自粛警察が目に余る

市民が市民を取り締まる「自粛警察」

「自粛警察」が問題化しています。自粛警察とは、一般市民が一般市民を取り締まる行為で、警察官が取り締まるのではなく一般市民が取り締まる点が特徴です。

自粛警察は、新型コロナウイルスの拡大防止に反する行為に対して取り締まりを強化しています。

自粛警察が問題となった件について一例をあげると、東京都内のあるライブハウスの事例があげられます。

新型コロナウイルスの拡大防止に配慮して、無観客の状態でネット上にライブ配信していたにも関わらず、ライブハウスの近所に住んでいるとみられる人が以下のような貼り紙をしました。

安全のために、緊急事態宣言が終わるまでにライブハウスを自粛してください。次発見すれば、警察を呼びます 

ライブハウス側としては、新型コロナウイルスの拡大防止を配慮するために無観客での営業を行っていたのですが、近所に住むとみられる住民としては「このご時世に客を集めて営業とは何事だ!」という気持ちで貼り紙をしていったのでしょう。

自粛警察の特徴:行動が一方的

自粛警察の特徴は、行動が一方的な点です。

主な行為としては、一方的に貼り紙をして忠告することや、ネット上に一方的に書き込みをして過ちを正そうとすることがあります。

ライブハウスでの事例を見ると、人間同士による直接的な話し合いは行われていませんでした。もし、話し合いが行われていたなら「無観客でインターネットを利用したライブ配信をしているので、新型コロナウイルスが拡大する心配はありません」という内容でお互い納得できたのかもしれません。

あえてうがった見方をするなら、自粛警察は「小心者」ではないかと思えてしまいます。

店舗の入り口に「営業するな」という内容の貼り紙をすると、営業していた店舗としては精神的なダメージを受けてしまうことから、お灸を据えるという観点からは見れば十分な効果があるのでしょう。

しかし、見方を変えれば「面と向かってものが言えないのか?」というツッコミを入れたくなってしまいます。

自粛警察としては、店舗に貼り紙をしたり、ネットに書き込みしたりすることで嫌がらせ的な効果を狙っているのかもしれませんが、これらの行為は単なる姑息な行為にほかなりません。

そのように考えると、店舗を営業する側としては「新型コロナウイルスの拡大防止対策は十分に行っている」という明確な意志があれば、自粛警察の姑息な行動にひるむ必要はないはずです。

自粛警察は「警察」という名前が付いているのだから、コソコソと姑息な行動をせず、話し合いで解決する度胸を持って欲しいと思います。

自粛警察の特徴:自分は正しいと思い込む

そのほか、自粛警察の特徴としては「自分は正しい」と思い込んでいることです。自粛警察が正しいと思い込んでいることは「外出の自粛」に尽きます。

新型コロナウイルスの拡大を抑えるためには、人と人との接触を極力減らすことが有効です。そのように考えれば自粛することは必然といえます。

しかし、自粛警察としては「外出は自粛すべき。外出を自粛しないヤツらは敵だ!」と言わんばかりの行動をとってしまうことがあります。

5月4日、横浜市金沢区にある公園の砂場にカッターナイフの替え刃が20本以上散乱している事件が発生しました。

自粛警察は「公園で遊ぶな!公園で遊ぶとカッターナイフでケガするぞ!外出するなんて問答無用!黙ってステイホームしてろ!」と言いたかったのかもしれません。

しかし、公園の砂場にカッターナイフの替え刃をまき散らすことは明らかに姑息な行為です。外出自粛を行わず、外に出てしまう人を傷つけようとするのは、悪い行為以外の何者でもありません。

「自分が正しければ何をやってもかまわない」という考え方は明らかに間違っています。これが警察という名の付く人のやることなのでしょうか?

そもそも「正しい」という考え方は必ずしも客観的に正しいものとは限りません。むしろ「正しさ」とは主観的なものであることが多く、ほかの人たちから見れば誤った考え方に見える場合もあります。

正しさとは、身もふたもない言い方をするなら、ある人間、またはある集団の人間たちにとって好都合な考え方でしかありません。例えば、昔は正しいと思われていたことも、時代が変われば全然正しくない考え方に変わることは良くあります。

だからこそ、正しさに任せて行動すると、まわりの人たちに迷惑をかけてしまうことも十分にあり得るのです。

行動すべき基準は正しさではありません。行動すべき基準は、まわりの人たちにとって、そして社会全体にとって有益であるかどうか、ということではないでしょうか。

自粛警察は不安でいっぱいなのかも

なぜ自粛警察は徹底的に自粛を求めるのでしょうか。その理由として考えられるのは「新型コロナウイルスに感染したくない!」という一心なのだと思います。

現状、新型コロナウイルスに感染して新型肺炎を発症した場合、ウイルスも治療薬も存在しないことから、免疫力と気力のみで新型肺炎と闘うことになります。

新型肺炎にかかって苦しい思いをしたくない、まわりの大切な人が新型肺炎にかかるなんて耐えられない、という気持ちは良く分かります。

そして、新型コロナウイルスの感染がこれ以上広まらないようにするために、自粛を求めたい気持ちも分かります。

しかし、(自粛を求める気持ち×不安な気持ち)の状態になると、「自粛すべき」という考え方につながり、知らず知らずのうちに自粛警察になってしまうことでしょう。

見方を変えれば、不安な気持ちが強すぎなければ、自粛警察になってしまうことは避けられるはずです。

新型コロナウイルスの拡大を防ぐ方法は、いわゆる「三密」を避けること、マスクを着用すること、手洗いをしっかり行うことです。

自粛警察による取り締まりは効果が絶大なようにも見えますが、自己中心的で姑息な行動になってしまいがちであるため、ただでさえ不安な気持ちに火をつけることになりかねず、社会全体がイライラした状態にもなりかねません。

自粛警察の目に余る行動から身を守るためには、毅然とした行動が重要です。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための対策を講じているのなら、それが正当な理由となるため、自粛警察にあれこれ言われる筋合いはないはずです。

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