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愛や幸せや豊かさや

【愛ってなんだろう】

私は、好きな服を買いたいと思ったら買えるし
古くなったものは買い替えることができる。

そして、本当に好きなものを買って、身につけてるときは、本当に本当に幸せな気持ちになる。

そこで、ふと気付いた。
私が今当たり前にやっているこれらができない人たちが、この世界に今どれくらいいるだろう?
と。

なのに、私は、
住む家があること、毎日食べるものがあること、こうしてネットを通してたくさんの人とやりとりができること…
当たり前になっていることがたくさん。

そんなことに想いを馳せたら、
なんて物が"溢れている"世界に私は住んでいるのだろうかと思った。

"豊か"じゃなくて、
“溢れてる"と思った。

心で噛み締めてあげなくちゃ、同じものがあったって"豊か"じゃない。

むしろきっとなんもなくたって一瞬で"豊か"になれるんだろうな。

本当に大事なのはもっと違うところにあるんだろうな。

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ここで一つエピソードご紹介。

私の学校の先生が、3.11の時期に
発展途上国にライブに行ったとき、
そこの子どもたちがこう言ったそうです。

「私たちよりも大変なのは福島の子どもたちだから、この絵を届けて。」

って。

明らかに、その先生の目から見たら、不幸なのは福島の子たちより、目の前の発展途上国の子たちなのに、と。

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人を想う気持ちが、一番、自分のことを幸せにするのかもしれないなと、この話を聞いても、自分の実感でも思います。

「自分のことはどうでもよいから、
あなたには幸せになってほしい。」

そんな、自己犠牲的な愛も、本当の愛かもしれないと、思えるようになりました。

昔は自己犠牲的な愛は大嫌いだったんだけどね。

けど、そんなふうに願える相手なんだったら、
きっとその相手もそう想っていてくれているはずで。(エゴとかに囚われて奥底にしまわれてたとしても)

それに、きっと、幸せには、物理的な条件も、過去の経歴も、この先どれくらい生きられるかもきっと関係なくて。

なにより、
自己犠牲的な愛と、
自分の幸せを放棄した愛は、
きっと全くの別物。

だからさ、みんなで幸せになりたいなって、思うよ。

自分の幸せを放棄してるのに、誰かを愛することなんてきっとできないし、
誰かを愛することを放棄しているのに、自分が幸せになることなんてきっとできないと思うから。

別に、失敗も、できないことがあるのも、流されてきたことも、誰かを傷つけたことも、傷ついたことも、怒らせたことも、自分や相手を大事にしてこなかったことも、、
良いと思う。

こっから先そんなことがあっても、それでも良いと思う。

何度でも戻ってくれば良い。
自分が気に入らないことと戦おうとするんじゃなくて、
今ある豊かさを、噛み締めていればいいんだ。

今できる等身大で、コツコツと、自分なりの愛を込めて人と接すれば良いし、歌えば良い。

大学生になって、
シンガーソングライターとして歌を作り始める前、
自分の歌を歌うことが、自分の想いを発することが、怖かった。

だってそのときの私には、
「怒り」がたくさんあったから。
今だってあるだろうけど、もっと。

それに、
理想の世界を掲げることは、
そうじゃない世界を否定してしまうことになるのか?と怖かったから。

そこに対しての答えが、一年弱かかって、やっと出た感じがする。

長かったなぁ。
たくさんの人たちのおかげだなぁ。

これから先もたくさん間違えて流されることもたくさんあるだろうけど笑

やっていこうっと。

有難う。


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