#92 地理的表示(GI)の登録による伝統知識の共有と継承 -「とんぶり」のケーススタディ
key words : GI, 地理的表示保護制度, 伝統的生態学的知識/Traditional Ecological Knowledge (TEK), 農業景観, 農村振興
“畑のキャビア”と言われるとんぶり。皆さんは食べたことありますか?私は以前、知人にバーに連れて行ったもらった時に食べて以来、好きな野菜です。お酒にめっちゃ合うんだなぁ。論文読んだらまた食べたくなりました。
さて、今回はかなり長文です。しかも、TEKとかGIとかいろんな略語が登場してややこしい…
マニアックなので内容を一言で言うと、「大館の農家によって守られてきた、とんぶりという珍味があり、そして一度は途絶えかけたとんぶりの伝統知はGI登録を機に地域でシェアされるようになった」ということです。
何でそういうことが起こって、どうやって調べたらそれがわかったの?ということに興味が湧いたら、この後の部分も引き続き読んでみてください!
1. 伝統的知識と農業・農村、地理的表示(GI)保護制度
伝統的知識の継承の重要性
まずはじめに、伝統的知識が農業や農村振興においてなぜ重要なのかについて的確に説明している文章を引用したい。
景観や里山の喪失、あるいはその地域ならではの農作物の生産が廃れるといったことが危機として取り上げられる。そのような景観や生産について、再生したり、担い手が変わったりして継承していこうとした時に、道具、農作物の種子などがたとえ保管されていたとしても、そこに関連した知識、祭礼を含めてそこにまつわる文化的な意味付けが喪失されると、再生や継承は容易ではなくなる。(香坂ほか,2018)
耕作放棄地の増加による景観劣化は、目に見える変化であるが、伝統的知識は目に見えず、注目も集まりにくいのが現状である。
伝統的知識は、社会・文化システムと地域住民の相互作用の中で再生産され変容していくものである。つまり、農耕の伝統知は地域農家の頭の中にあり、それが人から人へと伝達され、新たな経験が積み重ねられる中で更新されていく(香坂ほか,2018)。
今回紹介するのは、秋田県大館市で江戸時代から続くとんぶり生産に関する伝統的知識の変容を扱った論文だ。とんぶりの伝統知がどのような社会状況で発展し衰退していったのか、また再興において、2015年に施行された「地理的表示(GI)保護制度」がどのような役割を担ったのかを丁寧に追っている。
Ai Tashiro, Yuta Uchiyama, Ryo Kohsaka,
Impact of Geographical Indication schemes on traditional knowledge in changing agricultural landscapes: An empirical analysis from Japan,
Journal of Rural Studies, Volume 68, 2019, pp. 46-53
地理的表示(GI)保護制度が守るのは名称だけか?
GI保護制度とは、「伝統的な生産方法や気候・風土・土壌などの生産地等の特性が、品質等の特性に結びついている産品の名称(地理的表示)を知的財産として登録し保護する制度」である(農水省HPを参考)。
生産地の特性と産品が結びついているということが、その地域の伝統知と強く結びついた産品であると言い換えることができるのなら、GI保護制度は伝統知を守るという役割も担うのではないか?
紹介する論文はこの疑問に関しても興味深い示唆を与えてくれるものである。
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2. Impact of Geographical Indication schemes on traditional knowledge in changing agricultural landscapes: An empirical analysis from Japan
◆対象
・日本のGI産品「とんぶり」:生産地は秋田県大館市
・生産に関わるステークホルダー(とんぶりの小規模農家、JA あきた北)
◆調査方法
調査の目的:「伝統的生態学的知識(TEK) 」と「農業のランドスケープの変化」へのGI保護制度の影響を特定すること。論文中ではTEKを「社会資本」、農業のランドスケープを「自然資本」としている。
方法
・文献・資料調査と分析
・JA あきた北の代表者、とんぶり生産代表者へのヒアリング調査
(生産の歴史と、JAがGI登録プロセスで担った役割について)
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補足情報
これまでの研究での自然資本と社会資本に対するアプローチには、Zasada et al., 2017(魅力的なbiodiverse landscapeが保全活動に良い影響を与える)や、Pfeifer et al., 2009(地域固有の自然条件が農家の環境管理行動への意思決定に影響する)などがあるが、部分的解決にとどまっている。
◆結果
①社会資本:とんぶりに関する知識の変遷
とんぶりの唯一の生産地:1950~1970年代
とんぶりはホウキギの実を加工した食品である。ホウキギは、茎を箒の材料として国内各地で古くから栽培されていたが、実の加工が難しいことからとんぶりの生産は普及しなかった(現在の生産地は大館市のみ)。
自家消費から地場産業へ:1980~1990年代
1970年代以降、自家消費用だったとんぶりを地場産業にする動きが始まり、1990年には95haまで拡大し、生産量は最盛期には450tに上った。
TEKが門外不出であることのネガティブな影響:2000~GI登録まで
しかし、とんぶりの種子や栽培方法、加工技術といったTEKは世帯内で継承されており、門外不出だった。また、とんぶり自体がマイナーな野菜だったこともあり重要が不安定で、生産者の手取り縮小していった。これを理由に後継者はいなくなり、耕作放棄地の増加にともなう景観の変化も起こった。
