最終バスの住人たち【長編】

最終バスの住人たち

登場人物

長尾(65)製鉄工場の送迎ドライバー

ダン(27)勤勉なベトナム出身の若者

若槻(23)自転車乗りの青年。入社して間もない。施設管理課

有田(52)肥満体で不健康。部長

古河(26)右腕が動かず、包帯を巻いている。施設管理課

白井(25)高機能自閉症で、自立のため努力している

12月。愛知県渥美半島の、太平洋に臨み山を背にした町。

全編を通して雪が降っている。

一、工場の正面玄関。10人乗りのハイエースワゴン。20:00頃。

長尾は車の横で腰を回す運動をしている。

黒いオイルの染み付いた作業着を来て、煤けたタオルを首に巻いている。

胸元には三沢製鉄と書かれた刺繍。

腰に手を当て上体を反らす。肩の雪を払って運転席に座る。

時計を一瞥する。鼻を擦って、腕を組み、背中を丸めて椅子に深く座る。

古河、若槻が現れる。古河は左肩に鞄をかけていて、不便そうに左手で車のドアを開けようとする。

自由な右手はぶらんと垂れ下がり、包帯が巻いてある。

察した若槻が先んじてドアを開ける。古河は礼を言わずに、若槻と3列目に座る。

長尾はアームレストに散らかっていたカップ麺の空き容器や箸をビニール袋に片付け口を縛る。

ダンがやってきて、扉を開ける。

ダン 遅くなりました

長尾 ああ、早く乗りな

ダン、2列目に座る。

長尾 雪、今朝からだな

ダン 珍しいですね。4年住んで始めてです

長尾 裏じゃないんだから……いや、太平洋側なんだから

ダン 裏

長尾 良くない言い方だったね。日本海側を裏日本と言ったんだよ

ダン 新潟や富山のことですか

長尾 まあそうだね

ダン 列島を山脈が隔てているとは気候が分かれていることを指すんですね

長尾 よく知ってるね。ベトナムはどうなんだい?

ダン 間氷期らしいですよ

長尾 へ?

ダン 今地球は、氷河期の中の間氷期なんですって

長尾 はぁ

ダン 地球にとっては、大きな流れのうちのひとつなんでしょうね

長尾 ふうん

長尾、エンジンをかけ出発しようとするが、有田がやって来てドアを開けた。

有田 何だ、まだ出てなかったのか

長尾 (驚いて)有田部長。ダイエットで歩くんじゃないんですか

有田 こんな雪の日までやってられるか。何だ、最後の便にしても遅くないか

長尾 いや、まあ。出発します

有田は最後列の一列シートに座る。

長尾、ラジオをつける。ハンドルを切り、工場の正門前の広場を転回し、走り出す。

ダン 来週には、渥美神宮で火焼き祭りですね

長尾 そうだね。行くの?

ダン 雪の中のお祭りは風情がありそうです。長尾さんは?

長尾 いやぁ

有田 うちが協賛してるんだ。顔くらい出しとけ

長尾 どうせ部長も行かないでしょ

有田 休みの日まで会社のこと考えたくないからな

長尾 行かないんじゃないですか

長尾は適当にラジオの周波数を変える。

ダン エーロの結果出てませんか?

長尾 ええ?

ダン エーロ。……エーロサカー(ユーロサッカー。普段は流暢に喋るが、これだけ訛る)

長尾 サッカーね。どうかな

有田 スマホで調べりゃ済む話だろ

長尾 はぁ

選局を続けるが、結局ラジオを付けた時と同じようなニュース番組で止めた。

長尾 ない

ダン そうですか。あ、まずお礼を言うべきでしたね。待っていて下さるとは

長尾 (有田の様子を伺いながら)ああ……ダン君の姿がないと思って待ってたら、ね。今日はどうしたんだい

ダン 食堂の水道管の詰まりを直していました

長尾 君の仕事じゃないんじゃないの

ダン 塩素系漂白剤を使ってみたので。これで駄目なら、施設管理課に分解してもらいます

長尾 最初から彼らでいいよ。食堂の人たちに頼まれたのか?

ダン うーん。……あ、そういえば、以前、最終便の後も車を出して始末書を書いたと

有田にミラー越しに睨まれ長尾は怯むが意を決し言う。

長尾 帰れていない子がいるんだから当たり前じゃないか

ダン また書かされるのでは?

有田 これが最終じゃないのか?

長尾 いえいえ、最終ですよ。……だからね、その、欲しいと思ってるんだよね

ダン 何を?

長尾 自分の車。あったら、それで迎えにこれるじゃないか

ダン (笑って)ええ?時間に遅れたら放っておけばいいんですよ

長尾 でも、街頭もまばらな山道だし。マイカーなら、規則がないだろ。駅前とか社員寮に限らず送れるじゃないか、なんて、ね

有田 ふん

ダン 買うなら、新車?

長尾 まさか。まさかのまさかだよ

ダン ベンツ?

長尾 軽でいいよ。いや、ベンツいけるか

ダン おっ?

長尾 分割にして払い切る前に死んだら。あ、ローン組めないか

沈黙。ラジオの声が際立つ。

ラジオ『職員一名が死亡した愛知県田原市の製鉄工場での転落事故から今日でひと月を迎え、製鉄会社社長が事故現場を訪れ献花しました。事件発生時刻の16時頃、社長ら関係者が慰霊碑を訪れ再発防止を誓いました。――被害に遭われた方、そのご家族、関係する全ての皆様方に改めてお詫び申し上げます――。』

長尾 (思わず)久場君。落ちちゃったよねえ

ダン 何度も聞きたい話題じゃありませんね

長尾 そうだダンくん、あまり遅くまで食堂を開けてると、鍵閉めに小言を言われなかったかい

ダン 言われてないですよ

長尾 僕が食堂でぼんやりテレビを見ていたときはねちねちと……

有田 今日の鍵閉めは俺だ。文句あるのか

長尾 あっ

ダン そうだ有田部長、良い機会です、ひとついいですか

有田 ああ?

ダン カップ麺の食べ残しを食堂の流しに捨てているのは部長ですね?時には髭剃りもしてそのまま流している。止めて頂きたい

有田 何だ急に

ダン 詰まりの原因になっています。固形物は流さないようお願いします。髭も駄目です

有田 何俺がやってる風に言ってんの?証拠は?

ダン 警備のホアン・ライ・ズーンから聞きました。事務所で食べたカップ麺を何処かに捨てに行っていること、戻ってきた時には髭が剃られていること。……分かって頂けるなら食堂の方に有田さんの名前は出しません。よろしいですか?

有田 ……チッ、分かったよ

ダン 差し出がましいようではありますが、もうひとつ

有田 まだあんのか!

ダン ええ。宿直の日、寝る前にカップ麺を3つ平らげていると聞きました。本当ですか? 

若槻 3つ! 

有田 ベトナム人技能実習生ネットワークで全部お見通しってわけか?

ダン 私もライも技能実習生ではありませんが。部長は、眠れないのではありませんか?糖質を大量に摂取すると血糖値が急上昇し気絶するように眠ることができます。この話を聞いたときは睡眠薬を勧めようと思いました

有田 そんなもん飲まねえよ

ダン カップ麺3つ食べて眠るよりよっぽど健康的です

有田 何っ

ダン そして寝た後も問題です。睡眠時に無呼吸であることはご自覚があるのではないですか。凄まじいいびきだそうですね

長尾 前、家ではCPAP(シーパップ:睡眠時、気道に空気を送り込む機械)だか付けて寝てるって

有田 人の健康にやいのやいの

ダン 心配なんです

有田 俺のことを心配するやつなんかいるかよ。お得意の東洋医学とやらでは治せねーのか

ダン 東洋医学は、予防と緩和です。直接的な治療はできません

有田 ほらインチキだろ

若槻 何すか東洋医学って

ダン 前職は鍼灸師でした

若槻 え?

有田 痩せて何になる?寝れないからって何が悪い?どうせ妻も子もいねえんだ。だったら好きなようにやるよ

長尾 そんなこと言って……

有田 第一、こいつが詰まりの掃除なんかしてっからぐちぐち言われるんだ。何でハナから施設管理課に頼まねえんだ。どうせ何か理由つけてすぐ動かねえんだろ?なぁ!?

若槻 ……古河さん?言われてますよ、古河さん!

古河 (目を閉じていたがふと開けて)気にしないでいい

若槻 え?

古河 あんたは入社初日

若槻 いや、だからって、ああ言って……

古河 (目を細め運転席を見て)あの服のシミは、長尾さんか。怒ってないよ

若槻 服のシミで判断してんすか。そっちじゃなくて、後ろの

古河 (バックミラーを見て)尚更、気にしないでいい

有田 なんだおい!

古河 ……

若槻 怒ってますよ

古河 出来ないから。言っただろ

若槻 そうですけど、他にも人はいるんですし

古河 ならその他の人に頼んでくれ

若槻 ……そうっすよね。別に俺たちが言われたわけじゃないんだし。ふぁ~

有田 あくびすな

若槻 あっ、つい

古河 どうだった、初仕事は

若槻 んー、じいさんばっか、って感じ?

長尾 はは……

古河 猿の惑星みたいだろ

若槻 え?何で?

古河 みんな背中が曲がってるから

有田 言いたい放題いいやがって。うちの従業員に

長尾 

若槻 はー。……それならせめて、『北斗の拳』にしましょう

古河 は?

若槻 俺がみんなを解放しますよ。アタッ!

有田 おい、お前が施設管理課の新人か。妙な時期に入ってきたな。ええ、こいつに一体何を教わったんだ

若槻 今日は安全講習とか、チェックシートとか

有田 (古河に)お前、あれだ。怪我して以来ろくな仕事を振られてないんだろ

若槻 え?

長尾 ちょっと、部長

古河 なら営業に残せば良かった

有田 その腕で何言ってんだ。人と接する仕事だぞ?

古河 誰も見やしないチェックシートを書かせているのは誰だ

有田 誰だじゃないだろ。何とかあてがってやった仕事なんだから

若槻 営業だったんすか?

古河 ああ

若槻 腕は、事故で?

古河 ここに就職して、得意先との初めての営業に行った時……その会社の人たちに潰れるまで飲まされて。一人でうちに帰ろうとしたら、雪道で眠ってしまって。目が覚めた時には、雪にうもれていた右腕がどす黒くなってた。車も運転できないし、もう駄目だな

若槻 そんな駄目なんて

有田 オフィスで言うなら窓際族、会社のお荷物なんだよ

長尾 部長!

ダン 言葉が過ぎます

有田 解雇せずにおいているだけ有難いと思え

ダン 怪我を理由に従業員を解雇できるのですか

有田 ああ?

ダン 少なくとも部長の一存では不可能です

有田 何!?

古河 もういい。元々今日で辞める予定だ

若槻 え?

一同、驚き

長尾 どういうこと

ダン 売り言葉に買い言葉なら

長尾 部長

有田 知ってるよ。いつ辞めて貰っても構わない。(若槻に)そうか、お前は久場の代わりか。施設管理課だもんな。次々いなくなって、次々補充されていくねえ

若槻 辞めてどうすんすか

古河 辞めて、辞める

若槻 ……

有田 へっ。今時の若い奴らはねえ、行き当たりばったりなんだ。次の仕事も決まらねえうちに辞めるなんてな

若槻 じゃあ、古河さんと話せるのは今日限りってことだ

古河 別に大したことじゃない。ひと月前に欠けた人員がやっと埋まるんだ。重宝されるだろうな

若槻 はい

古河 滑落だけは気をつけろ。点検歩廊から現場は3階の高さだから。柵があってもどこかから滑って、落ちる

若槻 覚悟してます

古河 お前、新卒?

若槻 高卒で、1年ニートやってました

古河 なんだ

若槻 自転車で日本中走ってました

古河 そうか。お前は、頑張れよ

有田、舌打ち。不服そうな顔。

若槻 しかし、寒み~。何が渥美半島だよ

長尾 ふっ

若槻 腹減った

長尾 そうだよな。遅くなると食堂が閉まる。施設管理課は毎度だ

若槻 家帰っても食いもんがないんすよね。越して来て買い物行けてなくて。何か食堂閉まるの早くなかったっすか?オリエンテーションの時は、八時半がラストオーダーだって聞いたんすけど

長尾 そこまで開いてたのはいつ以来かな。ボイコットみたいなもんだ

若槻 え?

長尾 八時過ぎたら誰も来ないからって。七時過ぎに注文締め切って、客が帰り次第閉めてる

若槻 誰も来ないって、俺らがいるわけじゃないですか

長尾 そもそも、夜食堂を使うのは寮の独り身のやつくらいで、昼以外辞めようって話もあったぐらいだ

若槻 何だそれ

長尾 だからまあ、早く自炊を覚えるべきだ、僕らは

若槻 あの、今更ですけど、今日から働いてます若槻です

長尾 ああ

若槻 えっと、長尾さんですよね

長尾 よろしく

若槻 だ、ダンさん?

