国会中継《メーデーメーデー》‐canary in the coal mine-第二稿


女(ゆり)
金糸雀

舞台は三方に幕が引かれ一部屋程のスペースになっており、背面の幕はスクリーンを兼ねている。客入れBGMの煽りと共に暗転。間もなくスクリーンに日本で起きた象徴的な出来事の映像が流れる。その明かりで金糸雀の後ろ姿が浮かび上がる。文字の書かれた画用紙を投げ捨てている。スクリーン前で男が膝を抱えている。
「自由、公平、思考、思想、愛、始まり、ノコギリ《ソー》。利己主義、俗悪、無礼、知性、家族、
爆薬《ダイナマイト》。芸術、屋根、完成、追求、親愛、釘《ネイル》、ハイジーン、equipments……」
名刺の単語ではそのものが貼り付けられていることもある。男はその中から鋸を手に取り、椅子の脚を切り始める。それと共に、背後のスクリーンが灯る。就寝前放送である。
「茫漠、享楽、混濁、網膜、漂白、思考、堕落……」
女 おかえりなさい
男 ただいま
女 椅子もいらないの?
男 うん
女 ご飯出来てるから
男 いいよ、僕が行く
女の歩みは壁を頼りにした酷く遅いものであり、言葉は明瞭だが遅い。
女 私の分はいいよ
男 じゃあ僕もいらない
女 もったいないから
男は台所へ行き、椀に食事をよそう。女の「手洗いうがいもね」の声に従ってから、椀とスプーンを持ってくる。
女 温めようと思ってたんだけど
男 どうせ遅くなるから……いただきます
女 今日は、完全栄養食のシチューです
男 この赤い実は……何?
女 木苺。摘んできたの
男 体の調子良いんだ
女 一週間前だけどね。頂きます。
男 そんな前か……
女 せっかく作った椅子なのにバラバラにしちゃうんだね
男 君のは勿論そのままにしておくよ。机はごめん。不便だよね。でもすぐにも必要なんだよ。それに趣味だし材料さえあればまた作れる
女 材料がないから家のものが必要なんだって言ってなかった……?
男 ああ、そうか……
女 今日もトンネル?
男 うん。……ほら、衛生管理のために派遣された矢先の落盤事故だろ。やっと今日岩をどかして、下敷きになった人を見たんだけど、とっくの昔に感染してたみたいだ
女 そう
男 同じ空間で働いてた他二千十九人も感染の疑いが濃厚。何にせよあのトンネルにはもう誰も近寄れないな。……その人はさ、血なんか一滴も出ないで、地面と一体化してた。身体が粘土みたいに柔くなって……あれは初めて見た。土に還ったみたいだ
女 土に
男 …………うん(或いは『静かに』)
女 働いてた人たちは?
男 良くて全員隔離だよ。或いは……
女 あなたは?
男 いくら予防接種を受けてるって言っても、あれだけウイルスが蔓延してる所に行けば万一ってこともある。弱い者は切り捨てられて差別されて淘汰されるんだ。結果として誰かを救うことになってもどうせ取るに足らない命なんだよ……ごちそうさま
女 お粗末さまです
男 お腹いっぱいになっちゃった
女 私の分の配給まで食べてるんだから
男 そういや次の配給は明日だな。ねえ、いつも料理作ってくれてありがとう
女 急に何。お腹も空かないし、一人分なら簡単よ
男 ゆりは今日何食べたの
女 木苺を少し……
男 なんかここ数日で急にだね。本当はずっと安静にしてて欲しくないくらいなんだけど
女 ねえ、壊した家のものどこに持って行っているかそろそろ教えてくれてもいいんじゃない
男 必要なんだよ。……ねえ。僕は、仕事から帰るとこの家に君がいることがとても嬉しいんだ。片付けてくる
台所へ食器を片付けに。女は難しい表情をしている。男背後から近寄り、女の頬をつまむ
男 ゆり、笑顔
女 ちょっと、遊ばないでよ
男 今日はもう寝よっか
女 放送は見なきゃいけないんだよ
男 布団敷くね
布団を部屋の中央に敷く。女の手を取って布団まで導く
