雨の日、目の前の人に傘を
この連休に、ずっとずっと気になっていた、大阪の西成という町にある、動物園前駅から少し歩いたところにある「ココルーム」にお邪魔した。
そこも本当に素晴らしかったから記事にしたいのだが、そのほかにも印象に残った西成を散歩した時に出会った人々のことをまずは書きたくて、今携帯をぽちぽち触っている。
『西成』という地域についてはご存知の方も多いだろう。日雇い労働者の町としても有名なここは、道行く人は中年から高齢の、少し髭を生やした白髪混じりの男性が多い。ただバックグラウンドを聞くと、いろんな、本当にいろんな人がいる。
50円という破格の自動販売機、生活保護相談の看板たち。
趣のあるホテルや喫茶店、そして無数のカラオケ居酒屋が商店街を埋め尽くしている。町の空気はどこか異国情緒に包まれており、不思議な気持ちになる。
西成の町を、どこにも目的地を定めずに歩いていると、目に留まった立ち飲み屋さん。
そこでハイボールを飲んでいると、窓の外に活気を感じた。お店の金髪混じりのお姉さんかおばちゃんか際どい年齢の女性に「あの方々は何をされてるんですか?」と聞くと「あれはな、暇なおっちゃんらや」と。
バイトのお兄ちゃんが巻いたちょっとおぼつかない出汁巻きをそそくさとたいらげてお会計をして、その『暇なおっちゃんら』のところへ向かう。
そこには西成の人々の居場所があった。
ベンチにたむろする人、道端に座っている人、そして謂わゆる『三角公園』に鎮座する人々。
皆さん、近くの自動販売機でお酒を買って、ここを飲み会の会場にしているようだ。気になり過ぎて、私も近くの自動販売機でお酒を買って仲間入りした。ここではどうも安いお酒がしっくりくるなと思い、敢えてビールではなく発泡酒を買った。
公園に入って、座れそうなところに陣地をとり、プシュッと缶を開ける。一口飲んだところで後ろのおっちゃんから「彼女、ここは初めて?」と、あるおっちゃん(A氏とする)に声を掛けられる。ここは常連さんが多いらしく、初めての人にはA氏が必ず声を掛けているのだそう。
どこから来たのかとか、どこ出身なんだとか、ここは何で知ったのかとか、色々と容赦なく質問してくる。ただそれが詮索の意図ではなくただ好奇心であることが、A氏の目の純粋な輝きを見てわかる。
私は秋田出身だとか兵庫の北部の豊岡市に住んでいるとか、ありのままを語ると、すごく興味を持って聞いてくれた。
そのうちに、小雨になった。
周りの人々は気に留めないほどだったが、A氏が私に「傘、あんの?」と聞く。折りたたみ傘を持っていると言うが、「折りたたみなんて邪魔くさいやろ。ちょっと待っとき」と言うとどこかへ小走りするA氏。待つこと数分後、どこからかビニール傘を持ってきて私に使ってくれと渡してくれた。何度も断ったが断りきれず、結局そのビニール傘をもらうことになった。
その後も、空になった発泡酒の缶を仰いでいると「なんか飲む?」と声をかけてくるおっちゃん、無愛想ながらも目が合うと微笑んでくれるおっちゃん。なぜこんなに優しいのか。なぜこんなに、今目の前にいるだけの私を、大切にしてくれるのか…
「ニシナリ」と聞くと、一般的にはどんなイメージを持たれることが多いだろうか。私は2泊3日、西成をふらふらと歩き回っただけでまだ何も分かっていないに等しい。ただ私が感じたのは、本当に人間らしい人間がたくさん存在している場所だということだった。
日雇い労働者の多いこのまちでは、みながその日生きることを大切にしている。
今日、仕事があること。
今日、食にありつけること。
今日、帰る場所があること。
彼らはその尊さを毎日実感してきた人々。何気ない日常の尊さを毎日心に刻んでいる人々だなと思った。
そしてそれだけではなく、彼らは目の前にいる人を、すごく大切にしているとも思った。
今日お互いに生きていることや、今日出会えたことの素晴らしさを、誰よりも分かっているのではないかと。
私は、どうだろうか。
仕事があること
食事があること
家があること
生きること、生きていること
それをしっかり、毎日、感じられているだろうか。
A氏が私に「傘、あんの?」と聞いて渡してくれた傘を持携えて今、帰路に至っている。大阪駅からの快速電車には、スーツのサラリーマン、着飾ったお姉さん、高そうなお土産のお菓子の紙袋を持った主婦…様々な『こぎれい』な人が目の前の人に目もくれず、ぼうっとしている。
豊かさ、って、なんなんだろう。
やさしさ、って、なんなんだろう。
人間らしさ、幸せ、生きがい、プライド、って…
なんだろうね。
少なくとも私は、目の前の人には、優しくしたいな。
どんなことがあっても。どんな立場で、どんな暮らしをしていても。
急な雨の日、惜しみなくビニール傘をプレゼントできるような。あのおっちゃんのような、純粋な心で。
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