ダン はい。ヴァン・ナム・ダンです。よろしくお願いします

若槻 はい、お願いします。……。

長尾 で、そこの偉そうなのが有田部長。工場の管轄をしてます

有田 ふん

古河 ……

長尾 古河くんは、まあ、今日で辞めるけど、チェックシートやったり、施設管理課だったりね

ダン このバスいつも乗ってますけど、自己紹介は初めてですね

有田 どうせみんなすぐ辞めんだ。名前覚える必要もねえんだよ

若槻 そんなすぐ辞めるんですか

有田 毎日毎日、何に使うかもわからねえ鉄の塊作らされてみろ。やる気なくすだろ

若槻 でも、ここで作った部品は、宇宙に行くんですよね

有田 部品はな。こんな小せぇ歯車は大気圏を飛んでっちまう。俺らとは大違いだよ。お前も、一か月もいねえだろうな

若槻 そんなことは。俺なんかのこと、雇ってくれたの、ここだけですし

ダン 日本人なら引く手数多ですよ

若槻 え?高卒でニートだよ。俺の価値なんて

沈黙。

若槻  ……それ、西ですか?東ですか?

一同、何を指して言っているか分からず、間。

若槻、アームレストの袋を指して、

若槻 あるじゃないですか、ダシが。その袋の中のカップ麺

長尾 ああ、んん?

長尾、ビニール越しに蓋の文字を透かそうとする。

有田 前見ろ!

長尾 西

若槻 西ですか。いや、駅のコンビニで西と東とあって、へーって思いましたもん

長尾 県外からか。どこから来たの

若槻 長野です

有田、シートベルトを外しながら

有田 確かに腹減ったな

長尾 シートベルト外さないで下さいよ

若槻 さっき水道が詰まってたってことは、さっきカップ麺食べたってことじゃないですか?

有田 そうとも限らないだろ……うっぷ

若槻 うわ

長尾 駅前のコンビニに寄って行こうか

若槻 え、助かります

有田 気がきくなじいさん

長尾 ダンくんは?

ダン 構いませんが……(有田を気にして)

長尾 いいみたいだよ。古河くんは?

古河 どちらでも

長尾 ついでにさ、みんな遅いんだから、どうせこの辺だろ、家まで送るよ

有田 マジかー!もう一歩も歩きたくなかったんだよな。酒も買ってこよ!

若槻 俺は社員寮なんでルート内っすわ

ダン 長尾さんはどうするんですか。車は工場まで返さないといけませんよね

長尾 ああ。それから自転車でアパートまで帰るよ

若槻 じゃあ正面玄関の白いロードバイク長尾さんの?よく乗るんすか

有田 あれ?袋にカップ麺のゴミが入ってるってことは、出汁まで飲み干したってこと?

長尾 え?ああ(二人共に曖昧に返事)

有田 駄目だよ。俺ですら飲まずに流してるんだから。高血圧から動脈硬化に繋がるからな

長尾 寒かったから

有田 やっぱ我々中高年は減塩が大切で、ねえ若槻くん

長尾 さっき人の健康にとやかく言うなって

若槻 今度ツーリングしません?三河の方まで

長尾 は?

若槻 詳しい人が居てくれると助かるんですよね

長尾 いや、ええ?

若槻 函館のステッカー貼ってましたよね。あっちまで行ったことあるんですか?

長尾 昔の話だけどね。まあ、カップそばの出汁まで言われるとだけど、30代の頃、仕事で運転中に心筋梗塞を起こして側道に突っ込んでしまったことがある

有田 (嬉しそうに)それ見たことか

長尾 ああ。それで、そこは酷い会社だったから、修理代から何まで給料から引かれて、俺も本当に馬鹿だった。……まあ、何にせよ、あの時のような心臓が爆ぜてしまうような感覚はもう味わいたくない

若槻 爆ぜる?……ホアタ!

長尾 え!?

若槻は人差し指で長尾の身体を突くフリ。北斗神拳の秘孔を突く構えだ。

若槻  よかったじゃないすか、爆発しなくて

長尾 ああ……

有田 若槻くんもね、気をつけてないと死んじゃうよ

若槻 はい?

有田 久場さんもカップ麺だったから

長尾 部長……

若槻 久場さん

長尾 あまりその話は

有田 しない訳にはいかないでしょ

若槻 別に気にしてないですよ。いや気にしてないと言うのも。大事なことですし

有田 若槻くんはさ、何でこんな危険な仕事に就いたの?やっぱ給料?

若槻 いえ……。まあ、はい

有田 久場さんの後に寮に入ったんだったら、久場さんの部屋かもしれないね

若槻 はあ

有田 出るかもよ、幽霊

ダン はぁ(溜息)

長尾 趣味悪いですよ

若槻 むしろ出てきてほしいです。工場勤めの辛さとか教えておいてほしいですし

有田 産業殉職者の慰霊碑があるんだけど、知ってる?

間。一同、なんとなくラジオに耳を傾ける。

ラジオ 『乗客106人と運転手が亡くなったJR福知山線の脱線事故から19年を迎えようとしています。JR西日本は事故現場での追悼慰霊式に向け周囲の清掃を行いました。…………』

若槻 (有田に)あ、いえ

有田 久場さんのことを想うなら行ってあげた方がいいかもね。家族もいなかったようだがら。案内しようか

若槻 お参りはしたいですけど、社員として然るべき時にします

有田 仕事はゆっくり覚えればいいからな。労災事故は一件や二件じゃないから。いつ自分の身に起こってもおかしくないんだからな。まあいくら気をつけたって仕方のないこともあるよ。電車が脱線するなんて誰も思わないわなあ。あの事故が起こった時、怖くて先頭に乗るのは避けてたけど今は全くそんなことしないもんな。いつまた起こってもおかしくないのに。若槻くんは速い自転車に乗るのか?事故にだけは気をつけろよ

長尾 どうしたんですか急に

有田 どこもかしこも事故ばっかりだからな

長尾 もっと安全管理を徹底して下さいよ

若槻 でも、それが普通なんじゃないですか

ダン 若槻君

若槻 だって、俺みたいなやつ、腐るほどいるじゃないですか。だったら、使い捨ててもいいやって、上は思いますよ

有田 そうやってウジウジしてっからダメなんだよ。俺は大事なんだって言ってみろ

ダン ええ?(怪訝な声色)

有田 ホイホイ辞められると、新人教育は疲れるんだ

工場からの雑木林の下り坂を抜ける。

住宅地の曲がり角の先に駅前の多少なりとも賑やかな灯りが見えてくる。

その街の灯りを見て、有田が鼻歌を歌い始める。

有田 ふふ~ふ、ふふ~ふ、ふふふふ~ん。ふふ~ふ、ふふ~ふふふふふ~

ダン ああ、昔の歌ですよね。夕方、商店街で流れてる

若槻 加齢臭が

有田 てめなんつった

若槻 いえ

有田 このメロディが流れると娘は怖がったもんだ

長尾 あれ、娘さん?

有田 たまにしか会えねえけどな

長尾 はぁ

有田 でもな、くらーい道を抜けて、この街灯りが見えてきたとき、その時だけはな、働くのも悪くないって思うんだよな

長尾 へえ、部長が

若槻 なるほどなー

ダン 文句ばっかり言ってるだけだと思ってました

有田 ああ?何だよそれ

古河 ここで降りる

古河、唐突に言う。一同呆気にとられる。

長尾 え?

古河 止めてください

長尾 え、何で……?

古河 …………、飲みに行く

若槻 いや、この辺雪しかないですよ

ダン ご飯屋さん、もっと下におりないと

長尾 そうだよ。寒いよ

有田 これが最終バスだぞ。あとはねえんだから

若槻 そうですよ

有田 これも福利厚生ってやつだろ

古河 いいから止めろ!

一同、驚き。

車が路肩に止まる。古河、降りる。

有田 おい。ほんとに死ぬぞ

若槻 マジで歩くんすか

ダン 雪、もっとひどくなりますよ

古河、みんなをゆっくりと見る。

古河 生きてるの楽しいか?

若槻 え

古河 どうせろくな暮らしもできないのに、何で働いてるのかって思わないか

一同唖然。

古河、雪の積もる歩道を歩き出す。

有田 はー、イかれた奴!こりゃ次どこいっても駄目だな

若槻 次……。本当に次があるんですかね

有田 は?

若槻車外に出る。遅れて長尾も出る。

若槻 古河さーん!何か知りませんけど、まだ大丈夫ですよ!きっと!

古河は適当に道を折れ見えなくなった。

有田 どゆことだよ

ダン 部長の歌が、それだけ嫌だったのかもしれないですね

有田 マジか。あれ、じゃああいつ年末の火焼き祭りはどうするつもりだ?

若槻 長尾さん、行きましょ

長尾、立ったまま動かない。というより硬直している。 僅かに身体を左右に振って、冒頭のような腰を動かすストレッチをしているように見える。 腰を抑え、眉間に皺寄せ歪んだ表情。

若槻 長尾さん?

ダン 寒いでしょ。……まさか

ダン、車外に出る。 長尾、腰が痛んで車にもたれかかる。

長尾 いや、大丈夫、大丈夫!もうすぐ来そう。いやまだそこまででは……

有田 何か受信してんの

若槻 綺麗な星空ですもんね

有田 関係ないだろ

長尾 古河くんがここで止めてくれて助かったかもしれない。じゃなかったら、運転中に……

若槻 え!?

長尾 事故は起こさないから、命に代えても。ああ、大丈夫なパターンだ。行こう

ダン 無理はしないで下さいね

長尾 みんなを乗せてるんだ。嘘はつかないよ

長尾、軽く腰を反らして運転席に乗る。 ダンも戻る。長尾、アクセルを踏む。

有田 そろそろ潮時なんじゃないのかじいさん

長尾 馬鹿言わないで下さい。老後は二千万必要なんでしょ。僕は年金も払ってないし貯金も無いから。75、いや80までは……

有田 マイカー云々の時は、もうそんな乗れねえっつってたろ

長尾 そうですね、何でだろう。考えさせないで下さいよ、先のことなんか

無言で走る。コンビニの特徴的なカラーの灯り。ハンドルを切り返し、駐車する。

有田 おーし、買ってくっか

若槻 俺も俺も

有田 長尾さん、何か欲しいものないか?

長尾 ああ、カイロを切らしてたんだ。いや、自分で買います

有田 やるっつってんだ。座ってろ

若槻 長尾さん、コーヒーはブラック?

長尾 奢るつもりかい。逆に、失礼にあたるよ、それは

若槻 そっすか。すいません

有田、若槻、コンビニへ。

長尾、車を出てストレッチをする。 次第に表情が歪んでくる。

長尾 ダンくん

ダン はい?

長尾 やっぱ駄目かもしんない 

ダン 新車がですか。……腰ですね

ダン、車を降りる。

長尾、痛がり表情を歪め車に手を付く。脚から力が抜けるようにへたりこんでしまう。

長尾 痛っ、痛、痛たたた……!

ダン 大丈夫ですか!?横になりましょう。……左側が痛むのですね。

ダン、駆け寄り、上着を脱いで腰にかける。長尾の左足首を包むように持つと、アキレス腱を挟んで親指を当てた。患部でなく、脚をさする。

長尾 ああ、触らないでくれ!

ダン 前もこうやって治したでしょ

長尾 あーーー痛いーーー

ダン この寒さが原因ですかね

長尾 悪いね……

ダン しばらくこのまま

長尾 うっ、うっ(泣いてる)

ダン 長尾さん……

長尾 寒い……

ダン 早くカイロを買ってきてくれるといいんですが

長尾 もう駄目かもしれない

ダン 長尾さんは他の人より元気じゃないですか。まだまだ大丈夫ですよ

長尾 無責任なことを言わないでくれ

ダン 弱気になっているだけです。痛みがある状態で正常な判断は出来ませんよ

治療が続く。

長尾 ……ダンくん、痛みが引いてきたよ。ありがとう

ダン いえ。年長者を助けられないことは恥ですから

長尾 何でこれで腰が治るの?

ダン 身体は全て繋がっているんですよ。痛みの原因から離れた場所を触るのはトリガーポイント療法と言って、それに鍼灸の考え方をプラスしています

長尾 へえ。あ痛たた……

ダン、背をさする。 長尾はうずくまった姿勢から、背中を預けるように横になる。

ダン まだ痛みますね

長尾 くそ、何十年もドライバーをやってたら、そら腰を壊すよな

ダン 慢性的な腰痛こそ鍼灸の得意分野ですよ。今度おすすめの所を教えますね

ダン、長尾の背中をさすり続ける。有田と若槻が戻ってくる。 二人して買い物袋と、カップ麺にお湯を入れた状態で持ってくる。

有田 お待たー

若槻 お待たせしました、ってどうしたんですか!?

