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不破ふわおプロフィール

目次

①現在の活動 ②簡易自己紹介 ③略歴
+追加コンテンツ(クソ長ヒストリー)

①現在の活動

世田谷区の発達障害当事者や軽度ひきこもり向けイベントのファシリテーターや講演の講師や自閉症啓発イベントのMC等
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東京大集会「生活の場の確保について」
世界自閉症啓発デーオンライン生配信イベント

マイノリティ全般やHSP気質があったり引きこもり経験者や発達障害等のグレーも非当事者も大歓迎な当事者会的交流会の企画
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ふわふわ企画団

社会人も学生も初心者も未経験者も経験者も趣味として楽しみたい人もプロ志望でもとにかく大人になってから演劇を楽しみたい人達の為の演劇部
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大人演劇部おとえんぶ

等々、様々なことをしています。

自分が発達障害の診断をもらっていたりHSP気質で人の輪に入るのが苦手なので、そういう人達も入りやすいように心掛けています。

【追記】
映画「チャンピオンズ(吹替版)」に声優として参加させていただきました。
アマプラ・U-NEXT・hulu・ひかりTV・Apple TVで配信してるらしいです!
アマプラでは「チャンピオンズ(吹替版)」と検索したら出てきました。
https://watch.amazon.co.jp/detail?gti=amzn1.dv.gti.55729e5e-ec5a-426c-8625-59c5d1db9a87&territory=JP&ref_=share_ios_movie&r=web
自分はメガネで黄色い帽子の人の役をやっています。(予告編にも出ています)
障害者のバスケチームの話で、実際の俳優も、吹替も、障害を持っている人達が演じています。
障害を持ってる人にもそうでなくとも生きづらさを感じてる人にも見てもらいたい作品なので、よかったら是非

その他、過去の出演動画はこちらをクリック。

②簡易自己紹介

過去に、アンチによる粘着的な悪意のある攻撃やSNSアカウントの乗っ取られやなりすましされての悪評の振り撒き等を経験。

人間不信に陥り、死にたいと思いながらも死への恐怖が勝り死ねないという毎日を過ごす。

その後、半年程の引きこもり生活の後になんとか立ち直る。

今は、失ったもの以上に何かを得られるように色々な活動を再開中。

今も思い出したかのようにそのアンチからのいやがらせのような行動はあるし、表に立って活動をしていると事実の確認もせずに色々と勝手な噂や悪口を信じてバッシングしてくる人達もいるし、その都度しんどい苦しい思いもするが、それも、過去の経験も、全てが自分の糧となって今は心も強くなれたのではないかと思っている。

上記の経験の他に、発達障害の診断があり、HSP気質で、色々な生きにくさを感じているが、それでも楽しく過ごせるように今は前を向いて活動し、同じような生きにくさを抱えていたり苦しみを経験している人に何か与えられないか模索中。

人を責めたり攻撃をしたりする人達や自分を嫌うような人達のことは避け、自分を好いてくれたり慕ってくれる人達や仲良くしてくれる人達ことを想い、人それぞれ、その時々、と色々な側面から人や物事を考えたい。

そんな人間です。

③略歴

声優を目指し上京。

演技ワークショップ団体を立ち上げて現在まで10年以上続けている。(2009年11月〜)

自分の劇団を立ち上げる。(2010年夏)

教育関係の会社の進路に関する劇の企画に役者として関わる。(2013年)