女 シャワーくらい浴びたら?
男 ん?保健所で消毒槽に浸かってきたから綺麗だよ
女 ねえ、最近なんでまた一緒の布団で寝るの?
男 えっとね、布団の中でゆりがひんやりしてて、一つになってるけど別々、みたいだから
女 気持ち悪い
男 え?
女 でもね、あなたが屋根のトタンを外してから、空が見えるようになったわ
男 街から反対側の空だからな
女 私身体が動かなくなってずっと椅子に座ってるけど、風がそよぐと、なんだか空気が循環するのを肌で感じるようになって、なんだか自然と一体になった気分。
男 えー?
女 風に矢印が見えるの。上からあっちに向かってる
男 ……
女 それにね、お昼は鳥が巣を作ろうとしてたよ
男 鳥の巣?どこ?
女 あそこで土や木の枝を集めてた
男 へー。人が住んでるのに気づかないのかな
女 その鳥を見てると、二人でこの家を建てた時のことを思い出した
男 ああ、建てるより許可取るほうが大変だったね。職業柄、街から離れた場所で住む方が望ましいですって書類をもう何十枚も書いたっけ。
女 私、その時が人生で一番楽しかったかもしれない
男 お前もそういうこというよな。でも僕もそうだよ。多分日本人みんなそうっだったんだろうな。あらゆる創作が禁止されて残った数少ない表現の一つが建築だった。
一年前の第二次新築ブームでは凝ったデザインも許されなかったけど、こんな小屋みたいな家でも二人で何かを作る時間は楽しかった
女 森の木を切ろうとして、大変な目に遭った
男 足の爪を剥がれたんだ。いや、警告を無視した僕が悪いんだけどね
女 仮にも国の職員なら立場を弁えなさいって
男 まあその程度で済んで僥倖だよ
女 そうだ、ねえ、いま何時何分?
男 お、来たな。仕事が終わったのが19時30分だろ、車で一時間半移動して、保健所に戻って報告書かいて30分、歩いて家まで45分……就寝前放送が始まってるから10時25分くらいかな
女 ……懐中時計は?
男 そう、雑貨屋に売ってきた。そうだ、忘れてたわけじゃなんだけど食後にどうかなと思ってさ……
女 カントリーマアム、まだあったんだ
男 昔食べて美味しかったって言ってたよね。
女 うん。10歳の誕生日の時食べたっきり。
ありがとう。でもどこで
男 闇市
女 時計を売っちゃったら……もう時間も分からなくなるね
男 時間当てクイズにしか使ってなかったけどなあ
女 時計、最近街の中で見る?
男 いや。テレビがあれば時計は不要だとか言ってな
女 誰が言ったの?
男 偉い人だろ
女 偉い人って?
男 政府とかテレビ局とかの
女 テレビ局?
男 ああ、政府放送部門だっけ。大昔はミンポーとかコクエーとか言ったらしいけど。今はあらゆるものに名前がついてない。管理されてんなー。
(女、静かにの指をし、二人で笑い合う)
男 そう、闇市だったからこんなのも売っててさ(リュックから小型のギターを取り出す)
女 ギター……?
男 歩くのも大変になっただろ。いつか買ってあげたかったんだ。弾けるって言ってたよね。
女 でも、指とかちゃんと動かないから……
男 君の創った芸術をもう一度聴きたい
女 芸術って……。弾き語りしてただけだよ
男 もうこれは何回も話してるけどさ。七年前創作活動が禁止されたとき、最後まで街で路上ライブして抵抗してたのが十五歳の君だった。数年後後病院で君と偶然会うまで、ずっと君が歌ってる姿が頭から離れなかった。だからさ、もう一度……
女 えー……歌はたまに歌ってるでしょ。
……
男 あ、じゃあさ、君のご両親が歌ってた歌を聴きたいな
女 歌や楽器を教わりはしたけど……二人がどんな歌を歌っていたかはよく知らないの。聴かせてもらってないから
男 フォークだよね
女 フォークとか……ポップソングかしら。いつもアコギとパーカッションだったから。
