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ひとり遊びのススメ #妄想する頭 思考する手

 - 妄想と実体験の間を失敗しながら往復する


「もっと孤独になりたい」
暦本さんの著作「妄想する頭 思考する手」を読んですぐさまそう思った。

ここで言う孤独というのは、人間としての他者とコミュニケーションを取らないという意味に留まらない。非人間的な興味の対象と一対一の豊かで有機的なコミュニケーションを取ることまでを含んでいる。

どうしてそう思ってしまったのか?
何か精神的に疲れているのかと思われては事だ。
この辺りを寄り道しつつ、文章におこしていきたいと思う。

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#クレームは一言で

まず本書で示れている次の言明に触れておきたい。

主張の核(クレーム)は、ワンフレーズで客観的に理解可能な表現でなければならない。

主張を他者に簡潔に伝えられなければ、それはまだ自分自身の主張をきちんと把握できていない証拠かもしれない。
自身の欲求を主張するにしても、ストレートで明確な表現になればなるほど、やりたいことの青写真が実像を結ぶ可能性は高くなるはずだ。
では大切だと感じたエッセンスをワンフレーズで表現してみる。

妄想と実体験の間を失敗しながら往復する

スタート地点は妄想だ。もっと言うと、内なる妄想を自覚し、しっかりと向き合うことだ。他人の価値観ではなく、自分の内側にある価値基準と対峙することが妄想と対話する際の前提なのだ。

以下でこのフレーズを説明するために必要なことを順に記す。


#妄想を抱えていない人間はたぶんひとりもいない

何か面白いことをしたい、何か自分にとって意味のあることをしたい、何か創造的なことをしたい。そういう欲求は誰でもあるはずだ。
暦本さん曰く、

何の意味があるかわからない妄想をまったく抱えていない人間は、たぶんひとりもいない。

そして、その妄想が内なる欲求に応える源泉となる。
妄想の多くは、たぶん恥ずかしくて胸の内にしまっておきたくなるようなものだろう。むしろ、誰にでも披露できるような世間体の良い妄想などあるのだろうか。誰にも簡単に受け入れられるような、毒にも薬にもならなそうな想像は妄想に分類されないだろう。
そうしたある種気恥ずかしい妄想を大切にすることが、あるいは安易に無視したり捨ててしまわないことが大事だ。


#妄想に向き合う準備

妄想に向き合うためにはおそらく準備が必要だ。
自分の欲求を我慢して仕事や日常の避けられないタスクに忙殺されていては、妄想に向き合う以前の問題だ。
少しでいいから取り繕ってきた(あるいは平易な言葉で表現可能な)自分を脱ぎ捨てて、内なる声にしっかり耳を傾けることが重要だと思う。
意図的に日常にゆとりを作る必要はないだろう。そうではなく、日常に存在する感情にしっかり身を委ねるほうが、結果的にゆとりを作れるように思う。

コーヒー飲みたいな、と感じたらちゃんとコーヒーを飲む。
この本ちょっと読みたいな、と感じたらちゃんと開いて適当に気になったところを読む。
カーペットでゴロゴロしたいな、と感じたらちゃんとゴロゴロする。

意味なんかなくても、いや、ないことこそ、内なる自分がそれをやってみたいと思った瞬間を逃すべきではない。
無意識の欲求にそうやってきちんと応えてあげることで、自分の妄想と向き合う準備ができるはずだ。


#大切なこと

さて、妄想と向き合う準備ができたらあとはその妄想に根ざした目標に向け反復試行だ。
その際に不可欠な点がいくつかある。

・まずやってみること
・手を動かし続け、試行錯誤し続けること
・過程で生じる「失敗」をネガティブに捕らえないこと
・具体的な目標や手段に頑なにならないこと

順にコメントをつけてみる。


・まずやってみること
言葉のままだ。
あれこれ考える前にやってみればいい。そうすれば、自ずと何がいいのか悪いのか、どんなことをやってみると良さそうか、勘所が明らかになる。
日常はすでに経験したことの反復によって構成されるから、自然と全てのことを自身の経験から類推しようとする。
しかし、実際には経験知が存在しないことにこれを適用することはできない。創造的な活動には経験による判断が足枷になってしまうだろう。
だからこそ、考える前にまずやってみることが重要だ。