若槻、うずくまる長尾に歩み寄る。

有田 腰痛、いつものことだよ

若槻 腰に爆弾を抱えてるんですね

ダン 有田さんカイロを

有田 あいあい。貼ってやれ

有田、カイロをダンに渡す。

若槻、カップ麺の容器を長尾の腰に置く。

長尾 熱い!何!?

若槻 すいません

ダン (カイロの袋を破く)これ貼るやつじゃないですね

若槻 車が出る前に食べた方がいいっすよね。でもこれ5分だしな……

そこに、緊張した面持ちの青年・白井がやって来る。

短いながら艶のある髪をしていて、白い緩やかな服は長袖ではあるが上着も羽織っておらず、とても真冬の服装には見えない。

白井 三沢製鉄……

白井、車体のロゴを見る。

一同、白井の方を見る。

白井、会釈をする。

一同、会釈を返す。

白井、車に乗ろうとする。

一同、「えっ!?」

白井 わっ。すいません

有田 何だ?

長尾 え、何?

ダン どちら様でしょう

ダン、立ち上がって問う。

白井、話そうとするが口ごもって、おろおろする。

長尾 (白井の服装を見て)寒くない?

若槻 はっ……。これ、使いますか?

若槻、ダンからカイロを奪って白井に渡す。

白井 え、ありがとうございます。あの、急にごめんなさい。私、白井といいます。……古河を探しています

若槻 古河

ダン 探しているとは?

長尾 ダン君……放置しないでくれ

ダン ごめんなさい。カイロをもう一つ……

白井 古河はもう一週間帰っていなくて、連絡も取れていません。前までこの送迎バスを使っていました。見てませんか

若槻 見たもなにも、さっきまで乗ってて、そこで降りました

白井 そうなんですね。職場で何かあったのかと

有田 ないとは言い切れんもんな

若槻 で、今日で辞めたって

白井 辞めた。……そうですか

ダン ご関係は

白井 一緒に暮らしていました

ダン あなたに黙って仕事を辞め、出て行ったということですね

白井 はい

有田 で何。ここにはいないんだから帰りなよ

白井 今日、全部の送迎の便を見ていました。どれにも乗っていなかったから、それよりも遅いかと思って待ってたらこの車が来て

ダン これは、こちらの長尾さんが好意で出してくれたものです。普段はありません

白井 そうですか

有田 ふーん

有田、長尾を睨む。長尾、目線を逸らす。

白井 この車、また工場に向かいますよね。乗せていってもらおうと思って

有田 送迎バスをタクシー代わりにしようとすんじゃねえ。社員以外は乗れねえの。そもそも何その薄着は

若槻 あの、俺の作業着でよかったら羽織りますか

白井 あ、ええと

有田 長話するつもりか!そういう話は、アポとって会社に聞けよ

白井 ごめんなさい

有田 腹、減ったんだこっちは。行くぞ

若槻 話くらい聞いてあげましょうよ!何なら車で話せばいいじゃないすか

有田 何熱くなってんだよ。

若槻 いいじゃないですか。白井さん、乗りましょう。寒いですよね

白井 寒くないです

有田 お前古河がどこ行き腐ったか分からないってのによ

若槻 でも、何か、早くしないと、死んじゃうような気がしたから

有田 なら探しても無意味じゃねえか。戻ってきやしねえよ

ダン 古河さんを探してどうするつもりですか

白井 子供がいるんです

有田 はあ?

若槻 え、子供?古河さんとの間に?

ダン 養育費など請求するには探す必要があるんですかね?

有田 引っかかるとこはそこかよ。ありえないだろ

若槻 腕を怪我して、何もかも嫌になっちゃったんだ。でも……

有田 なあって

白井 いいんです

ダン え

白井 彼は自由に生きてくれたら。私のことは置いてどこでも行ったらいいんです

有田 は?

白井 ただ、感謝を伝えたくて

有田 感謝ぁ? 

白井 子供の頃から私、体温調節が苦手で風邪ばっかりひいてました。古河は手袋やセーターをプレゼントしてくれました

若槻 大切な人なんすね

有田 感化されすぎだろ!ならその服来てこいよ

白井 もし会えたら、私一人でもやっていけるよと伝えるために、くれたものは身につけてきませんでした

有田 どういう理屈?

若槻 白井さんの気持ちが分かるんですか!

有田 普通こんな浸って喋れねえよ。用意してきた感があって俺は嫌だね

若槻 何言ってんすか!

白井 はい。私言うべきことを何回も練習してきました。いつも誰かにお世話になる時、全然伝えられなくて今回はせめて迷惑をかけないように。その、嘘なんかじゃありません

若槻 俺は伝わってますよ

有田 うるせえよ

ダン 私もしかとお聞きしました

有田 何なんだよ。……この子さ、あれだ、ちょっと頭足りてないんじゃないの?

白井 はい、その通りです。手帳も持ってます。だからこそです

一同沈黙。

長尾、深い溜息をつき、やおらに立ち上がる。

ダン もういいんですか

長尾 ああ。白井さん、話の続きは中でしよう。凍えてしまう

白井 寒くないですよ

長尾 この車は社員寮を経由して、彼らの家を通ってから工場へ帰る。多分、古河くんはどこにもいないよ。そしたらどうするの

白井 隅々まで探します

有田 中学生でももっと思慮深いぞ

白井 ごめんなさい。会社のことは全然分からなくて

有田 チッ。愚図が

長尾 乗ろう。立ち話は時間の無駄だ

一同、車に乗り、元の席へ座る。白井は若槻に招かれ3列目に座る。

車、走り出す。

若槻 俺、探すの手伝います

白井 いいんですか

若槻 ええ。ダンさんも、そう思いますよね! 

ダン 力になれる範囲なら、協力しますよ

白井 ありがとうございます!

若槻、長尾と有田に目線を向ける。

長尾 僕らに何ができるって言うんだ。ねえ部長

有田 長尾さん、若人の情熱に水を差すことほど無粋なことはないぜ

長尾 ええ!?

有田 一週間後の火焼き祭りで、うちが設営の資材を提供するだろ。その責任者の名簿に古河の名前があったんだよ。その線から辿っていけば、辞めたとあっても繋がるかもしれない。この分だとどうせ電話にも出ないだろうからな

若槻 最後のひと仕事ってわけか

ダン もし急に辞めたのなら、引き継ぎの問題もありますしね

白井 古河と行ったことがあります。会場設営に関わったって!

長尾 面倒だからって適当言わないでくださいよ

有田 事実だよ

長尾 彼は降りたんですよ、この社会の営みから。捨てて行ったんだよ。白井さんを。僕らがいるのに早々閉まっちまう食堂みたいにね

有田 何言ってんだ。悪い話ばっかりするんじゃねえよ

長尾 送迎バスのジジイにできることはありませんから

有田 運転できる。走れる。あったかい。それだけでいいじゃねえか

長尾 ……第一、二人とも、カップ麺を運転中の車内で食うつもりだったの?

若槻 すいません、有田さんにつられて

長尾 それは、西なの?東なの?

若槻 え、ラ王です

長尾 あっそう

若槻 強いて言うなら北ですかね……北斗的に。でもラオウは継承できなかったわけだから

ダン 若槻くん、僕はラオウは中央だと思っているんです。四象は知ってますか?西の白虎とか南の朱雀のあれです。その中央は麒麟や黄龍など、五行説に照らし合わせて黄色が司るんですね

若槻 じゃあ、中央です

長尾 どこだよ

若槻 まさにここじゃないですか。どん兵衛中部地方出汁

有田 いいな、日清に言ってみろよ

長尾 部長は絶対こぼさないで下さいよ

有田 (どん兵衛カレーうどん味である)食うのは止まった時だけにしてやる

長尾 ほんとにお願いしますよ

若槻 白井さん、その、もっと詳しく聞かせて下さい

白井 あ、あの歩道橋。あそこから渥美神宮が見下ろせるんですよね。夏には三河湾の花火を見れますね

有田 知ってるよ

白井 その、車に乗せて頂いて、優しくして貰って、本当にありがとうございます。でも、なんだか、話すことってないですね

一同、怪訝な表情で白井を見る

長尾 本気で探す気があるのか

白井 本気、じゃないように見えますか

有田 ああ。呑気してるね

白井 真剣に考えてます。よくそういう風に言われます。

若槻 それ、俺分かります。俺もなんか真剣さが顔に出ないって言われるんですよねえ

有田 は、楽天家同士お似合いじゃねえか

白井 私は、古河を探して、もう私一人でも生きていけると伝えます。自立します

長尾 ヨリを戻したいわけじゃないというのがねぇ

白井 それは、古河の気持ち次第です

長尾 それは人任せじゃないかい

白井 ごめんなさい

長尾 こんなことに巻き込まないで欲しいなぁ

白井 でも、乗せてくれました。多分、普通の大人は私を相手にしてくれませんから

長尾 君も大人だろ。いくつなの

白井 25です

長尾 本当にいい大人じゃないか!

若槻 俺より若いと思ってた

長尾 警察には相談したのかい

白井 痴話喧嘩に付き合う暇はないと言われました

長尾 実家は

白井 ありえません。でも、地元には居るかも。思い出の場所があるんです

長尾 同郷なのか。……白井さん、家はどの辺りなの

白井 秋田県由利本荘市……

長尾 そうじゃなくて

白井 ああ、駅の裏手の、山の方です

長尾 そろそろ社員寮に着くし、彼らの家はもう少し遠い。それが終われば工場に戻る。君の家へは送れないからな

白井 はい

長尾 タクシーも来ないからね

白井 そうですね

若槻 どうやって帰るつもりなの?

白井 歩いて

有田 駅まで30分以上はかかるぞ

白井 はぁ

長尾 普通歩かないよ

若槻 夜道だし

白井 よく言われます。私よく歩くんです。人間って、生き物の中で最も長い距離を移動できるんですよ

ダン 歩き続けることにかけて、人間の燃費はとんでもなく優れているんですね。ガソリン満タンの車と、籠に食料を満載したヒトの集団、どちらが遠くまで行けるかというと

有田 (さえぎって)うんちくやめろ! 

長尾 車があったらな。こんなとき送り迎えできるのに

白井 え?

若槻 マイカーの話っすか

長尾 会社のを乗り回すのは気が引けるしね。いや、冗談……というか、ほんの気持ちだよ。むしろ免許を返納するくらいだ

有田 乗るのか乗らないのかハッキリしろよ

長尾 はあ

白井 まだまだ大丈夫ですよ

長尾 また無責任な

若槻 あ、俺個人的に聞いてみたいんすけど、古河さん晩飯どうしてたんすか?俺らの仕事終わりって食堂開いてなくて

白井 知らないです。何処かで食べてきてるとは言ってました

長尾 用意してあげてないのか

白井 私が作ってなければいけませんか

長尾 いや、別に

白井 たまに作ってみても、おいしくないんですって。私パートに行った後は疲れてずっと寝てるんですよね。だからできることはインスタント食品の買い出しだけ。古河は、昼はちゃんとしたもの食べてるんですか?

長尾 昼は人が多いからなんとも

白井 そうですか。あ、でもきりたんぽは好きだと言ってました

長尾 僕には、君の古河へ気持ちが仮初のものに思えてしまう

白井 へ?……(くしゃみをする)

長尾 言わんこっちゃない。カイロしかないぞ

長尾、カイロを白井まで回す。

白井 大丈夫です

長尾 使わなくても持っておいたらいい。服で調整できないんならね

白井 肌寒い程度なんですけどね

長尾 それにしたってな

白井 子供の頃は雪の中半袖で走り回って、よく風邪をひきました。息苦しくてすぐ脱いじゃうんですよね

ダン なるほど

白井 夏は水分補給できなくて熱中症で倒れて外に出るのが怖くなって、それで鬱っぽくなって高校には入れませんでした

有田 中卒か!(嬉しそう)

白井 それから数年は秋田で就職しましたが、二人して欝になってしまって、心機一転この町に来たんです。そしたらなんとかやっていけて。もう三年住んだけど、この町にも雪が積もるんですね

長尾 いや。観測史上初ってやつだ

白井 私が来たせいですかね。疫病神です

ダン そういうのは思い込みですよ

白井 古河は昔よく町の外れにある廃車の中で寝ていたんですけど、私がそこに通い始めた途端、雪で潰れてしまったんです

長尾 偶然だ

白井 持ち込んでいた勉強道具もほとんど駄目にしてしまいました。それで家に帰ったら怒られて身体に痣を作って。それでも友達の家を転々としながら学校に通っていました。全部私のせいなのかもしれません

長尾 君がそう思うからそうなんじゃないか

白井 あ、でも、古河が本当に行くところがなくなってうちの軒下に転がってた時に、一緒にこの町を出ようって約束したんです。巡り巡っていいこともありましたね

ダン 災い転じて、なんですかね

長尾 だいたい分かったが……その、子供がいると

白井 あっちの方の山は雪が積もってないんですね

長尾 ……(答えられないということを察して)都会の方だからね。若槻くん。もう少しで寮だよ

若槻 え、あ、はい

ダン 連絡先を聞いておかなくてもいいんですか

若槻 え、そんないきなり?