進路劇の企画のリーダーのポジションに付き演出や脚本脚色やキャスティング等を担う。

目標であった芝居関係の仕事だけで食っていけるという状況を叶えそのままこの仕事を続ける。

会社内での企画等にも参加する立場になり、芝居関係以外の仕事をやらされそうになることが増える。

そのストレスからクリニックに駆け込み発達障害の診断を受ける。

その診断を会社に伝えやりたくない仕事を回すとお互い損をすると説得し仕事のストレスはだいぶ解消される。

しかし仕事先で知り合った女の子と付き合っていたこともあったり色々仕事上の不都合を起こしクレームとなってしまい退職。

その後数名のアンチやなりすましによりあることないことSNSで拡散されたり周りの人に粘着したりされる。

役者としての活動の妨げとなり役者としての活動も困難になり周りの人もその飛び火を避けるために離れていく。

人間不信になり精神的に大きなダメージを負い半年程ひきこもりのような生活をする。

元の芸名である山本春王の名での役者やエンターテイナーとしての活動を辞める。

山本春王の過去動画についてはここをクリック

芸歴や活動歴はこちらをクリック

元来の飽きっぽさからかなんとかひきこもり生活から抜け出しまた何かしらの活動を始めようとする 自分が発達障害だということひきこもり経験をしたことからそういった人を対象とした活動が出来ないか模索。

発達障害というものを知るきっかけとなった知り合いから発達障害×演劇のイベントを企画している人を紹介 してもらい演出や総合アドバイザーとしてイベントに関わらせてもらう。

その後コンセプトバー企画のファシリテーターや講師としての仕事を依頼されたり自分で交流会を企画したり自分でコンセプトバー企画を開催したりシェアカフェの運営や夜の部のマスターを任されたりと順調に自分の したいことに向かって進んでいく。

同時期、知り合いがコンセプトバーをやるので手伝って欲しいと言われ手伝うことになっていたのだが、前日に その知り合いが明らかに自分に対しての文句や悪口と捉えられることを書いていたことが発覚、話をして手伝い は降ろさせてもらうことに。

前日、他にも精神的なダメージの大きい出来事もあり、当日はひとりでいるのが辛く、知り合いの何人かをカラ オケに誘うが、その内の一人が手伝う予定だったバーに行くつもりだったらしく、そこで、手伝いをドタキャンしたのにありえない等の話題で主催者と盛り上がっていたらしく、さらには、何人かを軽く誘っただけなのに、 しつこく誘われたと触れ回っていたらしく、それを信じたその場にいた知り合いが揃ってこちらを責めたるよう になり、またも事実でないことをSNSで拡散されてしまい、再び人間不信に陥る。

コロナの影響で任されていた店もオーナーの移行により休業し、途方に暮れる。

しかし二度目の風評被害のためか、それ自体のダメージは大きくなく、人間不信に関しても、ちゃんと付き合う 人を選ぼう、自分を信じてくれる人だけ信じて、自分を信じてくれないような人達は不信で問題ない、と前向き にもなり、元来バイトや好きでもないことを仕事とするのが嫌で、好きなことを仕事に出来るようなってからは、 もう二度とバイトなんて嫌で出来ないだろうなと思っていたが、二度もネットで被害を受けこんなに大変な思い をしたのだからそれよりは好きでもない仕事でも苦痛が下なんじゃないか、と思い仕事探しをしてみる。 その中でも今までの自分の経験を踏まえ、自分に向いてそうな仕事を探し、面接を受け、その仕事を始める。

多少の苦労はありつつも、やはり今までの苦痛に比べると苦という程でもないと感じる。

現在、仕事をしつつ、ワークショップを再開。

今後も色々な活動を再開させていこう新しいことも企画していこうと模索中。

エクストラステージ(笑)

ここまで読んだ強者に用意した追加コンテンツ(笑)エクストラステージ。
相当長いので余程俺の事を知りたい奴しか全部は読めないであろう難関クソ長ヒストリー。
略歴より更に細かい内容が書いてあります。

山本春樹、過去の活動名は山本春王、現在の活動名は不破ふわお。

高校生の頃は、オタク気質と内弁慶さと思春期のこじらせにより、クラスの人に話しかけることが出来ず、友達が 1 人も作れなかった。

まだスマホもなく携帯も持っていない時代、休み時間と昼休憩は机に突っ伏して寝ているか寝たふりをしている かの二択、三年間ずっとそのように過ごして来た。

しかしそれでも何とか学校には通い高校を卒業し、オタクだったこともあり興味のあった仕事、声優を目指そう と思い専門学校へ通うため上京。

専門学校時代は、内気な自分のままでは声優の夢など叶えられない、という強い意志を持ち、当時の自分の中で 出来るだけ積極的に色々なことに挑戦しようと、自分でボイスドラマの脚本を書いて有志を募り録音し先生の力 を借りて FM ラジオで放送してもらったり、演劇サークルの副部長として活動したり、先輩や講師の伝手で舞台 に出たりコンサートのバックコーラス等も経験したり、それなりに活発に有意義に学生生活を送っていた。

