格好がつかない話

最近良くなってきたかなと思ってたんですけど、また上手に生きられないなと思ってしまいました。

楽しいことはたくさんあります。
死ぬまでに絶対見たいと思ってたのに、2年前コロナになる前の来日ライブに金欠だからと言って行かなかったアーティストのライブに行けることになったり
ビービー泣きながら続けてた就活でやっとこさ1社内定をもらえたり
毎週木曜日のバイトが推しの後輩くんと一緒で、おまけに店長も休みで自由気儘にできたり
好きな脚本家×好きな俳優の映画が公開されたり

でもやっぱり上手に生きられないです。
友達と後輩が遊びに行ってたのに誘われてなかった。たぶん絶賛就活中の私に気を遣ってくれたんだと思います。内定がもらえて落ち着いたこと、SNSでおおっぴらにする必要はないかと思って限られた人にしか報告していなかった私が悪いんだけど
ひとりで家で飲みながら都合の良い想像して現実逃避してたのが悲しかった
そのグループラインにも「なんで今!?」「呼べよ!」って返信しちゃって、自分の惨めさを助長してしまって、どうしてこんなにも失敗してしまうんですかね

深夜に返信くれた先輩、好きな先輩なんだけど、「悩みの種って俺のこと?」って言われて後頭部が熱くなってしまった、就活が主な悩みとはいえ当たりだったから
「(悩みの種だという)自覚はある」って言われて、壁に耳あり障子に目あり、盗聴器でも仕掛けられてるのかと思っている

サークルでもそうだし家にいてもそう、どこでなにをしてても本当にダサくて、なにもスマートにできない
一つ一つの仕草言動がダッサって思う、自分で

相談したい人も相談できる人も相談乗ってもらったこともたくさんあって本当にありがたいなと思うんだけど、結局一時しのぎにしかなってなくて、いつまでも同じことでウジウジしてて、同じことで悩み続けている
自分の時間も、相手の優しさも無駄にしている気がしてずっと申し訳ない

特にTwitterの裏垢、素の自分を知って受け入れてほしいなと思う友達だけフォローしてたんだけど、私が能天気に生きていると思われていたのか、私の闇が見えてくると次第に遠ざかっていって、何かいうわけでもなく、フォロー外すわけでもなく、要注意人物として腫れ物を扱うように接してくるようになったのがほんとうに辛い、そんなことしなければよかったと悔やむばかり
別にどっちの私も本当の私です、と思いながら、そんなん重荷でしかないよなと気持ちがわからんでもない

闇の部分も含めて私を知ってほしい受け入れてもらいたいと思う人と、私が見せる前に私の闇の部分を察して受け入れてくれている人は別にいて、前者に強要してはいけないことはわかっているけど、圧倒的エゴで認めてほしいと思う
どれもこれも自分で自分のことダサいなって思って好きになってあげられないことが原因なんですかね

この前友達と話していて、どうしてそんなに自分に自信がないのかと聞かれた
わからんなあ
自分は自分で、自分が好きって思えている人にはきっと一生わからないんだろうなとも思う、
この子はここが秀でている、この子はあの点に長けてるっていうのはすぐに見つけられるし(羨ましいなと思いながらも)わりかし素直に尊敬できる
それよりは頻度が少ないけど、あの子と比べて私はこの点は良い、その子よりこれは上手、っていうのは見つけられる、それはある
でもだからといって自分はすごいという評価には直接繋がらなくて、自分に対しては「そういうところもあるよね、ハイハイ、で?」になってしまう
優しい人は「私はあなたのこういうところが素敵だと思うよ」って言ってくれる(本当にありがたい)んだけど、直接言われたからといって自己肯定感が上がるわけではなくて、むしろそう言わせてしまったことへの申し訳なさが勝つ
どうしてこんなに厄介な性格をしているんだ????中学までそんなことなかったはずなのに

救いようのない妄想癖はあるにせよ、妄想は妄想で現実にはなり得ないとわかっているつもり、人当たりが良い(それは本当、私の秀でたところだと思う)から上手に生きそうと思われながら、実際はずっといつでも常に自分のことダサいなあと思いながら生きてるのが辛い

誰かに面倒くさい人間だと思われるのが一番苦しい

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