男 政府が真っ先にしょっ引いたユニットだっていうからさもっと……
女 そんなに言う程じゃないよ。でもその時は沢山の人が私のお母さんとお父さんを知っていた。捕まった後は……もう誰も口にすることはなくなった。覚えているのは私だけ。私の中にあるだけ
男 僕も覚えてたいよ、君のご両親のこと
女 その時、過激な表現ほど後回しだった。
人の心に寄り添うものほど容赦なく消えていった。でも、それはもう代わりのものを作れるようになったからね。母さんも最後は自分の歌を歌うことはなくなって、既製の歌ばかり歌うようになったわ……
(歌う。AIに自動生成された美しくも陳腐な歌である)
男 ……うん、それなら僕はもっとこう、人が言葉を紡いでた時代の歌を聴きたいな
女 でもそれは偏見。私はAIが造る歌嫌いじゃないけどね
男 ホシノくんか……?政府で名前が公表されてるのこいつくらいじゃないか。……いやそうじゃなくて、僕は君の作った歌が聴きたいの
女 ……本気なの?勝手に創作をすることはもう犯罪でしょ。特に音楽は……
男 君に何かを遺して欲しいって思うんだよ。こんな世界じゃなきゃ君はもっと歌ったり表現したりしてたはずだ。そう思うだろ
女 テレビがついてる時は向こうからも特に見てるんだって言ってたよね。そもそも楽器だってグレーなのに
男 僕は君に歌ってほしいと思ってる。ずっと続いてる緊急事態宣言が最初に出たのは35年前の疫病がきっかけなのは知ってるか?芸術家が死に絶えたのはその時だ。弱い者こそが真っ先に危険を察知して声を上げる。だから一番に切り捨てられた。朽ちない強い芸術を作るべきなんだ。それは第一次新築ブームの時他に流行った陶芸とか料理とか……そういう生活に密接した物のことだよ。僕らにとってそれは音楽だ。そしてその芸術を僕の中に残して欲しい
女 音楽は強いからこそ真っ先に規制されたんでしょ。音楽を作ることは人を扇動して政治を妨げる行為だって前捕まった人がいるでしょ
男 あれは政府の創作だよ。アーティストをまるでテロリストの残党みたいに扱って見せしめにしているだけだ。ホシノくんの名前の由来知ってる?集会の自由がなくなろうとしていた時首都で大規模なライブを行ったアーティストがいた。右も左も問わず何百万人も集った。そのアーティストを完全に子飼いにしたってアピールなんだよ
女 少し黙って!喋りすぎよ。あなた、帰って来てからおかしくなった。そもそもこんなこと、テレビの前で言えることじゃない。あなたの仕事の話も、ほんとは私なんかに話したら駄目でしょ。私本当はここにいてはいけないんだから、行動には気をつけようって決めてたじゃない。危険を冒してまですること?
男 何も遺せないのはとても悲しいことなんだ。僕は君を遺したい。その為に二通りのやり方を考えてる。一つは音楽……
女 どうしてそんなことが言えるの?まるであなただけ自由になったみたい……。私がここに居ざるを得ないからってまるで鳥籠の鳥みたいに思って……
男 そんなこと思ってない。逃げ場を用意してる。そこで考えよう
女 ……どこに?
男 まず、今流行ってる病気っていうのは、
安静が第一なんだよ。確かにこの病気は致死率100%とか言うけど、安静にさえしてれば完治こそないが生き続けることはできるんだよ。一度検査を担当した大臣がもう一年半生きてる。もう粘土を通り越してスライムみたいにブヨブヨだけど
女 今病気の話なんてしてない
男 新しい家を建ててるんだよ
女 家……?
男 黙っててごめん。でも絶対に安全なんだ。そこで一緒に過ごそう
女 その為にこの家のものを壊していたの
男 必要だって言っただろ。で、そこへ通じる通路だけ繋がったんだよ。今まで見せてなかったけどな。……いや、君は見ないでいてくれたのかな。だから今見せる、見せるよ……
女 ……!
