お前たちのお気持ちが聞きたいんだ

この期に及んでネットに書き込んでるやつなんて暇人しかいなくて、暇人は地位も立場も責任もないから暇なのであり、なぜ地位も立場も責任もないかといえばつまるところ凡庸だからで、その凡夫どもにアカデミックな実りある議論とやらを期待するのがそもそも高望みだろう。ネットは妖怪どもの怨念と悲鳴を読むところだ。個人のお気持ちを読むところだ。俺の文章がヘタクソなのでアカデミズムは怨嗟よりも高等であるみたいに読めてしまうが別にそんなことを言いたいわけではない。ネットは個人の声のメディアであり、個人の声において主語は「わたし」であるべきで、主語がでかい文章を読みたいなら本屋に行けばよろしい。ネットで読める主語のでかい名文をご存じの向きはこっそり教えてください。

わたしの話をするなら、わたしは差別が大好きです。今日も(昨日か)AmazonMusicが今週のディスカバリーで "Anders Nilsen - Salsa Tequila" を上げてきて俺は完全にヤラれてしまって一日中聞いてたんだけど、ノルウェーのDJがフジヤマゲイシャの調子でスペイン語(メキシコ語?)の単語を過剰な巻き舌でウェイウェイするのってこれ完全に差別だよなあと思いながら、でも一日中聞いてた。ワッカモーレ!ハッラペーニョ!リッキマルティン!ムッチャグラシャス! 俺は差別が大好きです。

宇崎ちゃんのアレについてネットで読む価値のある言説は個人のお気持ち以外にない。俺は刑法175条自体はクソだと思うものの「普通人の正常な性的羞恥心を害し」っていうアレにはわりと同意するので、普通人わたしの性的羞恥心に照らして宇崎ちゃんは全然オッケーですよ、というわたしのお気持ちだし、いやらしくて恥ずかしくて見るに堪えないという普通人あなたのお気持ちで、このお気持ち表明は別に宣戦布告でもなんでもない。わたしはこう思う、あなたはそう感じる、みんなちがってみんないい。普通人の正常は個人の声の最大公約数でありネットは個人の声のメディアであると俺は信ずるから、個人のお気持ち表明を揶揄する立場に俺は与しない。


なので「いやらしい」というお気持ちに対してはもう心から「全然いやらしくないと思います」とわたしのお気持ちをお答えして互いに握手してめでたしめでたしなんだが、女性蔑視とか言われちゃうと、まあ俺じっさい差別大好きだしな、と思う自分もいる。さっきのSalsa Tequilaとか、DA BUMPのU.S.A.とか、まあ差別的なんだけど、でも許して、というのが正直なところだ。宇崎ちゃんは乳がでかくて頬を染めてるので女性蔑視、という意見は正直申し上げて全然意味がわからないんだけど、いっぽうでたとえばベティちゃんはちょっと厳しいかなとも思うし、何が違うんだと言われたらまあ何も違わないっすね、社会が悪い、と主語がデカくなってしまいそうになる。でもそれって本当に俺が悪いんかね? 前にダウンタウンが黒塗りでテレビに出て海外メディアからボロクソに叩かれてたけど、顔を黒く塗ったら差別になるのはあんたがたアメリカさんの不幸な歴史のせいでしょ? それでこっちが怒られるのはとばっちりじゃないですかね? なんか環境型セクハラとか女性蔑視とかいろいろ言われるけど俺そんなセクハラとかしたことないし、すべてのセックスは強姦であるとか言われて育ったけど実際強姦とか全然したことないのに、「21世紀にもなって黒塗りなんて人権意識なさすぎ」「そもそも笑いとして全然面白くない」とか散々言われて、そういうのは奴隷狩りしてた連中に言ってくれよ、おもんないとか大きなお世話だよ、とは思わないでもない。

でもまあそれは売り言葉に買い言葉で、俺は30超えてもまだ男というより女子供で、セクハラとか強姦とか、職場で相手を性的に値踏みする奴とか、普通に嫌いですし、そいつらの味方したいわけでは全然ないどころか、そういうボケナス共のせいで俺がベサツジョークを愉しめなくなることに怒りと恐怖を覚えておりますので、環境型セクハラとか女性蔑視みたいな大上段の言説には殊更カマトトぶってボク強姦とか全然したことないですけどと返しつつも、個人のお気持ち表明には売り言葉に買い言葉にならず、寄り添っていきたいと、思うわけだ。



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