専門学校卒業後はバイトをしながら荻窪の小劇団に入団し、舞台役者としての経験を積む。

小劇団時代は 2・3 ヶ月に 1 回くらいのペースで舞台出演をして、順調に経験は積んでいっていたが、だんだんと先輩が辞めていき 2 年後には自分と同期達が 1 番上の先輩となってしまい、もはや上から学べることがなく、 小劇団で舞台をやっていても稼ぎにもならないということもあり、その劇団は退団した。

その後、一度普通に働いてみようと、役者としての活動を休止し、子供が好きだったので保育園でのアルバイト に応募、受かってそのアルバイトのみに専念。 大変な仕事であったが、深夜勤でバイトをしながら毎日のように稽古や自主訓練に明け暮れた小劇団時代に比べ はるかに楽だった。

自分は何故わざわざあんな大変な思いをしていたのだろう、とさえ思った。

しかし中毒性があるのかなんなのか、1 年程役者の道から離れていると、やはり役者の道や声優の道が忘れられ ず諦められずの思いが生まれ、保育園は辞め、舞台に出演したりボイスドラマ企画に参加したり声優の養成所に 通ったり、舞台や声優にこだわらず色々な道を知ろう学ぼうと、映像メインの事務所に入りドラマや映画での脇 役やエキストラでの出演や再現 VTR への出演、お笑いコンテストへの出場なども経験した。

映像の仕事は基本的にギャラありのもので、とはいえ生活が出来るほどの収入には程遠いが、少しは芸能活動で お金を得たことにより、愚直に小劇団で頑張っていたことに疑問を抱いていった。

しかし、経験していく中で、自分のやりたいことは映像芝居ではないな、ということから映像の事務所は退所。

大変でもなんでも、自分のやりたいことをやろうと思い直した。

声優の養成所はその後に入ったのだが、そこは事務所付属の養成所で、半年毎に上のクラスに上がれるかどうか の査定、オーディションがあった。

毎回合格し順調に上のクラスへ上がって行き、準所属のひとつ手前のクラスに来た時にあることを思う。

・・・周りのみんな、そこそこうまいよなぁ、と。

自分も未経験からのこのクラスならまだ頑張ろうと思えたが、すでに色々な経験を積みそこそこの自信を持った 上で、せめて所属まではノンストップで行くつもりだった。

しかし、所属の手前の準所属のさらに手前のクラスで今こんなことを感じているようでは、とうてい無理だな、と、思ってしまったのだ。

そこから養成所の所長に相談し、退所させてもらおうと思った。 しかし、新しい期は始まったばかりで、すでに半年分の費用は払ってしまっていたこともあり、所長から、休み ということにしてレッスンは来なくていいから、半年後の査定オーディションだけ受けてみて、その結果を見て 考えてみてはどうか、と提案され、そのようにすることにした。
良い所長であった。

レッスンを休んでる間、声優にこだわらなくとも芝居の道で食っていきたいという思いは残っていたこと、半年 後の査定オーディションにはそれなりにちゃんと望みたいということ、演出というものを経験してみたいという こと、単純に今のままでは何を成し得るにしても練習が足りていないだろうということ、様々な理由から、自分 で練習団体を立ち上げ演技ワークショップを不定期で頻繁に開催するようになる。

半年後、査定オーディション、受かって準所属になったら事務所に残ろう、受からなかくて現状維持なら辞める こととしよう、と決めて、結果は予想外で、準所属のひとつ手前に新クラスが設立されたのでそのクラスに合格 しました、というもの。