ダン 古河さんを探すのに必要でしょう

若槻 ああ、そうか。白井さん、LINEは

白井 お金がないので、携帯は古河しか持ってませんでした

若槻 ええ?

白井 やっぱり必要ですよね

ダン 弱りましたね

若槻 じゃあ、住所教えて下さい。今度、スマホを契約しに行きましょう

白井 お金が

若槻 格安ブランドにしましょう

有田 こいつ、生活のインフラ面から囲い込むつもりだ

若槻 いいですか?

白井 あ、はい。住所は……

若槻、スマホでメモを取る。車が社員寮の前で止まる。

長尾 到着と

有田 ここだっけ。不便なとこだな

長尾 悪いけど、時間外に走らせてるのを見られたら面倒だから早く出したい

若槻 そうっすね。白井さん、明日のこの時間は空いてますか

白井 え、でも携帯屋さん閉まってるでしょ

若槻 街の量販店まで出たらやってますよ。明日迎えに行きますね

白井 はい

若槻 じゃあ、また進展したら共有します!絶対見つけるぞ!オー!

有田 うるせえ

長尾 じゃあ、お疲れ様

ダン お疲れ様です

若槻 お疲れっす!(カップ麺)麺が伸び放題っすよ。イエーイ

若槻、寮へ帰る。車、走り出す。

長尾 次は部長の家ですね

有田 おお、真ん前まで送ってくれよ。工場方面の水路に向かってまっすぐ

長尾 あいよ

間。

ダン 彼がいないと静かですね

長尾 白井さん、そろそろ降りたら?本当に送らないよ、キリがないから

白井 はい、大丈夫です

有田 空気が読めねえんだな

白井 ……

有田 あんただよ

白井 ……

有田 手帳って、何の?

長尾はバックミラーで、ダンは振り向いて有田を見る。

白井 軽度の知的障害と、自閉症ですかね

有田 古河が身体障害だろ。3種類コンプリートしてんな

白井 してますねえ

有田 障害者年金は貰ってないのか

白井 そんな話をした覚えはありますが、どうなんでしょう?

有田 よくこんなの置いて出て行ったよ

ダン 手引きするケースワーカーが居るはずです。携帯を契約したら、町の無料WIFIに繋いでこのYOUTUBEチャンネルを見てください。私が鍼灸師として働いていた時の知り合いで、そういったことに経験豊富な方です

白井 見ていいですか?(ダンのスマホの画面をタップする)

ダン あ

スマホ 『ゆっくり霊夢です ゆっくり魔理沙だぜ 毒親サバイバーの沙雪です 今日は意外と 知られていない毒父親について解説していくわ 聞いたことないぜ、無関心父とは違うのかぜ? 父の施した独自の性教育がフラッシュバックして辛いです、助けてください……』

ダン ……とまあ、こういうユーモアが受け付けるならですが

有田 貰えるもんは貰っとけ。昔立哨の警備員やってた時、半身麻痺のジジイが急に辞めたわけ。電車の事故で息子が死んで数百万の賠償金が入ってきたんだと。これで老後も安泰だって右足引きずって喜んでたよ。もっとも、息子とはうん十年会ってなかったようだが。人間、金っつー燃料が一番奮い立つんだ。恥じるこたねえ

白井 私、お金を貰うことを恥じているのでしょうか。古河はどうだったんだろう

長尾 説教臭いようだが、これを機に白井さん自身で判断すべきじゃないのかい

白井 ……

ダン 文句を言う人がいても、その人たちが、白井さんの人生を守ってくれるわけではありませんからね。どんな人にも行き渡るのが福祉ですから

白井 お金が燃料でも、入れ物が壊れていたら、どこまでも行けるはずがない

長尾 部長、あのアパートですよね

有田 おお、サンキュな。しかし白井さん難しいこと言うね。ほんとに知的障害?

ダン 有田さん。一瞬理解ある方かと見直しましたが、それともあえてそういう風に振舞っているのですか

有田 あ、これやるよ

有田、カイロを白井に投げる。

白井 ありがとうございます

有田 いよーし、明日は休みだ、煮玉子でも作ろ

車、アパートの前で停まる。有田、シートを尻でのしのし移動し車外に出る。

長尾 汁こぼしてないですよね

有田 一口も食ってねえよ

扉を勢いよく閉めると、手を挙げてさっさと行ってしまう。車、走り出す。

長尾 さて、ダンくんは

ダン 通りに出たら降ろしてください。実習生たちの寮の様子を見てから帰ります

長尾 ああ、そう

暫く無言。

ラジオ 『県内の天気です。細かい雪で見通しが悪くなっています。県内全域に警報が出ています。午前3時まで猛吹雪に警戒して下さい。強い風が吹き込む豊橋市中心に雪雲が活発で南にも流れ込みそうです。名古屋市も断続的に雪が強まり、いずれも今夜にかけて最大……』

長尾 信じられないね。ベトナムは降らないでしょ

ダン いいえ。ベトナムは暖かいと思われていますが、北部では毎年のように雪が積もります

長尾 へえ

ダン 雪だるまをつくって、子どもたちが遊びますよ

長尾 そうか。思い込みだったよ

ダン 僕も、日本人は毎日天ぷらを食べると思ってました

長尾 はは。白井さん、秋田の人なら雪は慣れっこだ

白井 はい。だから心配です。車の事故

ダン さすが、視点が違いますね

白井 チェーンやスタットレス、誰も持ってないでしょう

長尾 まあねえ

白井 備えておければいいんですが

ダン ホームセンターにありますかね

白井 多分

長尾 そうだダンくん、相談したいことが

ダン はい?

赤信号で止まる。長尾、振り向いてダンに前腕を見せる。

長尾 この、静脈のコブなんだけど

ダン はあ

長尾 何か大変な病気の予兆だったりしないかな

白井 私もありますよ

ダン 誰でもあります

長尾 気になって仕方ないんだ。いつかプチンと潰れそうで。だから、鍼でつついて詰まりを取るとかそんなことできないかな

白井 ひー

長尾 だって2連続だよ。ポコポコって。これが原因で脳梗塞、心筋梗塞なんてことに

ダン いやあ……

長尾 これ、静脈瘤じゃないの?

ダン そうですけど、下半身に過剰にできる場合は病院に掛かって良いと思いますが、腕の場合は加齢が原因です。気にすることはないですよ

長尾 そうなのかな

白井 古河が手の血管が凄く浮かび上がってて血管フェチの子に人気でした

ダン それはまた別件ですね

白井 ハンドベイン!っていうらしいですよ、これ

ダン 初耳です

長尾 そう言われても、不安なものは不安なんだ。この詰まりがいつか心臓にたどり着いてまた心筋梗塞を起こしてしまうんじゃないかと思うんだ

信号が変わり、車が進み出す。

ダン ええ。不安を解消するのも我々の仕事です。東洋医学では血管の詰まりは『瘀血』と診ます

白井 おけつ

ダン お尻じゃありませんよ。血がドロドロして、流れが滞っていることを言います。まさに、長尾さんが描いているイメージではないのでしょうか。改善するには、運動ですね

長尾 部長が嫌がりそうだ

ダン 身体を動かせば心筋梗塞の予防にもなりますよ

長尾 そうか、じゃあ僕に流れているのは瘀血か

ダン そうとも限りません。後ろ向きに捉えないほうがいいですよ

長尾 だからかなあ。君たちの情熱を邪魔してしまうのは

ダン ……ここで、もういいですよ

長尾 ああ、もうか

ダン 白井さん。よかったら使ってください(カイロを渡す)

白井 え?

ダン Giữ gìn sức khoẻ nhé(ス・ギ・ス・クイネ)

ダン、降りていく。振り返らずに去っていく。

白井 今の、なんて言ったんですかね

長尾 さあ

車、進み出す。白井、手を振って見送る。

長尾 さて、工場に戻るよ

白井 ……

長尾 本当に戻るよ

白井 うちまで来てくれませんか

長尾 そら見たことか!

白井 古河も戻ってるかもしれませんし

長尾 ええ?

白井 お願いしたいこともあるんです

長尾 ……はぁ。行こう

白井 ありがとうございます

長尾 何か、分かっててやってる?

白井 え?

長尾 いや、うん。君はしたたかだ

白井 前にも言われたことがあります。どういう意味ですか?

長尾 まあ、厚かましいって意味だ

白井 え。それは、いいことでしょうか

長尾 家は、駅の裏手だね

白井 はい。回って、田んぼの先の坂道を目指してください

長尾 かしこまりました……

少しの無言。

長尾 メーターはいいとして、ガソリンは帳尻合わせないとな

白井 ごめんなさい

長尾 いやいや。自分でやったことだ。自腹で解決するよ。最近はガソリンも滅法高いな

白井 はい

長尾 半導体の不足もマシになってきたが、納車はまだ数年待つものもあるらしい

白井 はい

長尾 やっぱり軽でいいよな。新車である必要もない。それが相応しいと思うんだ

白井 はい……

長尾 寝てもいいよ。坂に差し掛かったら言うよ

白井 いえ、そんな

長尾 夜風の涼しい匂いだ。雪も悪くないね

白井 たまにだから言えるんですよ

長尾 ごめんよ

車を走らせる。ラジオから取り留めない番組が流れてくる。

長尾 車も少ないし、そう遠くないよ

白井 公園の先の、青い屋根の、2階建てのアパートです

長尾 あいよ

車をアパート下に停める。

白井 少し待っていてください

白井、錆びた階段を早足で上る。

しばらくして、手にビニール袋を持ってくる。

白井 これなんですけど

ビニール袋を長尾に差し出す。中身は書類と、底に沈んだ弁当箱。長尾は紙をひとつ取り出して、

長尾 これは、公共料金の領収証? 

白井 家の大切な書類入れに入ってたもの全部です。分からないので、必要なものと、そうでないものに分けて欲しいんです

長尾 え?

白井 私じゃ、できないから

長尾 それだけ?

白井 はい。えっと、これとかは公共料金の控えですよね。捨てていいんですか? 

長尾 今年の分くらいは保管しておくべきだな

白井 じゃ、輪ゴムでまとめます

白井、公共料金の控えだけを掴み取るとポケットに捩じ込む。

長尾 白井さん、そういうところが

白井 これは何ですかね

長尾 古河くんのキャッシュカードの書類だよ。君のとくらい分けてくれ

白井 いりますか?

長尾 いらない

白井 でもいつか母は契約書はよく読めと

長尾 今まで読んでないだろ

白井 そうですね

白井、やや不満げな顔で、先ほどとは反対のポケットに捩じ込む。

長尾 あのね

白井 じゃあこれは?選挙の券。必要ですよね

長尾 全部昔のじゃないか。捨てよう

白井 大事にとっておけって

長尾 流石に秋田のは捨てなよ!過ぎたものを持ってても意味がないだろう

白井 いつか使えるんじゃないんですか

長尾 無効だよ

白井 そうですか。あ、これはお弁当です

長尾 は?

白井 張り込みの最中に食べようと思ってたんですけどね

白井、ビニール袋の底に沈んでいた弁当箱を取り出した。湿気で書類がくっついている。

長尾 うわっ、冷ましてから入れないと。びちゃびちゃだ。袋に入れるとかないのか

白井 入れてますよ

長尾 ナイロンとか布!

白井 あー。お箸も入れ忘れてる!

長尾 汁が

白井 どうしよう

長尾 とりあえず置きなよ

白井 はい

車のドアを開け、雪の積もった地面に置く。

長尾 いや、うーん……

白井 いいんですか、ここ(座席)で

長尾 分かったよ

白井 こっちは無事ですよ

アルミホイルに包まれたまん丸なおにぎりを並べる。

長尾 ……良かったね

白井 はい。作りました

長尾 そうか。偉いね

白井 古河は一度も褒めてくれませんでした

長尾 一人で困るのは古河くんの方だったんじゃないか

白井 そうですか?

長尾 古河のためにも、見つけてあげなきゃね

白井 本当に見つかりますかね

長尾 君が言い出したことだろう

白井 だって、すれ違いもしなかった

長尾 そんなもんだろ

白井 食べますか

長尾 ああ。……、二つもらっていくよ。食べきれないだろうし

白井 おにぎりすら不味いと言われました

長尾 不安なこと言わないでくれ。じゃあ、若槻くんダンくんと連携とって、頑張れ

白井 長尾さんは?