(スクリーン下の幕が取り払われると、異形の門が現れる。)
男 この先に僕らの新しい暮らしがある。完成したら連れて行くよ。それまで待っていて欲しい
女 それは、あなたが作ったの?
男 当たり前だろ
女 どこに繋がってるの?
男 僕たちの新しい家だ
女 ……違う!
男 違うはないだろ。ずっと外に出ていないから分からないだけだ。気を悪くするなよ。僕が君を隔離病棟から連れ出して、外で死んだように工作したからこうやって暮らすことができてるんだ。もしかしたら泳がされてるだけかもしれない。だから早く行かなきゃいけないんだよ、向こうに。分かってくれるか
女 分からない。こんなの作るなんて普通じゃない
男 何を怖がることがあるの。ここに残る方がもっと怖いことだよ。捕まればどうなるか知ってるのか。知ってる?あれ、僕は知ってる……何が行われるのか……
女 何か居る
男 何が
女 さっきまで後ろに居た
男 どこに。何がいるんだよ
男が再び女の方を向くと、下手に金糸雀が画用紙を持って立っている。冒頭と同じように画用紙を投げ捨てていく
金糸雀 「自由、平穏、安寧、休息、食事、自由、規律、戦争、労働、水、安心、水、酸素、息《ブレス》、息《ブレス》、息《ブレス》…………」
男 なんだ、小鳥か。驚かすなよ……
女 小鳥じゃない……
男 黄緑で、丸々としてるだろ。あれは多分金糸雀だと思うよ。向こうの森から来たんだな。昼間来たのと一緒かも知れないよ
女 森の中で目覚めたの?
男 何?
金糸雀は大きく呼吸をしている。
女 ねえ、あの奥には何があるの。どこに繋がっているの
男 何度も言わせないでよ。新しい家があるんだ。
女 なら行って見せて
男 ……
女 ただの家なんでしょ。行って見せて
男 …………
女 行けないの?
男 …………
女 行けない。多分、行けない……。
男 おーい、こっちにおいで、ほら、チュンチュン……あっ来た!ゆり!こっち来た!
女 ……
男 木苺とか食べないかな
金糸雀と女の呼吸が同期し始める
男 食べないね
金糸雀、暫しスクリーンを見つめ
女・金糸雀 「迎えに来た」
男 は?
女 ……
男 もう夜も遅いし、一旦追い払おうか
男、逃げる金糸雀を外へ導こうとし柱に登る
女 危ないよ
男が飛び降りた拍子に床が抜け天井の一部が崩れる
男 床が抜けた
女 ……
男 もう寝よう。二人とも疲れてるよ
女 今日はどこに行っていたの
男 トンネル
女 ここから一時間半で行ける場所にあるトンネル……何のためのものなの
男 目的は言えない。ごめんね
女 本土決戦
男 ……
女 こんな時に新しく道を作るの?噂になってた。すぐそこまで敵が攻めて来ていて、奇襲を仕掛けるため策を練ってるって……。その為のトンネルじゃない?
男 それはデマだよ
女 言いたくないことも言えないことがあるのも分かる。でもあなたはそのトンネルの仕事に行き始めた二日後……ひと月帰ってこなかった。その間一切の連絡も寄越さなかった。せめて、その間に何があったのかだけ教えて……
男 いい加減にしてくれ。この先にあるのは僕たちの新しい家だ。何も疑うことはない。
この先で僕たちは強い芸術を見つけるんだ。
何のためのトンネルか、それは僕にも知らされてない。僕みたいな末端には何も伝えられない
金糸雀 嘘
男 ……
金糸雀 あの向こうは家じゃない。あなたが堕ちたがっていた地獄
男 聞いたか。地獄だってよ
金糸雀 あの向こうは地獄じゃない。あなた
が祈るべきガマ
男 ガマ?
女 防空壕かな
男 今回も攻め込まれるとしたらまず沖縄だな
金糸雀 あの向こうはガマじゃない。あなたが見過ごした教室
男 銃乱射事件とかいじめとか、正直全部他人事だよな
女 ……
金糸雀 あの向こうは教室じゃない。あなたが燃やした図書館
男 僕はそんなことしてないだろ