少し悩んだが、受かって準所属になったら、と決めていたこともあり、その条件は達成していなかったので事務 所は辞めることにした。

退所後は、ワークショップを開催している中で、演出に強く興味を持ったことと、自分が主宰として何かをやる 方が性に合っていると判断し、演出や主宰としての経験値を上げることをメインにワークショップを続けた。

そんな中、ワークショップメンバーの中で、舞台をやってみたいという者数名と脚本をやりたいという者の声が 上がったので、劇団立ち上げを検討。

実行に向け、知り合いの劇団の演出助手として参加させてもらったり、知り合いが立ち上げる劇団の旗揚げ公演 に参加したり、その他、必要と思われる知識や経験を積んで、自分の劇団を立ち上げる。

自分の劇団では、主宰である自分の希望により、安価で舞台が見られるワンコイン公演。脚本志望の者による希望 により、年に一回長編本公演。団員の希望で、学童や保育園での子供向けの公演。等を続け、2010 年 11 月からおよそ 2 年半。
旗揚げ時には出演者の 8 割が初舞台で、舞台をやりたい、というのが当初のみんなの目的だったが、2 年半の色々 な活動によりそれぞれのやりたい方向も決まってきて、それぞれのやりたいことをやるため、実質解散。

自分はその中で、学童や保育園や商店街での活動、ただのエンターテイメントとしての演劇よりも何かとコラボ したり誰かの役に立ったり自分のやりたいという気持ちと他の人のやって欲しいという気持ちがあっての芝居 をしたいと思い、劇団の名前を変えて、賛同してくれる人に残ってもらい再出発。

また、劇団名が変わる前からそんなようなことを思っていた自分に、劇団員のひとりが、とある登録制バイトの 募集記事を発見し教えてくれて、それが後に芝居関係の仕事だけで生活出来るようになるきっかけとなる、高校 生向けの進路に関する演劇の仕事だった。

その仕事は、教育事業全般を手掛ける会社の企画のひとつで、自分が入った頃は役者も少なく、役者の演技力も 芝居のクオリティも低く、仕事自体も月に 1・2 回、といった程度だったが、劇団主宰や演出を経験した自分は そんな部分に対し、演出家や会社に口出しをし続けたり、何とか役者として高校生や先生に好評いただけるよう 努力をしていった結果、その時の演出兼演技指導員が辞める際にその立場にしてもらったり、その後も会社には 色々な口出しをしたり役者陣と会社側の間に立って会社側に色々な提案をして、最終的にはその会社と顧問契約 を結び会社の中でも演技関係の企画をしたりするようになる。

ちなみにこの仕事は、芝居関係の収入だけで生活を出来るようになる、という自分の目標を叶えることも目的で はあったが、それ以上に、悩みを抱えた高校生の相談に乗ったり、学校生活の中で苦痛を感じている人の楽しみ や支えになりたいという気持ちも強かった。 高校生の頃の過去の自分を思い返し、自分が高校生の時に、こうして突っ込んでお節介を焼いてくれたり、大人 として仕事としてではなく、お金とか見返りとか関係なく行動してくれる人がいたら、あの頃の自分も心を開き 救われていただろうな、という勝手な想いではあるが、そんなことも頑張る理由となっていた。 相談とかそういった個人的なやりとりは、当たり前といえば当たり前だが会社からはよく思われていなかった。

しかし自分はそれがしたくてこの仕事を続けているということと、自分が辞めたら困るという立場をいいことに それを辞めろというなら会社を辞めますと言い続け目を瞑ってもらってきた。

相談だけではなく、相談から発展して告白されて付き合うことになってしまったりということもあった。
付き合うこと自体はお互い本気で好きになってのことなので本人達的には問題はなかったのだが、会社的、社会的、常識的には問題視もされるし、会社にばれたら首という覚悟もあってのことだった。

