過去思ったことを改めて思い出した

これは過去にアメブロに書いた記事のコピペである

人は人の表面しか見えていないことが多い

内面を伝えるということをあまりしない人が多いからだと思う

内面を伝えるということをしない人

内面を伝えるということが出来ない人

もちろんする人も出来る人もいるが

自分の内面を伝えてくれているなという人は少なく感じる

それも当たり前と言えば当たり前

内面まで見よう知ろうとする人も少ないから

各々がしっかり内面まで見よう知ろうとして

各々がしっかり内面まで伝えようとすれば

ある程度は内面まで知ることが出来るが

そうではないのが現状

たとえば

遊んでいたら反省していないのだろうか

反省している者は楽しく時を過ごしてはいけないのだろうか

遊べる時間は遊び

楽しめる時間は楽しみ

反省するべき時に反省する

これではいけないのだろうか

いやわかっている

いけないわけではないが

それが普通だからだ

そうしないと多くの人たちの目からは反省しているように見えないからだ

いくら本当に反省していようと

遊びや楽しみの中で反省している姿を見せても

反省してないだろと多くの人に言われる世の中だからだ

逆に

いくら反省したフリをしていても反省をしていない人だっている

しかしそれは深い付き合いの人にしかどちらも見分けられない

深い付き合いの人でも見分けられない場合もある

だから反省すべき者は目立って楽しむようなことをしてはいけないのだ

本当にいけないというわけではない

自分のことを何も知らないような人や大して知らないような人に対しては

そんな人たちに反省していると思わせるためには

それではいけないのだ

しかし俺は声を上げていきたい

本当にそれでいいのか

俺は嫌だそんな場所は

だから俺は伝え続ける

たとえ世界も世の中も社会も変わらずとも

せめて自分の周りはそういうことを認められる人たちであってほしいから

その為に伝え続ける

ごく少数でもいい

俺の言うことが全ての人から否定されるならおそらく俺が完全なる不正解だが

ごく少数とは言い難いくらいの人は俺に共感してくれる

それでも世界や世の中や社会からしたらごく少数ではあるかもしれないが

まだまだ伝えている母数自体が少ない

母数が増えても世界や世の中や社会全体からしたらそれでも少数かもしれない

しかし身の回りとしてみたら多数になるかもしれない

そんな人たちを探したり見つけたり増やしたりしていきたい

そんな人たちが集まる居場所を作りたい

自分の周りだけでもそんな世界にしたい

その為にも俺はそれを認められる人間で在りたい

全てを認めるなんて無理なことかもしれないけど

そう在りたいという心は決して捨てないように

生きるなら

そう生きていきたい

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