長尾 僕は……(長考)車くらいは出してやるよ

白井 ありがとうございます

長尾 じゃあ、またね

白井 え!?これ(ビニール袋)まだ終わってません!

長尾 全部やらせるのかよ!

二、工場、エントランス、送迎バスの周辺

ダン、缶コーヒーを手に花壇に腰かけている。

工場の正面玄関が見渡せる。数人の作業員が倉庫から資材を運んでいる。

背後から若槻が来て声をかける。

若槻 うぃーっすダンさん。休憩中?

ダン いえ。祭りの資材の搬出は任せてみようと思いまして。毎年のことなので

若槻 じゃサボり?

ダン 確認の段取りまで進んだら行きますよ。……眠そうですね

若槻 そうなのよ

ダン エーロ見てましたか?

若槻 はぁ?

ダン エーロ

若槻 見てねえよ

ダン 熱かったですよ、サンジェルマンとレアルマドリード。WOWOWで

若槻 見てねえよ!

ダン そうですか

若槻 ってことは、火焼祭りに本腰入れるってことだ。いよいよだな

ダン 古河さんについて何か分かったことは

若槻 引き継ぎとかのタイミングで顔を出すかもって。ただそのタイミングがまだ分からなくて

ダン あの後、雪の中でバスを降りてから、ずっと行方不明?

若槻 そういうことになるね。白井さんも参っちゃってさ、いま俺の寮にいるの。作戦立てたりして、ついつい夜まで話し込んじゃって

ダン 作戦?それで夜まで?

若槻 まあ、そうね

ダン はぁ。他には?

若槻 他には、ナゴヤドーム行って、科学館のプラネタリウムとかどうかなって話。自転車のパーツとかも見て……へへ

ダン ふー。さぶ

若槻 ってか、このへん、星がすっげえっすよね!めっちゃ近くに感じる

ダン 穴場を教えましょうか。駅の奥の山中の、斎場がある通りの公園が

若槻 そっちは白井さんの家の方でしょ。古河との思い出のスポットだったりしない?

ダン しれっと、呼び捨てですよね

若槻 友達とか恋人ってさ、帰るべき居場所じゃん。そういうのなくしたら俺は無理だなと思って。ダンさんだって、ベトナムが恋しくなんない?ま、故郷は誰だって恋しいか

ダン 私は懐かしいとは思いますが、そうでない人もいますよ

若槻 えー?

ダン それが分かれば少し大人ですね

若槻 まあ、俺だって、生まれた街は思い出すけど、実家に帰りたいわけじゃないもんな

ダン そういうものですね

若槻 ダンさんって、何で日本に来たの

ダン 東洋医学を学び、鍼灸の資格を得るためです

若槻 へー。それ、技能実習生? 

ダンの目つきが厳しくなる。

若槻 え、いや、勉強しに来たって言ったから。ドキュメンタリーを見て、ベトナムから来た人たちが、低賃金で、タコ部屋?で生活してるって

ダン 私は技能実習生として日本に来たわけではありません。確かにここは実習生を採用していますが、それは現場で製鉄を学ぶ者だけです

若槻 そうなんですか

ダン 警備のライも違います。彼らは確かに日本人に比べ安く使われています。酷い現実もありますが、ここはまっとうと言えるでしょう。……それらのことも知らずに、私が貧しく、困窮していると思い込んでいましたか

若槻 正直そうなのかなって。でもダンさんは、外国の地で、俺より全然仕事できてる感じなのに何でこんなところにいるのかなって

ダン 「ベトナムの小金持ち」だからですよ

若槻 え?

ダン 鍼灸を学びたいから日本に行っていいですかと言えば、思う存分やってこいと。そういう家だからです。出身の国だけで、その人の貧富は測れませんよ

若槻 はい。……じゃあ、なおさら何でここに?

ダン 大阪北部地震。覚えていますか

若槻 地震なんてありましたっけ

ダン 私の勤める鍼灸院はそこにありました。地震で建物が損傷して、二年後、コロナも流行って立ち行かなくなりました。そこに通ってくれていた方がここの関係者で、実習生たちの面倒をみてくれって呼ばれたんです

若槻 じゃあ、いずれ大阪に戻るの

ダン どうでしょう。ベトナムに戻ってもいいとも思ってます

若槻 何で?

ダン ベトナムに鍼灸を普及させるのもいいですね

若槻 ダンさんには、夢があるんだね

ダン 若槻さんにはないんですか

若槻 ないよ。貧乏だったし。高卒だし。学校行くより仕事しろって感じだったから

ダン じゃあ、若槻さんはなぜここに?

若槻 え、何か恥ずかしいな。俺、地元の大学に入って、昔から自転車に乗るのが好きで、バイトで金が溜まったから日本一周とかして。そしたら何か、勉強する気一切無くして中退して。なんか鬱っぽくなっちゃったんですよね。わけわかんないでしょ。親とは仲良かったわけじゃないから、借金しながら一人暮らしして。また旅に出るんだって思いながら。でもそれは無理で。で、何かテレビでここのニュースがやってて。また炉に落ちたとか。で、手元の求人誌でここが載ってて。何か、俺ここで働くべきだって思ったんですよね。死ぬような場所で働くのがふさわしいって思った。そんな気がするんですよね。……、あ、あと給料がめっちゃ良かった。そんなとこっすかね!

ダン さっき星空の話をしましたが、東洋医学では身体を小宇宙と言ったりするんですよ

若槻 ん、小宇宙……『コスモ』!

ダン 聖闘士星矢、知ってると思いました。往年のジャンプが好きなんですよね。武論尊とかの話もできたらいいですね

若槻 え、マジ、ほんとっすか。そんな人なかなかいなくて……

ダン、立ち上がる。

ダン 確認に戻ります。若槻さんも、お気をつけて

若槻 何に?

ダン 死にたいと思うときは、危険なところには近づかないことです

若槻 別に今は

ダン 道路は端っこを歩く。駅のホームは真ん中を歩く。工事現場には近づかない。そうじゃないと、自分でも気づかない内に、巻き込まれて行ってしまいますから

ダン、去る。若槻、一人で残る。

若槻 怖いこと言うなあ

長尾、入ってくる。

長尾 若槻君。どうした?

若槻 長尾さんこそ

長尾 この間のメーターがね。多すぎるだろうって呼ばれちゃって

若槻 あー

長尾 まぁ。自分でやったことだから

若槻 なんかすいません。うちの白井さんのせいで

長尾 うちの!?

若槻 放っておけないんですよ、あの人ひとりじゃ生きていけなさそうで

長尾 同情から始まる関係って言うのは……

若槻 いいじゃないですか。白井さんも俺に同情してるんです

長尾 ……

若槻 長尾さんは夢とかありますか

長尾 ええ?あのバスに、毎日人を乗せて、ちゃんと送り届けられれば

若槻 そういうんじゃなくて。人生を通じて成し遂げたいこととか

長尾 そんなこと、考えられないよ

若槻 ですよねえ

間。

若槻 金がないなあ、本当に

長尾 今日はどこか飲みに行くか?

若槻 そんな金、ありませんから

長尾 守るものができると、財布も固くなるよな

若槻 そんなんじゃないですけど……前、白井さんから聞いたんですけど、障害者年金って

長尾 え?

若槻 あれ貰って、その上で働いたら、相当なもんになるんじゃないかなって

長尾 馬鹿なこと考えるなって

若槻 最近、そればっかり考えちゃうんですよ。点検してる時、運良く滑らないかなって

長尾 止めろよ、また白井さんを一人にするのか

若槻 だから違う……お金があればなって話です!

モーター音と断続的な金属の音が響き始める。

長尾 じゃ、行くけど。あんまり、考えすぎないでね

若槻 でも、考えてないと、不安で潰れそうになるんですよ。一体どうしたらいいんですか

長尾 辛いよな、目先の労働と金に追われて

若槻 夢もない、金もない、生きる意味もない。でも白井さんはほっとけないし。じゃあ、どうしたら……

音が大きくなる

若槻 何の音?

長尾 フォークリフトかな

若槻 めっちゃガタガタいってますけど

長尾 資材を載せてる?

ダン、駆けてくる。

ダン テイくん!グエン・テイ!どこにいますか!

若槻 えっ

ダン テイさん!止まって!資材はリフトでは運びません!

ダン、駆けていく。長尾、若槻そちらを見ると、

長尾 うわっ!めちゃくちゃ積み上がってる!

ダン (声だけ聞こえる)止まって!

若槻、ふらふらとフォークリフトに向かって歩き出す。

長尾 若槻くん!?何やってるんだ

若槻 うわっ、長尾さんめっちゃ揺れてますよ~

長尾 なら近づくなって!おい!

全員いなくなる。缶コーヒーだけがぽつんと残っている。ダンは止まれ止まれと叫び、長尾は若槻くん近寄るなと叫ぶ。

フォークリフトがゆっくり停止する。固定の甘い資材は停止の慣性で容易く雪崩れ落ち、若槻の上に折り重なる鉄の音が響いた。

若槻の悲鳴。

長尾 若槻くん――――!

三、病院のエントランス、車のロータリー 13:00頃

ダンと白井がエントランスに居る。

長尾はロータリーに一時駐車し、二人のもとへ向かう。手には見舞いの袋。

長尾 遅くなってごめん。面会は済ませちゃったのかな

ダン いえ……入れてもらえませんでした。面会謝絶です

長尾 え、白井さん、連絡は

白井 何回もしてるけど、一度ごめんって帰ってきたきりで

長尾 怪我の容態は

ダン 命に別条はないようですが、脚が……

有田、後部座席から下りてくる。しかし足取りはおぼつかず、酒に酔っていると分かる。

ダンと白井は怪訝な表情。

有田 おう。どうだった?

白井 え……?

長尾 部長!待ってて下さいって言ったじゃないですか

有田 長尾さん昼休みだったのに、俺も出してもらっちゃったよ、特別便

長尾 会社の見舞いなんですから、もともとその予定でしたよ

ダン どうしてお酒を?

長尾 有田さんもともと別の用事で半休を取ってたみたいで、それがストレスで飲み始めちゃったんだ

有田 若槻くんが意識を取り戻して、今日から面会だろ。あの事故は労災だからいち早く見舞いに行けって言われたから来てやったのよ

ダン それが、今は面会を断っているようで

有田 俺ぁ、今日は娘との面会日なんだよ

長尾 え、お子さんが病院に?

有田 ちげえよ!離婚した妻がよ、月に一回はお父さんに会ってあげなさい、かわいそうだからって

長尾 ああ……。それは、愛情ですよ

有田 馬鹿言うな。お父さんといるとイライラするって5分で終わっちまうよ。しかし、災難だったな。こうも立て続けに事が起こるとね。社長、お祓い行ったほうがいいよ。久場さんに続き、呪われてるね、あの枠は

白井 ……

有田 で、死なずに済んだみたいだな?

ダン ただ、足はもうあんまり動かないだろうと

有田 うまくやったねえ

ダン は?

有田 足を切ったわけじゃないんだろ?それで障害年金貰えるんだから。会社が自殺未遂だと言っても、国は障害年金を出す。いいねえまったく

ダン やめましょう。そういうのは

有田 俺だって考えたことあるよ

長尾 え?

有田 金さえありゃ、妻も、子ども連れて逃げ出さなかったかもなって。……、よし、とっとと済ませるか。俺ぁ娘に会いに行かなきゃならねえからな

長尾 いや、面会謝絶ですって。ちょっと、部長!

長尾はずんずんと歩いていく有田の後を追って病院の自動ドアをくぐった。

ダンも止めに行こうと踏み出したが、呆然とした様子の白井を見て立ち止まる。白井さん、と声を掛けようとしたところ、

白井 ダンさんは

ダン えっ?

白井 どんな仕事が私に向いていると思いますか

ダン それは、どういう……

白井 レジ打ちのパートを辞めて、清掃に移らないかって言われたんです。最近はぼーっとしてて、特にミスも増えたから

ダン ……

白井 今までは朝か昼から4時間だったんですけど、掃除は早朝に2時間だって。早起きも苦手ですし、これじゃ一日に2000円も貰えません

ダン 失礼ながら、貯金は?

白井 分かりません

ダン え?

白井 怖くて。確かめるのが

ダン 古河さんが管理していた?

白井 はい

ダン 通帳は手元にはありますよね。まさか持ち逃げ……

白井 いえ、あります。私のものも、古河のものも

ダン ……!