そしてその仕事を 5 年程続けた頃、大きなクレームを受けてしまい、会社を実質首になる。

付き合っていた子が原因ではない。 親身に相談に乗っていた子が、実は不快だったと親に話したらしく、それが高校に渡り、クレームになったとの ことだ。 内容を見返してもとても不快に思ってたとは思えなかった、一つの悩みが解決してしばらく連絡をしていなくて もまた向こうから悩み相談が来るような感じのやりとりだった。 何故この子はこんな内容のやりとりをしておいて、こんな人の仕事を失うようなことを出来るんだ・・・。

その時はそんな風に思ったが、そもそも会社のルールを破り個人的なやり取りをしていたこと、何かあったら首 になっても仕方ないという覚悟の上で相談を受けたりすることを続けていたこと、そんなことを自分に言い聞か せ、仕事を失ったショックはありつつも、仕方ない、悔いはない、と自分を納得させた。

今思い返せば、おそらく、その子から親、親から担任の先生、担任の先生から生徒指導の先生、生徒指導の先生 から教頭、教頭から会社、と伝言ゲーム状態だっただろうから、その子が実際親にどんな風に伝えたかは定かで ないし、親や先生の偏見や先入観で捻じ曲げられた部分もあるかもしれない、とも思っている。

しかしながら、このあとの出来事で、どんどん人間不信に陥っていく。

山本春王という役者は仕事で知り合った女子高生に手を出して断られ暴言を吐き性行為を強要した性犯罪者だ。

と、SNSで明らかに嫌がらせのために作ったであろうアカウントにより事実と異なる噂を拡散される。

手を出して、という部分は言い方は不本意だが事実。なので全て嘘とは言えないがそれにしてもひどい風評被害に晒された。

仕事を辞めた直後は俺を支えようとしてくれる人達もいたが、そういう人たちへDMを送ったり俺への嫌がらせ は執拗に続き、残ってくれようとしてくれていた人達も軒並み離れていった。

それに便乗したのか知ったような風を装い勝手な想像で俺のことをあれこれ言うアカウントや俺の名前を語るようなアカウントも出てきた。

それらのアカウントの主を探り発覚した人物は、表では俺に対して文句も言わずにいい顔をしていた当時の演劇 の仕事の部下だった。

他にも、勝手な想像で知った風に事実でもないことを語るアカウント、偽物としてあることないこと書き込んで いるアカウント、そんなものも出来ていて、どれも探ると慕ってくれていたと思っていた人達だった。

そんなこともあり、人も離れていき、完全に人間不信に陥り、精神的不調から劇団も辞めた、今までやってきたことも全て辞めた、必要な買い物等以外はほとんど外に出ないような生活を半年ほど続けることになる。

その数ヶ月は毎日のように死にたいと思い、しかし怖くて死ねない、そんな日々だった。
しかし元来飽きっぽい性格、そんな生活に飽きたのか、また外に出たい何か活動したい、と思い行動を始める。

自分が高校の時クラスに友達がいなかったこと、発達障害だったこと、ひきこもりのような生活を経験したこと、人から批判や攻撃をされるような経験をしたこと、そして今までやってきたこと、これらのことを踏まえ、似た ような辛さを感じている人達向けに自分のスキルを利用して何か出来ないか、そんな風に考えた。

そんなことを模索し始めてから、知り合い伝手で、発達障害を題材にした漫画を舞台としてやりたくて演出やアドバイスをしてくれる人を探している人がいるからやってくれないかと声がかかる。

劇団は辞めたがワークショップは再開していたので、ワークショップの面子何人かを引き連れ参加することに。

しかしそこにもアンチからの嫌がらせがあったようで、そのメールの内容を見せてもらった。 そこにはその本人から、さっき上げたような俺の情報と、自分も障害者向けに活動をしているので自分を使った方がいい、というような内容が。

その時も、あれから半年以上経つのにこうして俺の情報をチェックして風評被害をもたらそうとしているのか、 いつまでもこれはついて回るのだろうか、という恐怖や不安と、そうかこの人は自分がやりたいことを俺という 嫌いな奴がやってたりするのが悔しいのか、とか、自分を磨くのではなく人を下げることで自分のやりたいこと を実現しようとしてるのか、とか、そんな嫌悪している俺をずっと監視し続けるなんて、なんかかわいそうな心 を持っているのだな、と感じてしまった。

