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庭が写真行為という認識

これまで草むしりが写真行為、むしり取る行為と認識していたが、そもそも庭自体が写真行為なのでは無いかと思えてきた。

部屋がカメラオブスキュラだという思い込みあるいは認識は横田大輔さんがしていたが、それに結びついているのかもしれない。
部屋が完全にプライベートな空間、つまり、作家の作為のみで成立する写真(横田さんは部屋の中で意図してエラーを起こしているが)とは少し離れているが、庭もそれに近い要素を含んでいる。

空間を線引きや草木で囲い込むが、空が見えていたり隣の家を覗こうと思えば覗けてしまう構造と写真行為、いわゆるカメラを持ち外に出向いて世界と接触する行為が非常に近しいのではないかと。半分外界に接しているという事は作家の思想と世界をコネクトして成果物を作る、もしくは頭の中にある程度存在している要素と出会った光景、意図していない光景をぶつける事ではないだろうか。

凡庸な、何も写っていないとされる写真にも作家の内在的意識と外界がもたらす偶発性が存在しているように、庭にも自身の持つプライベートな空間と外界による変化が混ざり合っている。

作家が完全にコントロールした、外部から見えない状態での写真行為が部屋だとしたら、私の場合はまだコントロールしきれていない、していないので庭であるのだ。

2023.3.14 辻悠斗

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