女 でも私たちは命令に従って本を燃やした
金糸雀 あの向こうは図書館じゃない。あなたが棄てた墓地
男 親の墓は共同墓地だし棄てようにも棄てられないよ
女 でもあなたお墓参りには全然行きたがらないわ
男 ここから遠くのアパートに、太った主婦が洗濯物を干してるのが見えるんだよ。なんだかその姿に力強さを感じるし、母の面影を見るんだ
金糸雀 あの向こうは墓地じゃない。あなたが拒否した病院
男 いや僕は基本病院勤務だから。サボったことなんてないし
金糸雀 あの向こうは病院じゃない。あなたが受け継いだ氷河期
女 就職氷河期とか……?
金糸雀 あの向こうは氷河期じゃない。あなたが目を背けた国会
男 それはそうかもな。でも選挙も行われない国でどうしたら向かい合えるんだ?
金糸雀 あの向こうは国会じゃない。あなたが目覚める森の迷宮
男 ………
金糸雀 あの向こうは迷宮じゃない。あなたが後始末を忘れたトンネル
男 勝手なこと言うな!
女 何の後始末なの
男 ……落盤事故のだよ!
金糸雀 全部自分が悪い気がする
男 そうだ。全部僕が悪い気がする……だから僕がみんなの代わりに地獄へ堕ちる
女 あなたがトンネルへ向かったのはひと月と六日前なの。一度帰ってきたとき、酷く思いつめた様子だった。思い出したくないことがあるのね
男 そんなことはない。だけどひと月前の記憶が曖昧だ
金糸雀 あなたは私を殺した
男 殺した
金糸雀 わたしはあの奥から来た
女 トンネルとあの通路が繋がっているの?
金糸雀 あの奥には酸素がない
男 ……
金糸雀 呼吸ができない
男 あの通路は、地獄に繋がってしまった
金糸雀 違う。あの先はトンネル
女 あの奥はトンネルなの
男 違う。君が安静に暮らすための新しい家だ
金糸雀 あの向こうはトンネルを経由する。崩落してガスが満ちている
男 そして目的地には辿り着かない
女 森で目覚め、迷宮を行き、罪を洗う……
男 地獄以前……煉獄か
金糸雀 潜った先で、また会いましょう
男 違う、そうか……遂に来たんだ。秘密警察だ。俺はお前を匿った罪で投獄される。遅かった……ごめんね、守ってやれなかったよ。せめて君が楽に死ねることを祈っている……
女 逃げないと駄目?
男 ……
女 私、あの通路の先へ行ってみる
男 ……
女 大丈夫。あなたの言うことを信用する。すぐ帰って来られるでしょ?もし帰ってこなかったら……あなたは後から来て。二人で出口を探しましょう
男 いや、いい……僕だけで行くよ
女 あなたが向こうへ行くのは逃げるためでしょ。私は迷わない為に行くの
男 君が居ても地獄からは抜けられない
女 何だかあの向こうにね、お母さんとお父さんが居る気がするの。お母さんが言ってた。人が天国に行けるかどうかは、一生のうちどれだけ善い行いをしたかじゃなくて、一生のうちどれだけのバナナを食べたかで決まるんだって。天国とか地獄とか、私たちにとっては本当に理不尽な方法で行き先が決まるのかも知れない。お父さんは昔愛国主義を掲げた歌手だったんだけど、お母さんに出会ってから『国』を愛することは辞めたの。国って、
政治家でも国旗でも君が代でもない。土地で、言葉で、お酒で、そこに住む人々だって分かったからなんだって。ねえ、天国も地獄も分からないなら、会いたい人が居るところが行くべき場所じゃない?国を愛した人が行く天国、愛さなかった人が行く地獄、愛さなかった人が行く天国、愛した人が行く地獄……
天国も地獄も、ただ人が創ったものだよ
男 あの向こうに君の母さんと父さんはいないよ。だって、君はまだあっちに行く必要はないから……。(金糸雀に)ごめんね、わざわざここまで来てもらって。悪いけど、少し席を外してくれないかな。二人で最後に話し合いたいんだ……。君がここに来てくれた理由も分かったから。行ってくれ……
