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なにもかもが未熟すぎてお話になりませんでした

長く準備をしていたイベントが終わり、ほっと一息。
そう思ったけどどうやら今の私にはそれは難しかった。

イベント自体は頑張りの結晶だった。
自分が担当していたところ以外は、もしかしたら自分の担当していたところも側からみたらそうだったかもしれない。

でも自分の中ではうまくできなかったところがいっぱい、というかうまくできなかったことだらけだった。

良いリーダーではなかった
感情に振り回された
与えられた仕事を全うできなかった
自分を過信していた
したくないはずの期待を人にしてしまった

要約するとこんな感じで、要約しなければ感じたことは多分4万字くらいになる。
要約しない文章はグーグルドキュメントに書いているんだけど、すでに1万字で、それでもまだまだ足りなさそう。

このイベントでいろんな感情を感じた、YouTubeに動画を更新し、自分のコンテンツとだけ向き合ってきた期間とは全く異なる頭の使い方、人との向き合い方をした。

YouTubeは結構数字重視の考え方をしていた。
見てくれる人というのも意識してはいたものの、それより多くの人のことを考えたり、自分が作ったものを必要としてくれたり好きだと言ってくれる人のことをまとめて考えていた。

傾向だったり嗜好だったり、構成だったり、流れ方だったり。
どちらかというと実験を繰り返しては直す、実験しては直すということの繰り返しである意味行き当たりばったりでも失敗を何度しても許される営みだった。

でも今回のイベントは確実に人対人で、なにもかも人人人だった。
人の表情が見えるところに常にいた。
自分のプロジェクトメンバーの顔はいつも見ようとしていたし、イベントのオーガナイザーの言っていることをたくさん吸収したいと思った。
一緒にパートナーとしてやってくれる人も大切にしたいとも思った。

そう思えば思うほど気をつかって疲弊した。
自分勝手にはいられない状況でそのしわ寄せはプライベートな時間を削ったり家族とのコミュニケーションに如実に現れた。

おそらく気をつかったと言っても、私は気をつかった気でいてもさほどつかえてはいなかったと思う。
未熟で幼稚園児くらいの気のつかい方しかできなかった気がする。

途中で限界を迎えたこともあったし、これ以上我慢したくないと投げ出したくもなった。
多分こう考えた人は私以外にもいたと思う。
投げ出す寸前まで行った、
投げ出さない人がいて、思いとどまったけれども。

最後までやりきったのは立派だ。
もともとそんなにやりきることが得意ではない。
途中では色々あったがハッピーエンドという感じだと思う。人間関係においては。

プロジェクトが佳境を迎えたときに連絡がつかなくなってしまった人も当日は差し入れを持ってきてくれたし、当日の運営はみんなで協力してできた。
ちょっと任せすぎてしまったかな、大変だっただろうなと思ったけど、今考えても私にできるのはあそこまでで、何度同じ日を迎えても無理してもらう程度を脱することはできなかったと思う。

いずれにせよ、終わったんだ。
後悔もこれで水に流そう、と思うけれどもそれは無理だった。
イベントを迎える直前と同じくらい気持ちが沈んでしまってどうしようもない。
省みるところが多すぎて、周りの人には見えていないところまでとにかく未熟だった自分がますます大嫌いになって、
この反省を書き残し過去のものとしてまた改善のための行動をしていかない限りは、この鬱々とした気持ちは晴れることがない。

ただ、そんな気持ちを晴らして自分を熟しあげるための気概だけは捨てずにいる。


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