#7 安心できる場所

多くの人が人間関係というモヤモヤを多少なりとも抱えて生きていると思う。私自身、ヨーロッパで過ごした1年で人間関係や自分はどうあるべきかということについてよく考えたし、迷ったり悩んだりした。日本人って何だろう、フランス人って?ベルギー人って? 同僚、友達、恋人、家族…人間関係には様々な呼び方があるけけれど、結局何なんだろう?そんな考えを巡らせていて疑問に思うことが三つあった。今回はそこからちょっと考えたことについて。

わからない

まず初めに三つの疑問というのは、以下の通り。

①必ずしも全ての人間関係を言葉通りの関係性の枠に分類できない。

②関係性の分類がはっきりしないと、周りが混乱する。(ことがある)

③どの分類かを意識すると、先入観によってその人を一人の人間として見ることが難しくなる。

こんなことについてたくさん考えさせられた。でも一人で考えても全然わからなかった。本を読んでもどこにも答えなんて書いていないし。特に②に関しては、以前の投稿で「わかりやすい人間になる」と書いたことと矛盾しているなあと思っていた。けれど色んな人の意見をもらって話しながら、自分なりに考えて「自分で決断したという自覚と自信」、「ずっと同じ状態はないという認識」を持つことができるようになって、上のような悩み・迷いから解放されて自由になれた。(さらっと書いたけど、中々時間がかかったなぁ 笑)

これらは前回の記事、「人生のフェーズ」でも書いたけど、「自分で選択した分の責任は自分で負う」「私たちは常に変化している」ということとも関連していて、人間関係でも普段の生活でも、様々な選択をしなければいけない中でストレス少なく生きていく上では大切なことだと思う。

安心できる場所

そういえば、以前半年くらい南米を旅していた友人が言っていた。『日本に帰ってきてから、同調圧力を感じて生きづらい』と。全面的に応援し、受け入れてくれる存在がいないみたいだった。その時私は気にしすぎることはないと話したけれど、“気にしない”ことは誰でも簡単にできることではないのかもしれないと思った。もともと周りを気にしない性格というのもあるけれど、私には我が道を進んでも『いいんじゃない。やってみれば』って受け入れてくれる人がいるから挑戦できるんだろう。

それでもわからなくなったり不安になることもあって、留学中にそんな場面が何度かあった。そのとき『分からなくなってしまったり、モヤっととすることがあるなら、いつでもきいてね。あなたが幸せでいてくれればいいよ。』とある人が言ってくれたのだけど、この言葉や行動からはものすごく信頼感も愛情も伝わってきた。こんな風に受け入れ、理解しようとしてくれる人がいることは当たり前じゃないと思った。うれしすぎて心がいっぱいになった。

「自分で決めたという自覚と自信」、「ずっと同じ状態はないという認識」を持ちつつ、安心できる場所があれば、きっと色々なことに挑戦できるし、何でもない日常に幸せを感じられるようになると思う。私はそんな存在が身近に居てラッキーなんだけれど、それを”当たり前”とは思わずに自分もそういう人にとっての安心できる場所でありたい。

自分がやりたいことでうまくいくように努力することは大事だけど、大切な人の幸せや喜びにちょっとでも貢献することは同じくらい大切なことだと思う。

さて、4月からも頑張ろう。


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