白井 だから怖いんです。古河の通帳にお金が残っていたら。もうお金なんて必要ないってことだったら

ダン と、とりあえず、糊口を凌ぐという意味なら、隣町のパチンコ店はどうでしょう。祝い金も出るそうですよ

白井 パチンコ

ダン はい。不本意でも、腹を括る時です。あるいは生活保護……

白井 不本意なんかじゃないですよ。できることならやりたいです。でも、言葉が通じないんですよ

ダン ……

白井 スーパーでも、パートの方たちと休憩室で一緒になってももう一言も話さなくて。お客さんに説明するときも、正しいはずなのになぜか伝わらなくて。面接の時も、他の人と同じことを言ってるのに分からなさそうな顔をされて。だから私、疫病神で、宇宙人だなって

ダン それは、私が日本語が不得手だった時と重ねて言えるものかは分かりませんが、ただ、ひとつ言うなら、日本語って、話すだけならとても簡単なんですよ

白井 え?

ダン 読み書きは最難関かもしれません。でも、たった5つの母音と、そう多くない子音、簡単な舌の動き、これさえできれば意思疎通ができるんです。だから、その……練習をすれば、きっと、上達します

ダンは言葉を尽くすが、白井の表情は晴れない。

ダン 古河さんとは、どうして一緒にいたんですか。言葉が通じたから?

白井 そうかもしれませんね。染み付いた秋田訛りはなかなか伝わりませんし、余計そうだったのかもしれません。でも違うんです。言葉が通じるわけじゃなくても、一緒にいられる関係が心地よかった。でもそれは古河にとっては負担だった。当たり前ですよね。だって私、みんなが辛い思いをしている時に呆然としていることしかできない

白井、スマホを取り出す

ダン あっ

白井 契約したんですよ。実家の時のガラケー以来。……ニュースを見ていると、行方不明とか、身元不明の遺体とか、そういうの全部、あの人かも知れないって思うんです。こんなの見ないほうがいいんでしょうか

ダン 白井さん自身の精神衛生を保つことも、出来ることの一つです……

長尾が罵声を飛ばす有田を抑えながら戻ってくる。

有田 何だ、あのガードマン。偉そうにしやがって。てめえの代わりなんて、いくらでもいるんだからな!

長尾 部長!!お願いだからやめてください!病院ですよ!?このご時世、動画撮られるなんてこともあるんですから!

有田 チッ、クソがよぉ。何で俺が見舞いなんか。あいつもあいつ、ベトナム人もベトナム人だ。ふざけた野郎ばっかり

有田、白井の前に立つ。

有田 (脚を怪我したジェスチャーをしながら)あいつは、お前のためにやったんだぜ

白井 え?

長尾 やめてください!

有田 あいつと仲睦まじくやってんだろ?全く気色悪い。吐き気がするぜ

白井 私のせい?

長尾 違う、事故だよ。止めようと近づいて、そしたら鉄骨が

ダン 危険なところには、近づかないように言ったのに

長尾 ダン君

有田 とんだ疫病神だよな。頭も悪い。体も弱い。精神もいっちまってる。そんな人間がのうのうと生きててよ

長尾 何言ってるんですか!

ダン それ以上言うなら許しません

有田 許さない?外人が、どうせ日本で勉強するだけしたら国に帰るんだろ

ダン 私の自由です

有田 骨をうずめるってことを知らねえのよ。何が技能実習生だ。お前らだって、日本をいいように使ってるだけじゃねえか

長尾 部長、実習生は製鉄を学ぶ子たちだけで、ダンくんは違う……

有田 お前の家、金持ちなんだろ。だったら菓子の一つくらい持って来いよ。そういう常識もねえのか

長尾 ダン君は救急車だって一緒に乗って

白井 私に電話くれたのもダンさんです

有田 そういうのが腹立つんだよ!長尾もいたんだろ?何でお前がやらなかった

長尾 誰でもいいでしょ。一応見舞いは勤務時間でしょう、報告しますよ?

有田 調子に乗るなよ!辞めさすぞ!

長尾 もう行きましょう。後は彼らに

有田 俺はいらねえってのか。こいつらが何なんだ。知恵遅れに、外人に、カタワも増えるのか。お前らみたいな、弱者を気取った奴らがな、俺たちから盗み取っていくんだ

長尾 部長!!!

有田 (ダンに)この事故だって、お前がサボって新人任せにしてたからだろ

ダン それは、認めます

長尾 別にサボってたわけじゃ

有田 午前だってな、(わざとらしくフルネームで)ライ・テイ・ズーンが下手打ってな。その後始末だよ。正門の受付やらせてたら、帳簿の見方が分からなくてお得意様を追い返しちまったんだよ。あいつな、分からんなら日誌読めって、日誌に全部書いてあっからって教えたら、日本語読めねーんだ。頭におが屑詰まってんのかって。お前どうにかしろよ。ベトナム人の管理役だろ

長尾 いやいや、コミュニケーションを円滑にするって意味で、正式にそういう立場ってわけじゃないんですから

有田 ああ?スパイス臭えクソしやがってよ。ここは日本だってのに普段何食ってんだ。トイレ使ったあとはちゃんと流せよボケ

長尾 口が過ぎますよ

有田 実習生っていうくらいだから、厳しく教えてやらねーとな。じゃなきゃ雇う意味もねえ

長尾 彼だって生きていかなきゃならないんですから

有田 洒落せえこと言いやがって。出来ないなら帰れ

長尾 部長も出来ない時はあったはずです

有田 ねえよ!警備なんざ半身麻痺でも務まるんだ。五体満足のあいつはそれ以下か

長尾 それ以下とか止めましょう

有田 俺は俺以下の人間をみると虫唾が走るんだよ。あんな雇い損に給料出すなら俺が二倍働くぜ

長尾 黙ってくれよ

有田 ああ?

長尾 こんな、こんなことばかり起こっていたら、僕は働く人たちにどう顔向けすればいいのか分からないよ。生きなきゃいけないから働くのに、怪我して、罵られ、どこかへ消えてしまう

有田 古河のことか。あの痘痕面の白髪混じり。あんな陰気臭い奴は消えた方がいいんだよ。底辺同士がくっついて上手くいかなかっただけ……

ダン、有田の言葉を遮り、地面に引き倒す。

長尾 ダン君

ダン お前も、同じだ。同じ

ダン、有田の胸倉を掴。む

有田 何だよ、同じってよ

ダン お前も、外人だ

ダン、大きく振りかぶる。

長尾 ダン君――!

四、 後日、病院のエントランス

総合病院のエントランス、ロータリー。長尾と白井がいる。

若槻、車椅子で来る。片手には松葉杖。

若槻 お久しぶりっす。わざわざすいません

長尾 どうだい調子は

若槻 まあ……

長尾 これ退院祝い。この辺の名産なんだけど

若槻 荷物取りに帰るだけなんですけどね……えっ、メロンっすか

長尾 マスクメロン。早めに食べてね

若槻 はい!いただきます。……白井さん

白井 ひさしぶり、四季くん

長尾 シキ?

若槻 俺っすよ。その、結局古河さんのこと

白井 ごめんね、来るのが遅くなって

若槻 いや、それは俺が断ってたからで

白井 ごめんね、一緒に名古屋行けなくて

若槻 そんな、俺の方こそです。その、優里さんさえよければ、脚が治ったらまた

白井 そうだね

長尾 まあ、乗ろうか

長尾、二人を促す。ロータリーにはNーBOX。3席しかない。長尾、手には車の鍵を持っている。

若槻 え、それ、もしかして、買ったんすか?

長尾 ああ。中古車。即納車して貰えるものをね

若槻 でも、どちらかというと、要らない感じじゃなかったっけ。何で?

長尾 まだ走らなきゃいけない、と思ったから

若槻 はあ

長尾 さて、座席を一つ外してきたが、車椅子は乗るかな?

白井 立てる?

若槻 数歩なら

若槻、後部座席に座り、その横に車椅子。運転席に長尾、助手席に白井。車、進む。

若槻 その、これって今回のために?

長尾 車いす仕様は中古も高くてね

若槻 ほんとにすいません

長尾 いいんだ、自分のためだから

若槻 え?

白井 私の家まで迎えに来てくれた時、この雪道を、タイヤがつるっつるで走ってて、私叫んじゃったんです

若槻 雪すっごいですもんね

白井 だから、ここに来る前に歩いてチェーンを買ってきて取り付けたんですよ

若槻 優里さんが?

白井 私です

若槻 へえ、意外

白井 この車も、15万キロ走って15万円。状態もそこまで悪くなさそうですし、いい買い物でしたね

長尾はふたりの会話を促すためあえて運転に集中する素振りをし、頷くだけにした。

若槻 その、優里さんって歩くの得意ですよね

白井 大得意です

若槻 なら植物園なんかどうかなって

白井 いいですね!それならリハビリも兼ねて

若槻 あ、長尾さんも今度必ず行きましょうねツーリング

長尾 ああ……

若槻 その、ダンさんはまだ……

長尾 ああ、あの後、周りに通報されて警察が来て、今日釈放の日だ。若槻くんを社員寮に送ってから迎えに行くよ。……僕は今回のこの逮捕について抗議をしようと思っている。良かったら、君も手伝ってくれないか。 多分署名するだけとかだけど

若槻 もちろんです

長尾 ありがとう。そうだ、今弁護士と相談してるんだけど、この怪我の件で何か不安なことはないかい。ついでに聞いてみるよ

若槻 いえ、こっちも粗方決着はついてるんで。気になるのは損害賠償なんですけど、相手は外国人で回収の見込みが薄いから会社に請求しましょうってなってるんです。労災保険も無事下りそうで。この件はおしまいです。これ開けていいすか。どうやって食べよう

袋を開けると、メロンと一緒に函館のペナントが出てきた。

若槻 ……

長尾 ステッカー気になってたみたいだから

若槻 俺、こういうのは買わないっすね

長尾 仕事には戻れそう?

若槻 分かんないっす。リハビリもやってますけど、根気強くやっていこうと言われるばっかりで。障害手帳を取ることも視野に考えていくってことで、進んでますけど

長尾 そんなもんだよ。大丈夫、若いんだから

若槻 若いから?

長尾 きっと回復も早い

若槻 ……、そうですね。頑張ります!早く復帰できるよう気合いれなきゃな。加害者の人にも、お早い回復と復帰をお祈りしておりますって。誠心誠意対応させて頂きます、って腐るほど言われたもんな。全部弁護士に教わっただけの謝罪文だ

長尾 会社は、本当に責任をとってくれるのだろうか?その加害者が全ての責任を背負わされる結果にはならないだろうか。立場の弱い者に押し付けられてしまわないだろうか

若槻 もし会社が責任を取らないとなったら、その時は損害賠償は請求しません

長尾 それはどうなんだ。君だって立場の弱い

若槻 弱いって何なんですかね

長尾 え

若槻 弁護士さんもしきりに言ってましたけど。俺は普通にやってるだけなのに弱いんですか。怪我したらもっと?俺はそんなつもりはないですよ

長尾 そういうことじゃない、そういうことじゃ

白井 あ、じゃあ私のお見舞いも見てください

白井、紙袋から現像された写真を取り出す。

若槻 これは?

白井 家の近くに星空が見える隠れスポットがあって、そこから撮った写真。プラネタリウムなんかより凄いよね

若槻 きっとプラネタリウムもいいっすよ

白井 うん。で、これはお守り。神社で買ってきた。病傷平癒。でこっちが編んできたお守り入れ

白井、紙袋から次々と数百円で買えそうなものにハンドメイドを組み合わせた品物を出していく。

若槻 ありがとうございます。大事にしますね

無言で車が走る。若槻はタイミングを計るように外を見ている。

若槻 長尾さん、俺ここで降ります

長尾 ……え?社員寮まで行くけど

若槻 降ろしてください

長尾 いやいや

若槻 車椅子に慣れときたいんです

長尾 それはもっと回復してから

若槻 俺、多分一生車椅子なんです。だから、早いほうがいい

長尾 ひと駅分くらいあるぞ

若槻 この後ダンさんを迎えに行くんでしょ

長尾 そうだよ

若槻 そこ曲がったら一直線でしょ、警察署まで

長尾 何言ってんだ

若槻 合わせる顔がないんですよね。崩れそうな資材に馬鹿みたいに近づいて巻き込まれて。火焼き祭りも何となくで過ぎ去って、そのくせ下心持って白井さんと連絡とって。俺は一体何なんだ

白井 長尾さん、降ろしてあげましょう

車、曲がり角の前で止まる。

白井 降りる?

