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多様性やSDGsを盲信すな!

今日は多様性やSDGsについてワシが思っていることを物申すぞ!

1959年に鹿児島県の大隅半島串良町である強姦致傷事件が起きた。

嫌がる女子を複数の男が拉致して強姦した事案じゃ。

これが全国的に注目された理由は、

ただの性犯罪ではなく、町中で無罪運動が起きたことじゃ。

所謂『おっとい嫁じょ事件」というものなんじゃが、

被告らの言い分は

「おいどんの故郷ではおなごが嫌がってもさらってやっちまい嫁にすればいいという慣習があるんじゃ。嫌がる女がおかしい」

というもので、これに町の人々が賛同し、無罪運動が展開され、

弁護士も「慣習により違法性を認識できなかったら無罪」と法廷で言った。

もちろんこんな言い分を裁判官が認めるはずもなく、

「女性が嫌がってるのに性交した事実は認識していましたよね?なら有罪」

として最高裁で決着がついた。

ワシがこの事件をみんなに紹介した理由は

「多様性」という概念を

このまま社会が本来の意味を飛び越えて受け入れてしまうと、

こうした性犯罪もこれから日本中で起きるようになるし、

鹿児島の例は有罪になったが、無罪になるぞ!ということを警告したいんじゃ。

それは、すでにそれは起きている。

「女子が笑顔をみせたから性交したんだ!俺の国では合法だ!」とか

「女子が会釈したから性交したんだ!俺の国では合法だ!」

と主張した性犯罪の被告がいま、

日本ではことごとく無罪になっておる。

多様性ある社会のなれ果てとはな、

社会に損害を与えるため

封殺されてきた価値観の復活があやぶまれるんじゃ!

纒足(女が逃げないように足の発育を強制的に止める)や首狩り、試し腹、

人類の進歩に有害であるから無くされてきた価値観が

多様性の大義名分のもと復活したら国が壊れるぞ!

多様性とは、既存の価値観や社会規範に損害を与えない範囲という大前提がある。

ましてや明らかに血のついた服を着ているのに

外国人だから警察官が職務質問したら差別になるとかいう話は、

ワシらの社会を傷つけるものでしかない!

同性愛者だから解雇するのは許されないが、

公共の場で同性愛者が性交するのを禁止するのは差別ではない!

多様性とは、誰かの属性に特権を与えることではない! 

勘違いを絶対するな!

SDGsも同じじゃ! 

既に日本にはイナゴの佃煮など伝統的昆虫食があるのに、

あえてそれをせずコオロギを粉末にしてパンに混ぜて

消費者にバレないようにして食べさせることは決して持続可能性ではない! 

ただの嫌がらせじゃ!

持続可能性とは、

既に昔から持続している制度や文化の持続性を破壊して、

あらたなものを押し付けることではない。

そもそも建国から2684年という世界最古の持続性を持つ日本において、

何がSDGsじゃ! 

あのカラフルな円形のバッジをスーツにつけていたおじさんたちはみんな馬鹿だとワシは思っている。

ええか、本当に持続性を持たせるべきはな、

親子という世代間の連続性じゃ。

親が子に対して、言語や文化や歴史や伝統を教えて、

それを幾世代も繰り返すからこそ

人が人たらしめる所以(ゆえん)なんじゃ。

獣は親が子に教えることはない!

狩りのやり方くらいじゃから、獣が獣たる所以なんじゃ。

イギリス庶民院議員のエドマンド・バークという人がな、

その当時革命という大義名分で

王様と王妃様を殺して狂喜乱舞していたフランス人をみて、

次の言葉を書き残しているんじゃ。

「世代間の連続性を失ったならば、それは一夏の蝿に等しい」

蝿は自分の子どもに、遺伝子以外の何ものも伝えないからな。

じゃから蝿なんじゃ。

これは人間も同じじゃ。

人が人である理由は、

まさにこの連続性により

文化と文明を継承し、

人徳をかたち作っているんじゃ。

この意味で、

故郷の何もかも捨て去って

異国の地に来た移民に

道徳も法規範意識もないのは当然だと言える。

大切なのは多様性や持続可能性ではない!

時間を経てもなお絆をもつ連続性なんじゃ!

それをワシらは「保守主義」という。

みんなも保守主義者になろうな!

写真はなんか古くて値段が高そうな絵とワシじゃ。

最後に宣伝させてな!

ワシの新刊『われ、正気か!』が今月24日に発売される。
広島弁でこれからの日本人が世界の荒波に飲まれず生き残るために大切なことを書いた!先行予約してな!

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