金糸雀 ベアトリーチェは導かない、でもここに居る……
金糸雀玄関から去る。その直後男は駆け出し、冒頭の鋸を手に表へ出る。鳥の断末魔。やや息を切らして男は部屋へ戻る。
男 そろそろ、答え合わせをしたいね
男は言うが、女は興味をなくしたように椅子に座りギターを爪弾き始める
女 何か思い出せた?
男 炭鉱の金糸雀って知ってるかな?
女 さあ
男 80年代までかな。大きく地面を掘り進める時、有毒ガスが出るだろ?ガスの量を計る計器もない時代はさ、金糸雀が重宝されてたんだ。人より遥かに少ない量のガスで気絶するから、それを見て鉱山夫たちは逃げ出したんだ。
女 それがどうかしたの?
男 トンネル初仕事の時にその話を思い出してさ。向こうの森から捕まえてきたんだよ。
でさ、僕はこのトンネルの用途を奇襲攻撃用だって聞かされてた。でも僕はすぐに嘘だと分かった。僕だって政府の職員の端くれだからな。本土決戦が始まってるっていうのが民衆の間で広まっているデマだっていうのは共通認識だったわけ。で、早速ランダムに抽出して30人くらい検査したかな。そしたらさ、全員陽性だったんだ。その時僕はこのトンネルには既に感染した人間が集められているって分かったよ。そこで引っかかるのはこのトンネルを作ってる本当の目的だよね。僕にわざとデマだって分かる理由を教えた訳があるんだよ。僕が国に何を求められているかよく考えた。そしたらこの結論にしかたどり着かなかった。全員殺してこのトンネルに埋めろって。それが僕のするべき仕事だった。本当は泊まりの仕事だったけどその日は無理を言って家に帰った。結果次第では君に会えるのはもう最後かもしれないと思ったからね。でも君は体調が悪そうでさ。あんまり話せなかった。次の日、またトンネルへ向かったら、僕のファイルに、トンネル入口の爆破方法なんて紙が挟まってて思わず笑っちゃったよ。昼頃には2020人の作業員全員をトンネルの中に収めて、時限式の気化ガスと発火装置を仕込んで、入口を爆破した後それを作動させた。そういえば金糸雀を籠の中に入れっぱなしだったなーって思いながらね。そしたら程なくして上司と何か偉い感じの人が来て、よくやったって褒めてくれた。決断は辛かっただろ、お前は英雄だって。その時僕は酷く消耗してて、カウンセリングが必要だって言われてたのを覚えてる。長かったのはそのカウンセリングでね、連れて行かれたのはいったいどこなんだろう。……ちょうど一ヶ月の間、ずーーっと、カウンセリングが続いた。人をたくさん殺したことへの後悔も、政府への不信感も不満も全部洗いざらい吐き出した。国への愛が足りない、愛するようになれって散々言われて解放されたのがつい最近。
帰って来れて嬉しかった。でも僕は導かれるみたいにあのトンネルに向かった。外の重機で入口を掘り返した。奥の方で炎にしっかり焼かれた人たちは陶器みたいに固まっていて、入口で火から逃れた人たちの遺体はまるで固まる寸前のコンクリートみたいで……これは家を建てるのにうってつけの材料だなと思ったんだ。僕はこの家の裏に新しく家を建てようとした。でも建たないんだ。いくら組み立てても家にならない。そりゃそうだよ、強い火がないと固まらないんだから。それでも、君をどこか安全な場所に連れて行きたいから、
君が消されるなんてあってはならないから……(咳き込む)……何か空気が薄くないか?君は大丈夫?
男、首元を抑え苦しみ出す。対して女は平然とギターを爪弾きながら、時折フレーズを口遊む。おかあさん なあに おかあさんっていいにおい……。女が何かを口遊んでいる時だけ男は呼吸ができているようだ
女 あそこに空気が流れていっているのを感じる。あなたが呼吸をできない理由は分からないけど……。でも私は、歌ってあげることは出来る。
男 歌って欲しい……人が言葉を紡いでいた時代の唄を……