若槻 はい

白井、車椅子を降ろす。若槻に手を貸してやり、車椅子に乗せる。

若槻 ま、こんなこと言って、階段がない道選んだんですけどね

長尾 知らないと思ってるのか。社員寮にはスロープもエレベーターもない。この世には、意地やプライドだけでやっていけないことなんて山ほどあるんだぞ。世話してやってるなんて言うつもりは毛頭ないが、何故降りる必要がある

若槻 でも降ろしてくれたじゃないですか。長尾さんは、もう壊れてしまったのに、走り続ける辛さを知ってるんじゃないですか

長尾 壊れた?……それでもきっと、休めば元に戻るさ。君は若いんだから……

若槻 はい

白井 バイバイ

若槻、手を振り返す。長尾を呼ぶ。

人を乗せて走り続けることを望む長尾の姿と、自身の脚を比較して、続く言葉はなくなってしまった。

若槻 気をつけて。お元気で

長尾 ああ。ありがとう

車、走り出す。白井、スマホを触り始めた。

長尾 あれ、それは

白井 契約したんですよ

間。

白井 暗いですね。まだ夕方なのに

長尾 この町だって冬は暗い

白井 はい

長尾 おかげで早く着くね。ここからだと、警察署を通って山を回って白井さんの家まで送れる

白井 はい

長尾の携帯が鳴る。

長尾 ダンくんだ

スピーカーモードにして、ダッシュボードに置く。

長尾 もしもし?

ダン 長尾さん、わざわざ申し訳ありません

長尾 ダンくん。どうだい、調子は

ダン 問題ありません

長尾 そうか。今そっちに向かってるよ

ダン それなんですが、もう警察署を出ました

長尾 え

ダン 申し訳ないですが、送っていただくのは結構です

長尾 ええ、そんな。せっかく買った車を見せたかったのに

ダン はい?……おめでとうございます

長尾 ああ

ダン なぜですか

長尾 誰かを乗せて走らないと死んでしまう気がして

ダン ……

長尾 まあそれならそれでいいよ。不躾な質問だけど、頼りになる人はどれくらいいるのかな。もし心当たりがないなら僕に何でも言ってくれ。力になるよ

ダン 本当にありがとうございます

長尾 もちろんだ。……ところでなんだけど、僕はこの逮捕・勾留に抗議をしようと思っている。 ダン君のようにきちんと就労して住所も定まっている人が傷害事件で勾留まで進むのは、もっと悪質な場合でないと、そういう例は少ないんだ。外国人であることだけを理由に行われている。ダン君さえ同意してくれたら本格的に動こうと思う。君の将来にも関わる

ダン 私は日本人ですよ。帰化しています

長尾 ああ、そうだね、見た目で判断されていると言いたかったんだ。それで、君が今の仕事を続けるにしてもそうでないにしても、やはり示談に持ち込むのが手だ

ダン そのつもりです

長尾 弁護士に事のあらましは説明してある。このあと直ぐにでも……

ダン 長尾さん。大変ありがたいのですが、私の方でも、弁護士とは連絡を取っています。焦らないでください

長尾 ……そうか。なら何故こんなに逮捕が長引いたんだい

ダン 被害者と面識がある場合は報復に行く恐れがあるからだそうです

長尾 そんなことはしないだろ

ダン 口では何とでも言えますから

長尾 そうだけど、あの程度で

ダン 人を殴ったのに

長尾 でも

ダン 人を殴っていい理由なんてありませんよ。でも僕は、確信を持ってやりました

長尾 そうだ。僕は、部長のことが許せない。技能実習生を採用する立場でありながらあんな発言をするなんて。……ダンくんはこれからどうするつもりなんだ

ダン、黙っている。

長尾 僕の浅知恵だけど、通訳とか翻訳はどうだろうか。鍼灸師とも両立できたり……。 ダンくんならもっと

ダン 私がここで働き続けてはおかしいですか

長尾 は?続けるつもりか?

ダン それは分かりません

長尾 どういうことだよ。本当の気持ちを言ってくれ

ダン 分かりません

長尾 ええ?

ダン 働き続けられるとは思っていません。ただ、私がどうするかはあなたには関係がないはずです

長尾 え

ダン 長尾さんは些か私に肩入れしすぎているようですね

長尾 そんなことは。君にとって失礼な話かもしれないが、やはり外国人というのは足元を見られるんだよ。警察だって信用ならないぞ。入管での事件は知ってるはずだ。君たちに何をするか分かったものじゃない。第一、会社は部長の発言について謝罪する気はないのか

ダン ……

長尾 若槻くんに見舞いの品も渡していないそうじゃないか。立場の弱い者はいつも後回しだ!僕たちはそれで大丈夫だと言って利口そうな顔をして。そんなはずじゃないんだ、僕たちは……!

ダン 私は弱い者ですか

長尾は固まる。

ダン 私は、人間は血の詰まった革袋だと思うんです

長尾 それは、東洋医学で?

ダン 誰しも、先入観で自分を語られたくはないですよね。国籍や、肌の色、使用する言葉。それらである以前に私は私なんだと思いますよね。それは本当なのでしょうか。全てはこの身体に宿る血で決まっている。袋の紐を解いて中の血をぶちまけた時、私であるといえるのはどちらなのでしょうか

長尾 何のことだ

ダン 放っておいて貰っていいですか。そういう考え方は私には合いません

長尾 あ……

ダン 異郷に入れば誰もが弱者です。私たちがただの革袋で血から逃れられぬのなら、そこを超えた部分で闘い、生きていくまでです。弱く見える者をそれだけで弱者と決めつけ救おうとすることこそ、他の何より先入観だと思っています

長尾 僕は、君に助けてもらったから、その恩を返したいと

ダン 本当にありがたいと思っています。でも私が本当に必要なのは送り迎えではなく、勾留中の歯ブラシや替えの下着なんです。長尾さんの優しさは痛み入りますが、あなた自身、他人を気にかける余裕はありますか。弁護士への相談だってタダではなかったでしょう。自分が生きていくことに集中するべきです。特に、長尾さんのように独り身で、高齢の方は

長尾 何なんだ、それは。君もいなくなるつもりか。僕の車に乗らないつもりか

ダン どうしたんですか。そんなことを言う人じゃないでしょう

長尾 怖いんだよ。独居の人間が死んだら、誰にも発見されずに腐り落ちて、床に黒い染みを残すだけというじゃないか。なら、何でもいい、身体に燃料をくべて、まだ走りたいんだって言わなきゃ、本当にお終いじゃないか

ダン それで、どうしたんです?

長尾 誰かの助けになりたい。自然と求められたい

ダン それは、無理な話です。……これくらいにしておきましょう。またお世話になることがあれば、その時はよろしくお願いします。古河さんの件はお力になれずに申し訳ありませんでした。末永く、幸多からんことを

白井 長尾さん、あれ

白井が指さした先には、雪の歩道を歩くダンが居た。白井は手を振る。気付いたダンは頭を下げて去っていった。

電話が切れる。長尾は腕の静脈瘤を撫ぜた。

白井は、雪で染まった代わり映えない景色を眺めている。山道のまばらな道路照明灯の明かりが車を照らし飛び去っていく。

沈黙。

白井 暗いですね

長尾 雪が降ってるから、ましな方だけどね

白井 そうですか

長尾 火焼祭りには行った?

白井 いえ。明るいところに出ても、申し訳なくなるから

長尾 白井さん。古河くんはどうしたんだろう。その、前に言っていた、古河との子供っていうのは

白井 ええ?嘘に決まってるじゃないですか。私との間にいるわけないですよ

長尾 そうか。……そうか

白井 でも、どこかの女の人との間にはできたかも

長尾 え?

白井 だから、その人と幸せになってくれたらいい。そしたら私も嬉しいから

長尾 ……

白井 生きてさえいれば

長尾、ハンドルを強く握り直す。

長尾 白井さんは、これからどうしようと思っているんだ

白井 ひとまず、部屋を片付けようと思います。まず、家庭菜園

長尾 何を育てているんだ

白井 プチトマトです。古河が、子供の時から育ててる苗だそうです

長尾 秋田から持ってきたのか

白井 本当にそうかは分かりません。でも古河はとても大事そうに育てていました。塩に負けなかった丈夫なやつだって。……彼の家の庭にプチトマトが育っていたのを見たことがあります。でも、いつか雑草ごと枯れ果てていて。何でだろうって思ってたら、古河の母がね、プチトマトを育てているのが気に食わなくて、庭に塩を撒いたせいなんです。雨で流れた先の植物も全部枯れちゃってとんでもない騒ぎになったんです

長尾 形見があるならいいじゃないか。……ああ、いや、亡くなったわけじゃないのに、ごめん

白井 それも全部枯らしちゃったんですけどね。もともと日当たりが悪いアパートで。古河がいなくなってあたふたしていたら、お水を全くあげていなくって、雪の重さで全部潰れて。 いつか実家に苗を分けてあげたいって言ってた。帰るつもりだったんだ。古河がずっと想っていたのは、故郷のこと。あの人は、新しい生活なんて望んでいなかったのかもしれません

長尾 そんなことは……

白井は身を抱え震えだした。

長尾 この前渡したカイロは

白井はバッグからカイロを取り出し、手を温める。

長尾 駅前で羽織るものを買おう

白井 長尾さん

長尾 ん?

白井 これから、どうしよう

長尾 ひとまず、帰ろう。それと、部屋の片付けは僕もする

白井 長尾さんは、子供はいないんですか?結婚は?

長尾 いや

白井 したいと思わなかったんですか

長尾 僕は……分からない。僕は、捨てられた人間だから

白井 え?

長尾 無戸籍児って、知ってるかな。戸籍がない子どものこと

白井 初めて聞きました

長尾 母親はね、父親に暴力を受けていて。僕がまだお腹の中にいたときに実家に逃げたんだ。母は僕をトイレで産んで。でも戸籍を届けたら、父親に居場所がバレてしまう。それで……無戸籍児童。保育園にも行けない。学校にも行けない。病院にも行けない。俺が18になる頃、父親が死んだ。そのおかげで戸籍を作ることができたけど、それまでは、世の中に、捨てられたような存在だよ。学校にも行ってない。字も書けない、数字も読めない。だから誰にも言葉が通じないような気持ちだった。でも地図なら、絵でかいてあるから分かる。だから……だからずっと、車に乗って来た……

白井、窓の外を見ている。身体を丸めたままグローブボックス(小物入れ)を開ける。

CDやサングラスが入っている。

長尾 前の持ち主のものだね。かけたいものはあるかい?

白井はCDを取り出した。世代は 70~80 年代のものが主だ。その中でひとつに手を止めた。

小林明子『恋におちて』だ。

長尾 知っているのかい

白井 母がよく歌っていた記憶があります。

白井、CDケースを見つめて、息を吸い込んだ。だがそれは歌にならず、肺の中で留まり続けた。

長尾の瞳孔が対向車のハイビームに狭まる。警戒しつつ、あらかじめクラクションを鳴らす。

吹雪く視界の先に車の影が見える。長尾の車の存在を直前になって認めた対向車は強烈なクラクション。

長尾、ハンドルを大きく左に切る。

対向車はカーブの先のガードレールを突き破り、その半身を雑木林の谷へと乗り出した。

長尾と白井、振り返る。

長尾、外に飛び出そうとする白井の腕を掴む。

長尾 馬鹿、何をしてるんだ、やめろ!

白井 助けないと

長尾 無理だ

白井 何で

長尾 こういう時は対向車が危ない! 通報するんだ

白井 でも!

長尾 やめるんだ!やめろ……!

長尾、白井を車内に無理やり押し込める。

白井、焦燥を露わに事故車を見る。

長尾 白井さん、通報を頼む

白井、事故車を見つめて動かない。

長尾 カーブは危険だから少し進むよ

白井、電話をかける素振りもなく焦燥している。

長尾、白井が動かないので、アクセルを踏みつつ、左手で足元の鞄から携帯を探る。 ダッシュボードに置いてあることを忘れている。

深く腰を曲げる。周囲を確認できない危険な姿勢。

白井、前方からの光にそちらを向く。直前まで迫ってくる。

白井 長尾さん、前――!

長尾、頭を上げようとする。しかし身体は硬直し、腰を抑える。

長尾 痛たたた……!!

対向車の眩いヘッドライトが迫る。クラクションの音。

白井、運転席に身を乗り出し、ブレーキを踏む。

ガツン、と衝突し、車内が揺れる。

長尾、うめきながら腰を抑えている。

対向車から人が出てくる。「おい、出てこい」と小さく聞こえる。

白井、サイドブレーキを踏む。痛がる長尾の背をさすってやる。

鍵を回しエンジンを切る。

なにか声をかけようとするが、言葉がない。溶暗。

5、翌年 火焼祭り

渥美神宮の広い駐車場。祭りの喧騒、花火の音も聞こえる。

長尾は蛍光色のたすきをかけ、誘導棒を持ち車を捌いている。事故がきっかけで警備課に転向していた。

ぼんやり祭りの明かりを眺めている。しきりに溜息をつき、ぼそぼそ独り言を呟いている。

有田が来る。息切れしているように見える。

有田 あれ?長尾さん?何でこんなところにいんの

長尾 え?

有田 ボランティア?

