高木さんの唄

からかい上手の高木さん Cover song collection がヤバい、という記事をたまたま目にして(https://togetter.com/li/1264233)、「懐メロのイモいアレンジをアニメの女の子が歌ってオッサンが撃墜される」っていう構図がとても良い話だなあと嫌味でなしに思ったのです。最近の曲なんかもうクソみたいな曲だらけさ、とかなんとか嘯いて背伸びして洋楽聞いてた連中が、10年後になんかアニメの企画で声優のヒトが歌うMONGOL800にコロっとヤラれてしまう、って全然悪い話じゃなくて、むしろめちゃめちゃハッピーエンドだと思うんですよね。(いろいろ認識が雑なのは勘弁してほしくて、俺が中高生の頃はまずYouTubeが存在しなかったので音楽は有料だったし、俺は筋肉少女帯とかアイアンメイデンとか聞いてるボンクラだったし、クラスの背伸びして洋楽とか聞いてる連中にしても洋楽ったってエアロスミスとかだったし、まあ連中だって別に背伸びしてたわけでもないんだろうしエアロスミスを馬鹿にする気も毛頭ないんだけど、まあわかってくれ!あるでしょそういうの!)

この高木さんのお歌に引き起こされる情動のうちの何割かが郷愁であることは確かなんだが、しかし俺は中学高校と男子校だったし、90年代J-POPもゼロ年代邦楽も全然聞いてなかったし、だから言ってしまえばこれはノスタルジーの捏造であって、捏造という言葉がまずければリテラシーと言い換えてもいいが、つまり人間はある一定の年齢に達すると、経験していない過去を懐かしむ能力を獲得する、ということ。昔の俺はここのところが理解できていなくて、だから現在を積み上げることをせずに一足飛びで懐古と感傷を獲得するために胡乱な努力を重ねていたし、手に入れることのなかった過去を数えて一人悶々とする夜も一度や二度ではなかったけれど、しかしそんな俺もやがて20になり30になり、あたりまえのようにノスタルジーを愉しむ能力を獲得していた。ふりかえってみれば馬鹿馬鹿しい、何も心配することはなかった。人は存在しない過去を、経験していない過去を、懐かしむことができる。

老いというのも別に悪いことばかりではなくて、という言い草があるけれどもあれは本当にそのとおりで、それは経験とか年の功とかそういう話でもなく、たとえ老化が劣化とイコールだったとしても、老いるのは悪いことばかりでもない。子供がピーマンを嫌いなのは味覚が鋭敏すぎてピーマンの苦みを毒と感じてしまうからであると何かで読んだけれど、それでいくと僕たちはそうして味覚が劣化してきたからこそピーマンも美味しく食べられるようになったし、「子供にはわからない味」とかホザきながらサンマのハラワタを肴に一杯やることもできるようになったし、若い子たちがデスゲーム映画に熱狂する隣でクソみたいなノスタルジーまみれの映画を見て、存在しなかったはずの過去を懐かしむことができるようになった。たとえ老いが劣化でしかなかったとしても、こうして昔は楽しめなかったものを楽しめるようになることが祝福でなくてなんだというのだろう。

映画の好みも年齢とともに変わってきていて、若いころは映画といえばSF超大作が好きだったけれども、だんだんとコメディのほうにシフトしてきた。なんといっても見終わった後に幸せな気分になれる映画がいいし、だから一時はラブコメばかり見ていたように思うけれど、恋愛要素のある映画は幸せ曲線が頭打ちになった中盤から終盤にかけて判に押したように行き違いや仲違いが始まるので、それすら若干苦痛に感じるようになった最近は恋愛要素ひかえめのfamily reunionモノが好きである。まあ言ってしまえばマンマミーアみたいな、This Is Where I Leave YouとかFather Figuresみたいな、なにかの切欠で疎遠だった家族が一堂に会して一緒に過ごすうち知られざる過去の再発見を通じて家族の絆を再確認、みたいなしょうもない映画を見てボロッボロにボロ泣きするのが最近の映画生活です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?