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最後の雨と、そのあとに見えるもの

最後の雨という曲がありますね。

本気で忘れるくらいなら
泣けるほど愛したりしない。

あの曲を、泣きながら聴いた日があった。そしてその日のことを書きかけたnoteが出てきた。

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今日、久しぶりにある人と会った
その人は変わらないあの部屋で、変わらない髪型で
変わらない想いをもって、変わらない生活をしていた。

仕事は前にも増して忙しそうで、この後もすぐにミーティングがあるとそそくさとお茶を飲み干していた。
私も長居するつもりはなくて、早々に帰路についた。

元気そうでよかったな
毎日頑張ってて、それが少し前進していて私も嬉しいな
あの人の優しさが、そのままでよかったな

よかったな、と思うことばかりなのに
なんで涙が出てくるのか。

きっとずっと大切だけど
もう隣にいるわけではないんだな
よかったな、と思っても
その気持ちは遠くから馳せるものになっていくんだな

それを選んだのは自分なんだから
本気で忘れることは絶対に出来なくても
忘れなくとも受け入れないと、いつまでも心が雨のまんまだわ。

これ以上はもうなんもないぞー!!!!!!!と言えるぐらい、納得できるまで、何か、してみよう。
とりあえず今日は、涙枯らすぞ。

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いつぞやの文章か。
書いたことも忘れていた。

あれから月日が少し流れて
雨降って地固まるとはよく言ったもので
私のこころもだいぶ固まりました。


あの雨の日、夜中まで雨に濡れながらめっちゃめっちゃ泣いた。そして、いつもよりよく眠った気がする。

泣いて泣いて泣きまくって、私は覚悟を決めた。
失う覚悟を。

あの日私は心の中で、こっそり、はっきり、失恋した。

彼のことは大好きだった。
彼もまた私を大事にしてくれた。


彼はいつも私に「楽しい?」って聞いてくれて、私が首を縦にふると初めて笑顔になった。
私たちの「楽しい」は、けっこう違った。
時間が経つほど距離が近づくほど、そんな感覚の異質さは、2人の間に摩擦を起こした。

傷つけようと武器を向けているわけではないのに、そんな小さな摩擦で2人ともかすり傷を重ねていた気がする。

そんな傷を、もう繰り返さぬよう
失う覚悟を、あの日、した。


めちゃくちゃ泣いた次の日、しっかりごはんを食べて仕事をして、帰宅して家族と話して、友達と電話して。
ふと、普通に生きてる自分を感じた。
どんなに悲しんでも、何を手放しても、日常は当たり前に流れきてくれるんだな、と。

そう思うとなんだか、そんな日常の流れにゆだねていいんだという安心感がじんわり出てきて、その流れに乗っていたら、きっとその時必要な人は、自然にそばにいるんじゃないかな。などと、思ったりした。


あの夜抱いた気持ちは、頑張って消化したというより、ゆっくり体内に吸収されたような感覚で。あの涙はなくなったんじゃなくて、私の体の一部になっている気がする。


大丈夫。私は元気だ。
かすり傷はもう癒えて、あの人への感謝になった。
愛してくれてありがとう。愛させてくれてありがとう。

いまは、雨上がりに虹が出てほっとするような、そんな心境。


そういえばなんとなく先日、虹をiPhoneの壁紙にした。

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最近出会った素敵な人が撮った、素敵な写真。

きれい。

雨が降った後の虹は、1人で見てもきっときれいだけど
でも、一緒に見て「きれいだね」って言い合える人がいると、なおよい。ような、気がする。

そんな人を、大事にしようと思う。


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