そして、また活動をしていく中で、ちゃんと俺を信じてくれたり頼ってくれる人達も慕ってくれる人達もいるし、 数名のアンチに心を乱される必要なんてない、自分が堂々としていればそれでいい、それでも嫌う人や、そんな 明らかに悪意のある書き込みをしているような人の言うことを信じるような人なんて離れてもらってもいいし、 飛び火して離れていってしまったのは悲しいけど、それでも繋がっていてくれる人達を信じていればいいんだ、 自分が嫌だと思う人より好きだと思う人達に労力や目を向けた方がいいじゃないか、ということに気が付いた。

それから、演技のワークショップも続けつつ、とあるミュージックスクールの講師に応募し演技講師やプレゼン 等の講師として委託契約をして週に 1 回程仕事をしたり、知り合いから発達障害の子供たち向けに演技のワーク ショップをやってくれないかと頼まれ講師の仕事をしたり、自分が主宰で発達障害の人やマイノリティな性質の人達メインの交流会を毎月開催するようになったり、そんな中で本音や弱音と向き合うワークというものを開催 したり、人生のしんどさをコンセプトにした 1 日バーテンをやってくれないかと頼まれバーテンに挑戦し、その後も自分なりのテーマで 1 日バーテンをやってみたり、そんな中で家の近くで 1 日バーテンも視野にいれた貸し 出しシェアキッチンが出来たという情報を得て、そこのオーナーと話しに行って、家も近いし手伝わせて欲しい ということと、自分のやりたいことや企画を考えてプレゼンして気に入ってもらえて、貸し出しの無い平日夜の 時間を無料で貸してもらったりシェアキッチンの運営も手伝うことになったり、今までやったことのないことに も色々と挑戦した。

そんな中、そういった経験からか、交流会に来ていた人から、自分も 1 日バーテンをやるので手伝って欲しい、 と打診があり快諾。

しかし、前日になり、その人がおそらく自分の悪口だと思われることをツイッターに書き込んでいることが発覚 し、話し合うことに。

話し合いの結果、相手が納得し和解したように思われたが、その直後にすぐまたその話し合いについての不満を 書き込まれる。

会った時や話し合いの時はあんなにいい顔いい雰囲気で話すのにこんなことをする人なのか・・・と、しばらく 気にもしていなかったアンチのことを思い出して、また少し人が怖くなる。

そんなこともあり、やはりそんな人とは一緒に出来ないと断る。

その日は他にも精神的に大きなダメージを受けたこともあり、その日に遊べる人と募って来てくれた数人に対し 手伝う予定だった当日に空いていたらカラオケに行かないかと誘う。

そのうちの1人が当日そのバーに行く予定で、実際に行き、前日に急に呼ばれてすごく待たされたりほっとかれ たりした上、今日しつこくカラオケに誘ってきた、とそのバーの主催者に話し俺の悪口で意気投合、周りの人に あることないこと触れ回っていたということをあとから知る。

待たせたりほっといたのは事実だが、元々ツイッターにノープランでダラダラ適当に集まれる人を募集しており、 その日は色々あって待たせたりしてしまうけど嫌だったら途中で帰っていいということも自由に行動していい ということも伝えてあるし、カラオケも誘って予定あるということだったのですぐ諦めたのに何故そんなことを 言っているのかわけがわからなかった。

今考えれば、待たせたりほっといたりしたことが不満だったが言えず我慢していてそういう鬱憤が溜まっていた のかもしれないが、それでもひどいと思う。

そしてタイミング悪く俺のツイートや告知を見て来たお客さんが問題を起こしたらしく、その場にいた知り合い からもすっかり俺が悪者扱いされ、ほとんどの人が俺の言葉を聞いたり事実を知ろうとすることもなく責めたり 攻撃的な言葉を投げかけてきたり悪口を言っていたり。

同じような悩みを持っているが故に理解してもらえることも多くてありがたいと思った仲間たちも、その時は、 精神的不調や多動性衝動性について理解どころか聞く耳も持たず想像もせず。

