不快に思うこと

人が不快に思うことは、人それぞれだ。

いや、不快に思うことだけじゃなく、全てにおいて人それぞれだと思っているが、今回は、不快に思うこと、をピックアップしているだけだ。

俺は、冗談とかジョークでもなく悪口を言うような人を不快に思うことが多い。

冗談とかジョークで悪口をいうことも不快に思う人もいるだろうが、それはひとまず置いておく。

冗談とかジョークでもなく悪口を言うような人を不快に思うことが多い、と、こうして発言しているのだが「冗談とかジョークでもなく悪口を言うような人を不快」これすらも悪口なのでは?俺は自分が不快と思うことをしてしまっているのでは?と、思ってしまう時が多々ある。

おそらく、考え過ぎだろう。

そこまで考えなくてもいいと思う、と、自分では思っているが、考えてしまう。

しかし、俺は考え過ぎとしても(考え過ぎかどうかもわからんけどさ)考えなさ過ぎ(それも考えなさ過ぎと言っていいのかわからんけどさ)な人も多々いるなと思っている。

例えば、悪口を言うことが不快だな、という書き方と、悪口を言う人達とか最低だし死ねばいいのに、みたいな書き方。

前者は、俺の中で、これは悪口を言う人に対する悪口になってしまうのかなぁ、という感覚、に対し後者は、あきらかにそれは悪口を言う人への悪口になってしまっているよなぁ、という感覚になる。

俺の個人的な感覚でしかないかもだけど。

不快な発言をする人に「不快だなぁ」というのは俺にとっては不快ではないが、不快な発言をする人に「不快な発言する奴は最悪最低死ね」みたいな感じでいうのは、俺にとっては不快だったりする。

それも人それぞれなんだろうけどさ。

いくら気を付けてもゼロにするのは難しいのかもしれないけど、出来るだけ意識して、自分が不快になることに対しての自分の発言で更なる不快を増やしてしまうことは避けたいな、と俺は俺の中で思いましたとさ。

なんて、こういうことを発言することも、誰かにとっては不快なのかもしれないから、俺はきっとずっとこんなことを考えながら何かを発信していくのだろうな。

気にし過ぎなのかもしれないけど、気にしていたいんだよな。




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