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ヨーコの言葉シリーズ② 「落っこちるとこまで落っこちたら、あとは上がるのみ」

私の母・ヨーコが世に放った言葉シリーズ2回目。

アイデンティティは音楽しかないと思ってた日々

私が行った高校は、県内1の進学校と言われる学校だった。

勉強ができる人も、勉強以外に秀でている物がある人もたくさんいて、しかもそうした人たちは大体、性格も良いし努力の大切さを知っていて実行もできる素敵な人たちだった。

小中学校の頃の私は周りから頼られることが多かったが、その分、生徒会長とか、目立つこともして陰口言われることもあった。だからそれをもうしなくても良いんだ、と安堵の気持ちがあった。

しかし、高校では周りの人たちがすごすぎて、自分がどれだけ努力してもその人たちと同じようにできないだろうと思ってしまい、アイデンティティが無くなってしまったような気がしてちょっぴり絶望した。また、最初のクラスで隣になった男子が、おしゃれでかっこいいなと思うけど、私の見た目で失礼な対応をとってくる人で、「おしゃれできないと普通に会話する土台にも登れないのか」と自己肯定感が落ちていった。(思春期まっただなかだった)

私が誰かより何かできるもの、といえば、楽器だった。母からどの生徒よりも厳しくピアノを教えられたし、譜読みは早いし、初めての曲でも楽譜を初見で読みながらすぐ吹ける。耳もいい方だったから音程やリズムをどう調整すれば綺麗に整うかがわかった。それができる人の方が少なかったように思う。だから私は、吹くことに打ち込んだ。打ち込んで打ち込んで、できない自分には厳しく接した。

元の自分への戻り方が分からず途方に暮れる

そしたら次第に、吹けなくなってきた。無理しすぎたのだ。

楽器を吹こうとすると、涙が出てくる。そうすると息が安定しないから、スムーズに吹けない。そこで引っかかっているので、さらに難しいことができるようにならない。気持ちが頑張れないけど、そんな自分はダメだと厳しく責めてしまう癖が抜けない。でも、でも、楽器が吹けなくなったら、もう、私ではない。私がいる意味はない。

2ヶ月くらいで11kg痩せた。
朝ごはんは食べたら吐くので、母がいない隙に口をつけていないご飯を炊飯器に戻して平らにならし、味噌汁も鍋に戻した。昼は母が持たせてくれたお弁当を一口も食べられず、飲み物が喉を通らない。夜はどうしたか忘れたけど、「今日はあとはもう寝るだけだ」という安堵感からちょっとは食べていたのだと思う。

自分の見た目が嫌いだったので、11kgも痩せたことは結果として嬉しく、自分に自信が持てたことを思い出す。

自分を厳しく責めることは良くなさそうだが、ではどうしたら、もとの元気な自分にもどれるか分からなくなってしまった。
吹けない自分、うまく立ち上がれない自分、勉強に手がつかず成績が下がる自分。全てが嫌だった。また吹けるようになる、そこまでの道のりを思い、かなり途方に暮れた。

底までいったら、あとは上がるしかいくとこない

「もう、何をどうしたらいいのかわからない。もう何もしたくない」
と、そこらへんで新聞を読んでいた父にふと漏らし、泣きだした。
父は仰天だ。さめざめと泣く妹を見た兄も仰天。
これはやばいと兄は母を呼びに行き、私は煮物を作っていて手が離せなかった母のところへふらふらと行き、同じような言葉を漏らした。

具体的なことが私自身何もわからない状態だったが、母は「あんた、落っこちるとこまで落っこちたら、あとは上がるのみだから、大丈夫だって」と言った。
「プールとかも、底があるじゃない?で、底まできたら、それ以上先には潜れないでしょ?だから、上に上がるしかないわけじゃない?それしかやれることないわけだから、それやってたら自然といくとこにいくっていうか、大丈夫な気がするけどねえ」

「え、そうなの?じゃあ、目の前のことをちょっとずつやれる範囲でやればいいってこと?」と聞いたら、「うん。多分。そうなんじゃないかな。なんか普通に考えてそんな気がするけど」みたいな返答だった。

はあ、なんか、ぐちゃぐちゃ考えてよく分からなくなってたけど、そんな単純なんでいいんだね、と思って、少しずつ、少しずつ、目の前のことを少しずつやって、次第に私は回復した。

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