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memo#1

写真に物語性があるとか写真で伝えるって時点で写真の中でしか完結していないと思う。伝えることはステートメントで書けばいい。写真にメッセージを委ねる時点でメディウムの強度を放棄している。つまり、写真の世界でしか話ができていないわけだ。

別に写真であることを立証できれば何を使ってもいいはずだし。そもそもカメラを使い、紙や画面に出力することは過去の作家たちの仕事があるから写真行為として認識されているわけであってそれにとらわれる必要は無い。
写真の中にある決定的瞬間や画面構成の美学みたいなものも写真に囚われる要因なのか。

究極、提示するメディウムに作家性が宿る必要があるのだろうか。

2023.1.22 辻悠斗

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