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報道できること、できないこと

【2020/05/27】

「その程度のツイートで訴えるのはやりすぎ」「その程度の暴言も許されないのか」等と言われることがありますが、それだけで訴えた訳ではありません。

誹謗中傷や侮辱罪で訴訟を起こすハードルはかなり高く、不快な投稿程度ではなかなか引き受けてもらえません。

つまり、実際はこんなものではないと言うことです。

ではなぜその酷い投稿内容を報道しないのか。誹謗中傷された言葉を克明に報道されると、被害者はニュースを見るたび、またその酷い暴言を何度も目にしてしまう事になります。これは二次被害となって、心を深く傷つけます。しかも、それ(ニュース記事)は誹謗中傷そのものではないため、半永久的に活字としてネット上に残されてしまう。

報道では、様々な方が具体的な投稿の内容を伏せてくださっています。いじめや自死などのニュースでも同様に、ご遺族に配慮して表現を抑えて対応する事があります。凄惨な事件を正確に伝えるのも報道の使命ではありますが、加害者も被害者も人間である限り、そこには報道される人々の人権の問題があります。

ただ表現をマイルドにするとまた、「その程度で訴えるなんて豆腐メンタル」「その程度で死ぬなんて軟弱すぎ」などという、心無いバッシングをする人が出てしまう。

報道って難しいですね。

テレビや新聞で発表されていることが全てではなく、真実は目に見える事だけではありません。

いろんな事情があるんだろうな、と、ほんの少しだけ想像力を働かせていただけたらと思います。

世界が優しくなりますように。

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