この状況の解決のために、JAあきた北はGI制度の活用に取り組むこととなる。JAあきた北が生産者所得の安定のための支援をすることを条件に、
・生産者は新たな生産者に秘伝技術を伝授すること
・安定的に生産・販売を続けるための新たな生産者を確保すること
を生産者に承諾してもらい、GI登録に至った。
GI登録とTEKの開放:GI登録(2017.5)~
門外不出だったとんぶりに関するTEKが新規生産者を含めたコミュニティで共有されるようになり、生産活動が活性化した。また、JAあきた北のサポートも始まり、JAは生産者からとんぶりを購入し、小分けパックで販売するなどしている。
とんぶりはマイナーであるということだけでなく、農地の景観や土地固有の条件と収量が表裏一体となった産品であるので、農地環境の保全、景観配慮なしには収量向上は見込めない。したがって、地域の景観、知識、生産のつながりの保全に関して、GI登録は有効な手段である。
②自然資本:農業景観管理のダイナミクス
社会・自然的側面を持つ農業景観は、農業によって長い年月をかけて形成されてきた。②ではとんぶり生産の景観や環境の持続性に影響を与えた農業景観政策について過去60年さかのぼって特定した。
自然環境と調和した生産:1950~1970年代
この頃は気候条件に依存した生産だった。畑は秋田杉に囲まれており、それらが防風林として機能し実の落下を防いでいた。生産者は山から湧水を引いたり、排水路を整備するといった管理をするだけでよかった。
抱持立犂(=かかえもったてすき)を用いた馬耕を導入してからは、生産性が上がった。また、生産者によって配合された有機除草剤も最小限だが使われていた。
また、キツネ、シロキツネ、イタチなどの小動物が現れるものの害はなく、獣害対策は実施されていなかった。人と小動物が共存していたといえる。
近代化:1980~1990年代
台風の影響を考えて、4月後半から10月半ばまで時期をずらして栽培するようになった。また、自然災害の影響から水路を耐火用コンクリートに置き換えた影響で湧水が減少した。
さらに、効率的な生産のために農薬や化学肥料に依存した。また別の課題として土壌硬化が起こり、機械に頼らざるを得なくなった。このような過程で害虫が増加し、有機除草剤の使用も増加した。
農地環境の悪化と生産の衰退:2000~GI登録(2017)
台風の影響は減少したが、除草剤の使用や、生産者の減少、機械化により、土壌硬化は年々ひどくなっていた。そのため、生産者は土壌の分析を行いの除草剤を変更したが、新たな害虫が発生してしまった。また、小動物が姿を消した代わりに、クマが現れるようになり畑を通り抜けることで実が落ちてしまったりしていた。
環境と調和する取組み:GI登録以降(2017~)
持続的なトンブリ生産とトンブリ畑の保全のための戦略が実施され、農業環境の変化に対処している。給水については、湧水が再びくみ上げられるようになった。また、はじめから耕運機を使わずに人の手で耕したり、除草剤の使用を控えるなどした。生産者である小規模農家の革新によって、TEKは農業景観生態学的に適応する形になり、景観も変わった。このような意味でGI登録は、とんぶり生産の革新に貢献したといえる。
TEKが農業景観生態学的に適応したことで、生物多様性などの便益やサービス対処できる農業のランドスケープ・マネジメントが実現した。
社会資本と自然資本にインタラクションがあることは何を意味するのか
とんぶり生産に関わる社会資本と自然資本の変遷を調査(①と②)したことで、TEKがアップデートされたことが、農村コミュニティにとって有益だったことが明らかになった。また地元のステークホルダーが、環境の変化や自然資本と、どのように社会的な相互関係をもつのかを実証した。
自然資本と社会資本の因果関係が示されることによって、「農業のランドスケープ・マネジメントが農村の活力、振興、経済的実績などの社会的な利益をもたらす」ということに対するコミュニティの理解を促した。
まとめると、
地域固有の社会資本、自然資本の関係性は、生物物理学的条件、土地利用パターン、農業に関する管理と関係している。そのことが意味するのは、「GIによる”地域”への理解・認識は、ランドスケープレベルの様々な側面から環境の価値を測ることにつながる」ということである。
◆考察と結論
EUのGI産品のケーススタディには、産品の伝統的な特徴と指定地域との関係性を、景観とAES(生態系保全や景観保全への農業環境支払スキーム)の視点から分析したものがある。この研究論文は(GI産品のTEKと景観の関係を分析したという意味で)これらEUの研究をトレースしたものと言え、「AESとGIの関連」に関する文献として位置付けることができる。
とんぶりのケーススタディで分かったこと
TEKに内包されている生産技術慣行は、とんぶり畑の生物多様性の変化に応じて柔軟に対応してきた。また、(伝統的)知識は農業のランドスケープ・マネジメントを助けてきた。GI登録やそのプロセスの触媒としての役割から考察すると、この研究は「ランドスケープの変化とTEKの関係は、とんぶりのGI登録に強く関係している」、「GI登録の過程は知識の共有プロセスの触媒として機能していた」ということを実証した。
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GI登録まで、生産者はとんぶりに関するTEKをJAには共有していなかった(以前JAはとんぶり生産者にTEKを新規農家に共有するように頼んでいたが、受け入れられなかった)。これは、地域のとんぶり生産にネガティブ(生産者の急速な減少、生産性とレジリエンスの低下→耕作放棄地の増加が農業景観の劣化)に影響していた。
