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父の七回忌 ~父との想い出と後悔と~

平成26年9月17日に父が永眠してから早くも6年。 令和2年9月に七回忌を迎えました。                     今でもふとした瞬間に父との想い出がよみがえってきます。私は山梨の小さな町で父と母の子として生まれました。初めての子で父からも可愛がられていたらしいです。私の幼少期には仕事帰りにケーキ屋さんに寄って毎日1つだけケーキを買って帰って「お土産!」と言って私に渡したとの事(笑)

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↑↑↑いつもカメラマンだった父なので、珍しいツーショット写真です(笑) 

優しい父の反面、厳しさもあり、お行儀が悪いとよく怒られました💦 (孫にはめちゃくちゃ甘いおじいちゃんでしたがね…😅)その後、ごくごく平々凡々な生活が続くと思っていましたが、私が中学1年生の冬、人生最大なある出来事がおこり生活は一転しました。(この詳しいお話はいつか機会がある時にお話します。)そのある出来事がおこり家族で母の実家である街に移り住みました。父は働いて働いて働いて…専業主婦だった母も働き始めて、私は慣れない転校で気を遣い疲れて帰っても誰も居ない…帰っても母がいるのが当たり前だった生活だったので中学生にして寂しさを感じた事を思い出されます。だけど、私も弟も高校まで通わせてもらえたのは両親に本当に感謝感謝です🙏そんな生活がしばらく続いてはいましたが少しづつ元の生活に戻り、私も弟も就職→結婚→子を授かる事ができました。働き詰めな父も定年を迎えゆっくりした生活を過ごしていました。

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↑↑↑最後のお正月に孫達との写真

今から10年前、健康が取り柄だった父に「腎臓癌」が見つかり、手術をする事になりました。その後は肺に転移して手術と4年程入退院を繰り返していました。入院中に父が自分の事が出来なくなって来た頃から母が毎日付き添っていたので、私は早朝から仕事の時間までと夕方に母が食事と入浴を済ませる時間までを父を看る事としました。肺癌手術後の退院した頃から父がだんだん歩く事も億劫になり、腎臓癌がみつかる少し前から「認知症」になっており記憶が曖昧いになっていました。ですので、車の運転も危ない⚠ので、運転も免許証更新もせずにいました。そんな事もあり病院の通院は、父が通院している病院の門前薬局で働いている私が、時間をもらい車で送迎していました。(とは言っても車で2分、歩いて5.6分に実家があるんですがね…😅) ある日、送迎している時、足が痛いと言いながらも几帳面な父は「あれが、真っ直ぐになってない」だの「これはココに置くとこじゃない」と言い出した父に私は「そんな事どっちでもいいから早くして!」と言うとまだ父はあーじゃないこーじゃないと言うので「私だって暇じゃないんだから、いい加減にして!」と強く言ってしまいました。私も会社に時間をいただいている申し訳なさと、何かと仕事が忙しい時期だったからイライラが募って言ってしまい、後々冷静になってから凄く反省しました。今となっては発した言葉は消えない…そんな後悔が今でも消えません。ただひとつ親孝行出来たのは父の最期を看取る事ができた事。亡くなる当日、私の心の中がザワザワし「今日、仕事をお休みして父の傍にいないと後悔する」と感じ、もう後悔はしたくないし、今日は一日傍に居ようと思った当日です。母がゴミを捨ててくると言って病室を出た数分後に異変を感じて母と看護師を呼びにいきましたが既に息を引き取り私だけが最期を看取ったかたちとなりました。                                               それが今から6年前の平成26年9月17日に永眠。

自宅で介護されている方に比べれば苦労はしていませんが、ただあの時の言葉の後悔だけが残る出来事は、私の中で後悔としてずーっと残るでしょう。

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最後まで読んでくださいましてありがとうございました。


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