唄を忘れたカナリヤは
後ろの山に捨てましょか
いえいえそれは なりませぬ

唄を忘れたカナリヤは
背戸の小藪に埋《い》けましょか
いえいえそれは なりませぬ

唄を忘れたカナリヤは
柳の鞭でぶちましょか
いえいえそれは かわいそう

唄を忘れたカナリヤは
象牙の船に銀の櫂
月夜の海に浮かべれば
忘れた唄を思い出す

女 おかあさん、なあに、おかあさんっていいにおい……せんたくしていたにおいでしょ……シャボンの泡の匂いでしょ……。お母さんとお父さんのふたりのユニットは、カナリヤって言ったの。私たちが鳴くことを止めても、その静けさがまた二人を思い出させてくれますようにって。弱くても、その弱さが誰かを救いますようにって……
男 僕はどっちにしろ地獄に堕ちる運命だった。それでもこう思うんだよ。僕こそが鉱山の金糸雀であるべきだったのかもしれない
女 そうかな。そうだったらいいね
男、星を見上げながら左記の詩を息が続く限り、一息で口遊む。これはダンテ『神曲』煉獄編における最初の一節の星の描写である。
東方の碧玉のうるわしい光が
はるか水平線にいたるまで澄みきった大気の晴朗な面(おもて)に集い、
私の目をまた歓ばせてくれた。
目を痛め胸をいためた死の空気の外へ私はついに出たのだ。
愛を誘う美しい明星が東の空にきらきらと満面の笑みを浮かべ
後に従う双魚宮の星の光をおおっていた。

女 ねえ、私、最後にあなたと静かな場所で二人きりになりたいわ
男 放送は11時になるまで終わらないよ
女 あなたが捲った床の下にコードが2本埋まってたの。これを切ったら…………あ、
電気まで消えちゃった。ねえ、どこに居るの。
男 こっちだよ
女 星が綺麗に見える
男 街から反対側の空だからな
女 それさっきも言ってた
男 そうだっけ?
暗闇の中で二人は寄り添っている
男 なあ

男 ゆり

男 おーい

男 返事しろよ

女 冗談だよ
男は空笑いする

分岐 ラスト候補1
暗闇の中、衣擦れの音と微かな吐息が聞こえる。2分ほど続いた後、テレビの明かりのみがつき、轟音の警報音と強烈にドアを叩く音が響く。男女は半裸であるが、男は諦めの笑いを堪えきれず、女もさして動揺していない。
男が女に覆い被さり首を絞める。30秒後に女絶命。男は息を荒くしている。女を抱き抱え、禍々しい通路に女を飾り付ける。それを見た男は歓喜の拍手。ふと下手側から金糸雀が現れ男に懐中電灯を差し出す。男は恐る恐るそれを受け取り、屈んで通路の先を進む。

分岐1‐1
ドアを蹴破る音。足音のみ聞こえる。
金糸雀が少し歩み、来訪者と相対する。
金糸雀は何度も呼吸を繰り返し、
金糸雀「(この台詞は出演者全員で考えたい)」すべての息を吐き切り、大きく吸ったところで暗転。幕。

分岐1‐2
金糸雀、懐中電灯を手渡すと『考える人』のポーズをし、トンネルの一部になる(ロダン『考える人』はダンテ『神曲』に登場する地獄の門の一部である)。テレビのスクリーンであった幕が落ち、トンネルを覆う。
暗闇を懐中電灯で照らしながら進む男の姿があった。ふと光の先が何かを捉える。その全貌は天使の絵であった。男は何かを悟る。その瞬間背後から銃で撃ち抜かれ、崩れる瞬間に暗転。幕。

分岐 ラスト候補2
衣擦れの音と吐息……に見せかけ、既に首を絞めている。警報が鳴り響いた時には既に女は事切れている。女を通路に飾るように横たえる。金糸雀の見守る中男は客席に振り返り、さよなら(テレビよ、お前は現在に過ぎない)と呟きトンネルへ。激しいドアのノックと共に暗転。

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