また、鉄は熱いうちに打て、という言葉もある。
モチベーションがある今この瞬間がそれに取り組む最良のタイミングなのだ。あれこれ思案して回り道をしていては、せっかくのチャンスを逃してしまい、いつまでも動けない人生になってしまう。


・手を動かし続け、試行錯誤し続けること
手を動かし続けられるのも才能のうちだ。きっと妄想の多くは、その人の人生に起因している。だから、その人にしかない妄想に突き動かされることは、誰にも真似できない生来の価値の創出だと思う。
本書ではそうした試行錯誤の繰り返しを「神との対話」と表現している。
また、試行錯誤の末にひらめく瞬間をこのように書いている。

手を動かしながら、神様に向かって「こうですか? これじゃだめですか? やっぱり違います?」などと問いかけ続けると、いつか神様が「正解はこれじゃ」とひらめきを与えてくれる。そんなイメージだ。


・過程で生じる「失敗」をネガティブに捕らえないこと
本書でとりわけ気になったフレーズがある。

(失敗自体や失敗を指摘することを悪だと捉える風潮を批判的に取り上げつつ)問題点を共有して一緒に改善していく、むしろ「失敗を褒める教育」をすべきなのかもしれない。

試行錯誤のプロセスは、言い換えれば失敗から学ぶプロセスでもある。
失敗は貴重な経験で、それはその人生にしか存在しない価値だ。
失敗したら学びのチャンス到来と思おう。どう学ぶかだけにフォーカスしよう。このプロセスを回しまくろう。


・具体的な目標や手段に頑なにならないこと
時間と労力をかけて具体的な目標を追い求めていると、いつの間にか具体的な目標が唯一絶対の目標に置き代わってしまうことがある。
あるいは手段にしてもそうだ。やはり労力をかけて手段を成功させると、その先のプロセスはその手段ありきのアプローチしか考えが及ばなくなることがある。

たった一つのゴールのためにひたすらに努力する姿勢は、勤勉だとかプロフェッショナルだといって持て囃されるかもしれない。
確かに、根本的なモチベーションの存在は必要不可欠だ。それを見失って、そもそもなんでこんなことやってたんだっけ?となってしまっては元も子もない。
しかし具体的なステップやゴールは、根本的なモチベーションを参照しつつ、常に見直されて良いはずだ。

事実として仔細なモチベーションは常に変化するものだし、そうしたものと具体的なプロセスやゴールは相互に影響しあうものだ。
だから、はじめに存在していたモチベーションによって導かれたゴールが試行錯誤の中で時間をかけて変化していくのはごくごく普通のことだ。

むしろ、そうやってプロセスの中で目標や手段を適切に見直していったほうが、却って思いがけず面白い体験が待っていたり、期待以上のアウトプットが得られるかもしれない。


#妄想と実体験の間を失敗しながら往復する

冒頭の話題に戻る。
内なる妄想に正面から向き合い、インプットとフィードバックの果てしない繰り返しに埋没していく。
自分と対象物だけの世界は、とんでもなく誠実で切実だ。いつもお互いに嘘をつかないし、お互いのありのままをアウトプットしあう。頑なで緊密なコミュニケーションが実現される。だからこれは孤独な時間だけど、とても豊かな営みだ。

他者とのコミュニケーションは、自分にとって欠かすことのできない生きる糧だ。一方で、孤独になる時間が人生を豊かにしてくれることも経験から明らかだ。中学・高校時代に本の世界に入り浸ることで、この世界以外の無数の世界で多種多様な生や価値観が存在することを知った。
一方でここ数年間孤独な時間を過ごしていないことに改めて気付かされた。今自分に必要な要素は孤独な時間なのではないか?ちょっと変だが、判然とはしない確信がある。

それではたった今、何を妄想しているか?何に向き合いたいか?
やっぱり研究だ、と直感する。それ以外にも興味の対象はたくさんあるが、上の問いを受けて自然と最初に浮かんできたのが研究だった。理由はそれだけだ。
ではワンフレーズで。...と思ったけど未発表共同研究のアイデアの中心を晒すのはさすがにまずいか。
こうした思考の形跡とともに、自分の研究ノートに示しておく。


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実はこの後に「選択と集中」の問題について思うことをまとめていたのだが、文章が冗長になったので以下の別記事に分離した。


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