この悪循環に取組むために、JAあきた北は、農家を説得する機会として、また提案を受け入れてもらうために、GI登録を利用した。農家は、TEKのスキルを生産の手段としてだけでなくて、農業のランドスケープ・マネジメントの方法として受け伝えている。さらに、農家はとんぶり畑とそれを取り囲む農業景観の保全は生産性と持続可能なとんぶり生産の質を高めると信じていた。それ故に、とんぶり農家はAESのような農業景観保全を実践していると言える。
先行研究から見るとんぶり生産者のポテンシャル
EUとその他の地域のAESに関するケーススタディは次のことを示唆している。
・産品の差別化が重要なポスト工業化社会においては、小規模農家の支援が農村振興政策に必要である。 (Guedes and Silva, 2014; Zasada et al., 2017a; Zhu et al., 2018)
・農家は、景観の可能性を十分に認識しており、それに応じて観光戦略とし農業環境戦略を採用しているという。 Lange et al. (1999) and Pascucci et al. (2013)
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しかし、とんぶり生産者は観光戦略として畑や景観を管理しているわけではないとこが分かった。生産者は、行政の規則も介入もなく文化、伝統、景観との調和を保っている。この点についてAESの先行研究考慮すると、今回の研究結果が示すのは、GI生産者が、ランドスケープの変化と伝統知識に対してポテンシャルを持っているということだ。
3. 参考文献
1. Ai Tashiro, Yuta Uchiyama, Ryo Kohsaka :
Impact of Geographical Indication schemes on traditional knowledge in changing agricultural landscapes: An empirical analysis from Japan : Journal of Rural Studies, Volume 68, 2019, pp. 46-53
2. 香坂 玲, 内山 愉太, 田代 藍(2018):
過疎化・人口減の縮小社会における伝統的生態学的知識の喪失とイノベーション:日本健康学会誌 84 巻 6 号 pp. 214-223
3. Zasada, K. Häfner, L. Schaller, B.T. Van Zanten, M. Lefebvre, A. Malak-rawlikowska, D. Nikolov, M. Rodríguez-entrena, R. Manrique, F. Ungaro, M. Zavalloni, L. Delattre, A. Piorr, J. Kantelhardt, P.H. Verburg, D. Viaggi : Geoforum A conceptual model to integrate the regional context in landscape policy, management and contribution to rural development: literature review and European case study evidence : Geoforum, 82 (2017), pp. 1-12
4. C. Pfeifer, R.A. Jongeneel, M.P.W. Sonneveld, J.J. Stoorvogel :
Landscape properties as drivers for farm diversification: a Dutch case study : Land Use Pol., 26 (4) (2009), pp. 1106-1115
5. C.A.M. Guedes, R. Silva :
Agri-food geographical indications, policies, and social managment: Argentina, Brazil, and the Spanish experience in the European context
: Análise Soc. (2014), pp. 408-429
6. L. Zhu, C. Zhang, Y. Cai :
Varieties of agri-environmental schemes in China: a quantitative assessment
: Land Use Pol., 71 (2018), pp. 505-517
7. C. Lange, F. Rousseau, S. Issanchou :
Expectation, liking and purchase behaviour under economical constraint
Food Qual. Prefer., 10 (1999), pp. 31-39
8. S. Pascucci, T. De-Magistris, L. Dries, F. Adinolfi, F. Capitanio :
Participation of Italian farmers in rural development policy
: Eur. Rev. Agric. Econ., 40 (2013), pp. 605-631
その他参考になるもの↓
大館とんぶり|産品紹介|地理的表示産品情報発信サイトより
4. 関連用語
AES:生態系保全や景観保全への農業環境支払スキーム
Traditional Ecological Knowledge, TEK:伝統的生態学的知識
Sceirntific Ecological Knowledge, SKE:科学的生態学的知識
=伝統的生態学的知識を軸とし、それに基づき環境は資源管理を科学的に分析・定量化して客観的な知識を再構築したもの
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