俺はそんな人達に嫌気がさしてしまったが、二度目の人間不信、自分を信じてくれる人達だけ信じて、そんな人 達は別に不信になってもいいじゃん、という心持ちで、前ほどふさぎ込むことはなかった。

そんな中、コロナの影響で平日夜にやってた店も営業できなくなり、前よりはふさぎ込まなかったとはいえ色々な精神的な疲れも感じていたので、それを機に色々な活動も、自分で主催していたものは全部休止。

仕事として依頼があったものだけやるようにした。

前の仕事を辞め、約二年間、講師の仕事等でたまに収入はあれど基本的には貯金の切り崩し生活。 講師、ワークショップ、交流会、バーテン、お店の運営、どれかが続けているうちに収入に繋がればいいなとは 思っていたが実際は大きな収入になることはなく、そもそも全て休止。

そろそろバイトでもなんでもいいから最低限の収入を得ねばなと思いつつ、今まで自分のやりたいことばかりを やってきて、やりたいことを仕事に出来るまではバイトもしていたとはいえバイトは気分の問題かもしれないが 毎日すごく行くのが嫌で苦痛だったのに今更やりたいわけでもない仕事を続けられるのかという疑問はあった が、ネットでの攻撃や仲間だと思っていた人達からの責め立て、そんなのに比べたらマシなんじゃないか、それ と、色々経験してきた今の方が逆に大丈夫なんじゃないか、とうい思いも浮かび、今までの自分の経験から自分に合ってそうな仕事を探し応募、2020 年 12 月より、その仕事を続けている。

そして、波乱万丈かの如く毎日違うことをやったり色々な人間関係や人間不信に振り回されながら過ごしていた 日々に比べると、やはり圧倒的に穏やかで、別にやりたい仕事というわけではないけど、自分に合っているし、 精神も前より圧倒的に安定しているなと感じる日々。

そんな中で、発達障害の子供たち向けに演技のワークショップをやってくれないかと頼まれた施設の代表から、 講演会の講師や自閉症啓発週間の大きなオンラインイベントの司会を依頼されたりして、改めてこういうことを するのって大変だったり労力を使うなぁ、今の仕事は気楽だなぁ、とか思ったりしていた。

ちなみに自閉症啓発週間のオンラインイベントにもアンチはコメントをしたりしていて、いつまで俺を目の敵に してこんなことを続ける気なのだろう、と思ったり、早く幸せになってこんなこと辞めて欲しいな、とか思った り、前よりも余裕を持って考えられるようになった。

何事も経験だな、糧にしようとすればなんだって糧になるな、と感じている。

そんなこんなで、適度に落ち着いて安定した日々を過ごしているが、やはり飽き性なのか、そんな日々に飽きて きたのか、また何か自分主催で活動していきたいなと思っていたところ、交流会に来てくれていた人の中から、 演劇のワークショップに興味があると声があがり、再びワークショップを開催することに。

そして今後も色々なことをやっていこうかと思っている。

基本的には誰かのやりたいを叶えるためのお手伝いが好きで、誰かのやりたいを元に自分に出来ることや自分に 出来そうなこと考えて企画をしたりするので、やりたいことや悩みがあれば相談してもらえると喜ぶ。

ずっと自分のやりたいことをやってきた身としては、やはり自分のやりたいことをやる楽しさや経験はかけがえ のないものだと思っているし、無理に大変な思いをしてまででなくとも、一歩踏み出すことで少しでもやりたい ことに足を踏み入れて、それからまたやりたければ続けやりたくなくなったら辞め、そんなことの繰り返しでも、 まずはやりたいと思ったことをやってみるということをみんなにいっぱい経験して欲しいなという勝手な思い を持っているマイペースながらお節介焼き人間なので、お節介焼きが嫌いでなければ、こんな俺と色々楽しんで くれる人を募集しつつ、でもふわふわと生活していきたいなと思いながら、毎日試行錯誤である。

2021年 10月 不破ふわお

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