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命のバトンを受け取れ!

今日は、なぜワシらがいま生きているのか、

その系譜を改めて確認することを話したく思う。

歴史をよく知らん人のために最初から話すと、

1941年12月から始まった日本とアメリカの戦争は、

1945年2月にアメリカ軍が東京都小笠原諸島に侵攻してくる局面を迎えた。

なぜ硫黄島という島が目標になったかというと、

当時、アメリカ空軍のB29爆撃機は爆弾を積んで丸腰で日本を爆撃していたため、

日本の迎撃戦闘機に落とされたり、

致命的な傷をつけられ帰路に海ぽちゃしていたんじゃ。

だから、B29を守る戦闘機の護衛をつけたかったが、航続距離がない。

ガソリンタンクの限界から戦闘機は遠距離を飛べなかった。

しかし、東京都に近い硫黄島をアメリカが占領すれば、

P51という戦闘機を護衛につけられる。

護衛がいると、日本の戦闘機はまずその護衛と戦わねばならんから、

その間にB29は爆撃ができるわけじゃ。

こうして硫黄島の戦いが始まったわけじゃが、戦闘の詳細は省く。

ただ、どうしても言いたい事がひとつある。

それは、日本軍の地下要塞の建設には、異民族労働者を雇っていたんじゃが、

この異民族労働者が

アメリカ軍に要塞の出入り口など機密を指差しをして教えている様子を撮影した記録映像が残っている。

ふざけた話じゃ。

繰り返すが、この島が落ちると東京が狙われるわけじゃ。

実際、3月10日には東京大空襲がされ、10万人以上の民間人が焼夷弾で焼き殺された。

じゃから、日本陸軍が命を捧げて戦っていた。

命を捧げる理由がそこにあったからじゃ。

しかし、異民族労働者は平気で空気孔や出入り口など要塞構造を教えた。

それが東京大空襲による大量殺人の原因のひとつを全く構成していないとは、ワシには思えない。

負の歴史がある事をワシらはもっと直視すべきだと思う。

さて、硫黄島の戦いは、ひとつの重大な効果をもたらした。

日本軍守備隊20933名はほぼ全員散華(戦死)し、特攻機が乱舞した。

いまを生きるワシは、それだけの命を捧げる意義は果たしてあったのだろうか理解していないかもしれない。

しかし、硫黄島の戦いがあったからこそ、ワシらがいま生きている因果があるんじゃ。

それはな、アメリカ軍の死傷者の割合じゃ。

日本軍2万900人に対し、

襲いかかったアメリカ軍は11万1000人(上陸部隊)じゃ。

5倍の敵と戦い、

アメリカ軍は2万6000人以上の死傷者と死の恐怖による大量の精神障害者を出した。

その割合は23%じゃ。

この数字は、アメリカ軍が創設されてから初めての損害率だった。

ドイツ軍相手でもこんな損害はない。

しかも、アメリカ軍は新兵ではなく、歴戦の強者、あの海兵隊じゃ。

わかるか、この恐怖が。

硫黄島の面積は29.86 km²で、

日本列島の面積は378,000 km²じゃ。

国土のわずか0.0078%を攻撃したら、23%という歴史上初の被害が出た。

こんなの、日本本土に侵攻したら、どれだけの被害がでる? 

そして、その被害を米世論と予算可決権をもつ米議会は納得するのか?

無理。どんな馬鹿でも無理だとわかる。

じゃから、アメリカは日本本土侵攻作戦の立案はしたが、実際にはしなかった。

いや、出来なかった。

じゃからな、ポツダム宣言第12条には

「日本国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且責任ある政府の樹立」

とあり、

これは

「日本の最終的な政治形態はポツダム宣言に従い、日本国民の自由に表明する意思によって確立される」

という、天皇の存在を日本国民の意思に委ねるという連合国による保証じゃった。

硫黄島の戦いが、アメリカをびびらせ、本土侵攻ではない選択をさせたとワシは思っている。

結果、ワシらは生きている。

本土侵攻があったら、ワシらのじいさんもばあさんもまず死んでる。

あの戦いでみんな死んだ意味はあったのだ!

生かされたのだ!

いま硫黄島にはアメリカが作った飛行場があり、

このコンクリートの下にはまだ兵士の遺骨が眠っている。

コンクリートで掘り起こせないからじゃ。

安倍晋三総理はこの飛行場に膝をついて、遺骨を帰らせていないことに涙した。

ワシらがなぜいま生きているのか。

振り返ってな。

命のバトンが、そこにある。

みんなの意見を聞かせてな!
最後に宣伝させてな!

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