人は自分の見たいように見る。
多様性とはなんだと考える。
多様性を持つということは、
「他人のことなんて分からない。」
と、諦めることと思う。
ことあそをするなら、
諦めるは明らむ。
つまり
他人を諦める。
というのは、すなわち、
他人との関係を明らむ。
ことになるのではないか。
他者との差を明らかにして、
その差分を埋めようとせず、
その差分を愛する。
差分でお互いを感じあい、
保ちながら生活していく。
どこまでいっても、
自分と他人が溶け合うことなどなく、
他人のことを理解した!などと思ってしまったが最後、
「こいつはこういうやつだ」。
ひとを先入観で見てしまう日々が始まる。
人は自分の見たいように見る。
と、尊敬する友だちが言っていたがその通りである。
最大の理解者というものが、
ときに、人生を狭めてしまうのかもしれないのはなんだか切ない。
分かってくれてると思っていたのに…
こんな言葉、縄文、いや旧石器のころから使われているのでしょう。
ワタシ、ナウマンゾウじゃなくてイノシシが良かったのに…。貴方なら分かってくれてると思っていたのに…。もういい!木の実採ってくるわ。もう話しかけないで…。
遺伝子レベルで分かってほしい、
そんな切ない人間だから、
だからこそ、
やはり他人は他人。
分かるはずがない。
ここから出発するのがよさそう。
分かるはずがないから、なるべく、理解してみよう。
多様性とは、積極的住み分けである。
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