長尾 止めてくださいよ

有田 お互い休みだったってのになあ。まあ、行きは助かったよ。また『特別便』出してくれて

長尾 ……

有田 呼び出されたはいいが、タクシー代すら手元にないときた。経費で落ちるが、返ってくるのはいつだ?そう思うと、自然と長尾さんに電話してたぜ

長尾 駐車代くらいは出ませんか。車で来る予定じゃなかったんですけど

有田 娘が謝ってきてな。高校の学費を出してくれって。毎月、手元に一銭も残らねえ

長尾 ……

有田 で、この後なんだが、社用車に乗り換えてきて、イベント会社の連中をホテルまで送って欲しいわけよ。そろそろ酒盛りが始まりそうなんだが、例年運転しない奴らはぐでんぐでんだ。明日も早いし、手際良くやるに越したことはねえ

長尾 もう運転手じゃないんですよ。持ち場もありますし

有田 ああ、それはな、先方が若いの寄越すって

長尾 その子が運転すればいいでしょ

有田 馬鹿言え、もう酒入ってんだ

長尾 もう運転したくないんですよ!

有田 つべこべ言いやがって。俺ぁ上に何度も頼み込んでやったんだぜ、長尾さんが仕事続けられるように。あん時は状況が悪すぎたとか

長尾 余計なお世話です

有田 何!?……ふん、じゃあ誰が運転することになるんだろうな。飲んでない奴はいないぜ。誰か呼びつけるか

長尾 ……

有田 今から都合よく来てくれる奴いっかなー。いねえよなあ。じゃあ仕方ないか

長尾 分かりましたよ!やります

有田 え、いいんだよ、こっちでやるから

長尾 祭りだから警察も沢山いるでしょ。正気ですか

有田 ああ。じゃ任せたよ

長尾 宴会が終わるのはいつ頃なんです?

有田 馬鹿、宴会じゃねえ、親睦会だっての。いつでも出れるように待機しといてくれ。いつ終わるかは分からん。コンビニくらいは構わねえが、早いうちにな。あまり長く抜けるんじゃないぞ

長尾 分かりました

長尾が承諾したにも関わらず有田は戻る気配がない。

長尾 もう分かったんで、戻って下さいよ

有田 しんどいんだよ……あの石階段。戻りたくねえなあ……

そう言って誰のとも知れない車に寄りかかる。

有田 もう一年だな、事故ってから。そろそろ国に帰る頃じゃないか、あのベトナム人

長尾 ああ、日本を旅して回るって話でしたね。少しはいいことを見つけて帰ってくれたらいいけど

有田 見送りには行ってやらないのか

長尾 彼には必要ありません。……社用車を使うことは、報告してくれてますか?

有田 鍵は若いのに持たせてるから、ちょろまかしてくれよ

長尾 必要だから車を出すのに。何でそんなことをしなきゃならないんです

有田 何年言ってるんだ。決まった時間以外に車は使わせねえ、それが規則だ。事故ったら誰が責任取ると思ってんだ。だからよ、何とかしといてくれよ

長尾 僕が帳尻合わせたって、無駄なんだ。何なら、死んでやろうか。全部僕に押し付けて、うやむやにしてしまえばいい

有田 もう、何言ってんだ!屋台で何か買ってきてやるよ。何がいい?

長尾 何も

有田 そうか、じゃあ交代が来るまで待ってろよ

有田去る。長尾、空を見上げる。白い息が寒空に立ち昇る。

長尾 もう、いいかなぁ。……はぁ。もう、いいよなぁ

遠くに空想のダンが現れ、笑顔で語りかける。日本のお土産を沢山身につけている。

ダン 長尾さん!僕はもうこれでベトナムに帰ります。だけど見てください。日本の津々浦々を周りましたが、どこも素晴らしい場所ばかりでした。気候も、言葉も様々で、山も、海も町も風光明媚で。特に、山陰地方の電車の旅が心に残りました。こんな経験はもう二度とできないでしょう。……なぜこんな旅ができたのかというと、流しの鍼灸師、といったことをしていたんです。その土地その土地の人達と関わりながら心を癒していくこと。日本で鍼灸を学ぶことが来て本当に良かったと思います。今では、帰ってしまうことを惜しいと思うほどです。でも、何よりこのことを長尾さんに伝えられることを嬉しく思います。若槻くんや、白井さんにもよろしくお伝えください

空想の若槻と白井が寄り添って現れる。

若槻 ……その、お久しぶりっす。いや、あの時はあんな態度とっちゃってすいません。でも、今となっては間違ってなかったと思います。だって今こうやって二人でいられるんだから。今何してるかっていうと、絶対戻りたくなかったんですけど、長野の実家の旅館を継いでるんです。そうしようって思えたのも、優里がいたからで。実家に二人で戻った時は父も母も大反対。カタワと障害者に継がせるくらいなら潰れたほうがマシだって。今でも、両親とそりが合うとは言えません。でも仲違いしたままだときっと後悔するって。……な?

白井 ええ。四季くんは私の母の墓参りにも来てくれました。母はきっと私たちの関係を許さないと思います。でも、世間から外れた二人だから、失敗や後悔ばかりだからこそ出来ることもあるって言ってきました……言ってやりました!いけないと思ったけど、古河の実家も覗いてきました。明かりの灯った部屋に、多分古河の母がいました。私は、それでいいなと思いました。私は古河の帰る場所になることはできなかったけど、この町にはそれがある。だから私はもう前を向くことにしました。自立するって目標は果たしてないけど、今は四季くんといるから。子供は無理だけど、経済的に安定したら養子とか、ね?私は、古河からは力を、生きる力を奪うだけだった。でもこれからは、与えていきたい。雪の降る町にも負けない熱い気持ちで。だから長尾さんも諦めないで、走り続けて――

長尾が求めるように彼らを向くと、霧のように消えていってしまった。

もう一度ため息をつくと、背後に古河が現れた。

古河は相変わらず恨みがましそうな顔をして、呆ける長尾を訝しげな表情で見ている。

古河 おい。……おーい

古河、腕を組んで苛立ちを露にする。

古河 じいさん、交代だ。おい

長尾、振り向く。幻を見る目で古河を見ている。

古河 ……ん?そのシミは長尾さんか。ドライバーは辞めたんですか?人員不足で駆り出されたのか?或いは掛け持ち?……いずれにしても最悪だな。終わってるよ、三沢製鉄は

長尾、手を伸ばして触れる。古河は消えない。

古河 は?

長尾 え?

古河 ……どうした?一年前はもっとしゃんとしていたように思うが

長尾 え……ええ!?

古河 何だ!

長尾 古河……くん?本当に?どこに行ってたんだ!なぜここに

古河 ああ、腕が動かなくなって三沢製鉄じゃ使い物にならなくなったからな、火焼祭りで世話になってた名古屋のイベント会社に拾ってもらったんだ

長尾 おま……お前!何だその口ぶりは!白井さんは、白井さんはどれだけお前のことを!

古河 知ってるのか。探したんだろうな。それは本当に申し訳なかった。俺にはあいつの世話は荷が重かった。はっきり言って、心中も常に頭をよぎってた。でも、俺は俺が生きることを選んだ。精根尽き果てて死んじまうよりはマシだと思った。無責任だったと思う。連絡くらいはしようと思ったが、あいつは携帯を持っていないからな

長尾 去年もいたのか

古河 ああ。……あんた、まさか俺が死んだと思ってた?

長尾 そうだよ!

古河 はは。まあその時は思いつめてたさ。だけどちょっと休んだら楽になった。長尾さんもちょっとは休んだらどうだ

長尾 休めるもんなら休んでるさ

古河 優里……白井はどうしてる

長尾 一年前別れた時には、若槻くんと一緒にいたよ。詳しくは知らない。だけど、そうだな。君が言うように、少し休めていたらいいな。もう、誰も僕に連絡くれるわけじゃないし、分からないけど。壊れた体も直って、また走り出せるまで

古河 じゃあそろそろ代わるか。向こうの奴がお呼びだ

長尾 ああ。話はまた聞かせてもらうからな

長尾、古河に誘導棒を受け渡す。目を合わさず歩いていく。

古河 おい!

古河、長尾に鍵を投げつけた。お互い背を向けると、

長尾・古河 頑張れ!

その言葉は同時だった。二人は目を丸くし、ふっと笑った。完。

あらすじ

渥美半島に前例のない雪が降る日、三沢製鉄の送迎バスの運転手をしている長尾(65)は今夜も最終バスで顔なじみの従業員たちを送迎する。鍼灸を学ぶため日本に来て、今は三沢製鉄で働く勤勉なベトナム人の青年ダン(27)、入社したばかりで以前はニートだった若槻(23)、事故で右腕が動かなくなり、上司から白い目で見られる古河(26)、不摂生で肥満体の粗野な有田部長(52)を送迎する最終バスは長尾なりの「最後の福祉施設」であった。だが、道中突然、古河がバスを降りるという。この雪の山道を降りたら、行くところはどこにもない。制止も聞かず

「生きているのは楽しいか。どうせろくな暮らしもできないのに何で働いてるのかって思わないのか」

と言い捨て、古河は降りていった。その後。コンビニで送迎バスのすべての便を見ていたという、高機能自閉症で障碍者手帳を持つ白井を乗せることになる。白井は古河と暮らしていたが、古河が一週間前に突然出て行ったのだという。生活苦と、自身に世話を焼く生活に疲れたからだと白井は語る。だが、帰ってきて欲しい訳ではなく、これからは自立して生きていくと伝えるために古河を探しているという。当てはないが、搜索の希望がないわけではなかった。例年三沢製鉄が会場の資材を提供している、渥美神宮の火焼き祭りの名簿に古河の名があったと有田が告げる。腕を怪我する以前は営業で、関わりがあったのだ。若槻、ダン、そして巻き込まれる形で長尾も捜索に協力することになる。

 数日後。白井の携帯の契約を手伝いに街へ行ったことをきっかけに若槻は白井と懇意になり、半同棲生活をしていた。その中で若槻は生き辛さを抱える白井を支えるためには金が必要であることを悟る。早まった若槻は、ダンが監督する作業中、障害者年金を得るため自ら事故に遭いにいってしまう。

 

 後日、白井とダンは病院へ集まるが、面会を謝絶され途方に暮れる。そこへ長尾の運転する車に乗り、あくまで会社として面会に来た有田が現れる。有田の足元は覚束なく、この後に控える、離婚し離れた娘との面会がストレスで車内で酒を飲んでしまったと長尾が告げる。強引に受付へ向かう有田と抑える長尾。それを止める力もない白井は、パートタイムの仕事でも上手く適応できないこと、古河は自殺してしまったのではないかということ、そして自分の言葉は誰にも伝わっておらず、宇宙人のような気持ちである、とダンに語る。ガードマンに強く追い返された有田は苛立ち、若槻の自傷行為は白井が原因であると突きつけ、現場を監督していたダンを呵責する。そして、実際に怪我をさせてしまったベトナム人技能実習生の青年を誹り、さらには古河と白井の関係性を貶した。それに激昂したダンは有田を引き倒し殴りつけてしまう。


 火焼き祭りも曖昧に過ぎ去った日。若槻は今度は素直に現れ、白井と共に長尾の車に乗る。若槻の部屋へ向かう途中、彼は唐突にここで降りると告げる。怪我した脚のリハビリを兼ねてと言うが、実際は長尾の世話になることに負い目を感じていたからであった。若槻を降ろした車は、傷害の現行犯で勾留されたダンを迎えに行くため警察署へ向かう。しかしその途中、ダンから電話がかかってくる。迎えは不要であること、そして長尾の他者を弱者と決めつけ救おうとする姿勢を強く批判する。失意の長尾は、もはや古河が生きているという希望を失った白井に、自身はかつて無戸籍児であり、学もなく、誰にも言葉が通じないような気がしてきたが、車で誰かを乗せている間だけは認められているような感覚であったことを語る。そして、雪の山道で、白井を乗せたまま、前方不注意で事故を起こしてしまう。

 一年後。会社の計らいで警備課に転向した長尾は、火焼き祭りで交通整備をしていた。長尾は運転手をやめ、最終バスからは誰もいなくなったのだった。
生きる希望を失くし、上の空で仕事をする長尾のもとに有田が現れ、酒に酔ったイベント会社の社員をホテルまで送ってくれと命じられる。最初は拒否したが、酒を飲んだ者が運転することになるぞと脅され、仕方なく了承する。常に頭をよぎっていた希死念慮が明確になったとき、背後から声をかけられた。長尾の交代で交通整備につく若者は、古河だったのだ。何食わぬ顔で挨拶をする古河に長尾は問い詰める。確かに当時は生活に希望が見いだせず死ぬ気で、白井との心中も考えていたということ。だがそこで営業時代に関わりのあった名古屋のイベント会社に声をかけられ、無責任であることを自覚しつつも逃げだしたということ。そして、休めば気も楽になったということ。長尾は誘導棒を渡し、古河は車のキーを差し出した。お互い「頑張れ!」と鼓舞して。

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