされるような至極儘ならないことが立て続けに起きて、いつの間にやらポジティブの影も見当たらない言葉たちがいつも心の中に巣食うようになってしまって。

いつも夫と息子の3人家族で仲良く楽しく暮らしていくことを最優先に考えて、自分なりに努力してきたつもりではいたのですが。
ある種の呪いとも思えるこの言葉たちを拭い消せなくなってからは、なりたい自分や会いたい人、やりたいことに欲しいもの、そうした全部を勝手に諦めて我慢して、そのフラストレーションから湧き起こってくる怒りや悲しみを家族にぶち撒けては散々に振り回してしまう、というようなことが多々ありました。

守りたいもののためにやっているはずことが、回り回って守りたいものを壊してしまうって、これじゃあ本末転倒ですよね。ほんと情けない。

自己嫌悪が板に着くほどこのままじゃいけないってずっと分かってはいたけれど、自分ひとりではどうにも変えられなかったのも事実で、前にも後にも進めずに立ち往生するばかりの悶々とした日々の中、足掻けば足掻くほど深く暗いところに落ち込んでいって、その闇から抜け出す方法を見つけられずに長くひっそりと途方にくれていました。


そんな私を、最近照らしてくれた人がいて。
その人に話を聞いてもらって、自分のネガティブなところもみっともないところもまるごと受け止めてもらえて。悩みながらでも失敗をしながらでも思うが儘にやってみて良いのだし、かつての私はそういう人であれたはずで、だからこそ自分のことを好きでいられたんだと思い返すことができました。

だから、自分を変えようと頑張ったり、変われない自分を責めたりすることとは20代と一緒にサヨナラを告げることにします。
30歳という節目を迎えた今から先は、在るが儘の私にもう一度立ち返って、私というものをどんどん開いていこうと思います。
誰かに話すことで今の自分から離れて、好きだった私をまたどんどんと放っていける、そんな気がするからです。

 ◇◇◇

30歳を迎えていちばん初めに読んだ本の一節に、ハッとするものがありました。

 「闇が濃ければ濃いほど、星ってきれいに見えるんだよ。(中略) 嫌なこととか苦しいこととかって、人生の中では、俺、闇の部分だと思うんだ。(中略) でも、そういうのがなかったら、いいことっていうかうれしいこととか楽しいこととか幸せなこととか、光らないんじゃないのかなぁ。ずーっと人生が真昼の明るさだったら、星の存在にも気づけないんじゃないかって、最近よく星見てて思うんだよ」 (小川糸著「蝶々喃々」より)

まだ笑い話に変えることのできない辛かった出来事や思い悩んできた日々があるからこそ、今の幸せをはっきりくっきりと感じることができるのであって。
それは詰まるところ、これまで生きてきた30年間の喜怒哀楽のうちどれかひとつが欠けてもいけなかったんだよって、今ここにある私に言ってあげても良いんじゃないのかな、とも思ったりして。

これでちょっと報われた気になっている私は、ひょっとせずともちょろいもんです。

 ◇◇◇

誕生日ネタからつらつらと思ったことを綴っているうちに、今年最後の一日が始まりました。
私は大掃除をどこまで進められるか、勝負の一日となりそうです。(自慢じゃないけどまだお風呂トイレ廻りしか済んでないよ)

また気が向いたらちょこちょこnote更新していこうと思っているので、今後ともよろしければお付き合い下さいませ。
とりとめもない駄文だったにもかかわらず、最後までお読み下さりありがとうございました。

みなさまにとって、ゆく年くる年が素晴らしいものでありますように。

それでは、良いお年を!

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