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プレゼントという名の救い

最近、なんかちょっとダメだと思うことが続いていた。風邪を引くし、肌は荒れるし。仕事が忙しくて銭湯に行けていないし、あの人から急に連絡が来たかと思えば返信が来ないし。何か悪いことの決定打があったわけではない。“なんかちょっとダメ”なことが続いていることがしんどかった。もやもやしていた。

そんな今日、ついさっき。プレゼント企画に当選した。

パソコンで悶々としながら文章を打っていたらふぉん、とメールが届いた。いつもならしばらく時間が経ってからまとめて読むのに、書くことに行き詰まっていたからかすぐにそのメールを開いた。そして飛び込んできた文字。

「〜のプレゼントにご応募いただきありがとうございました。つきましてはアベ様に〜を差し上げられればと思いご連絡をさせていただきました。」

文字は飛び込んできたけど、文章はなかなか頭に入ってこなかった。え、何。差し上げるって、え。どういうこと。しばらく経って当選したのだということがわかった。瞬間、心拍数が跳ね上がる。どうしたらいいか分からなくなって、パソコンを持ちながら部屋をぐるぐると回ってしまった。嬉しかった。大好きで読んでいたウェブマガジンのプレゼント企画。細部にもこだわっているシンプルなそのバックが無性にいいなと思って、応募のボタンをタップした。それがまさか。プレゼント企画とか懸賞とかはいつだってどこか違う星で行われているかのように遠いものだったから、当たることは妄想こそすれ想像できていなかった。

それまでの霧みたいにもやもやしていたものが一瞬で晴れた。そうか、これだったんだ。納得をする。最近なんとなくダメな状態が続いていたことへの救い。神様なんて信じていないけど、なんだろう。「救い」については根拠なく信じていることがある。

大好きな小説家、辻村深月の小説「スロウハイツの神様」にこんな一節が出てくる。

「いいことも悪いことも、ずっとは続かないんです。いつか、終わりが来て、それが来ない場合にはきっと形が変容していく。」

悪いことがそうである分、いいこともそうでなければ摂理に反するし、とその登場人物は言葉を続ける。この言葉は、わたしの生き方の根幹となっている部分がある。いいことが続かない代わりに、悪いことにだってちゃんと終わりはくる。いつか大丈夫になることを小説に教えてもらってから、かなり楽観的に生きるようになった。だって、いいことだって続かなかったから。ネガティブなんかじゃない。いいことも悪いことも、ずっとは続かないことを知っている、わたしは強い。

ダメなことが続いている時。それなりにしんどくても、本当にダメになりそうな時は決まって誰かが、何かが助けてくれた。まるで転がり落ちていくのを止めるストッパーみたいに。それはきっとこの先もそうなのだと根拠もないのに信じきっている節がある。名前をつけたことはなかったけれど、こうして文章にしていると「救い」と呼ぶのがしっくりくる気がした。そんな大それた仰々しいものではない。でもわたしの中に確かにある感覚。

バックは再来週頃に届くらしい。今から待ち遠しくて、バックに合わせる洋服なんかを考えたりしてみる。まだ心拍数は上がったままだ。明日は銭湯に行こうかな。仕事が遅くなっても、金曜日だし。くるりと気分が変わる自分の単純さに呆れながらも、この生き方を結構気に入っている。いいことは続かない。その代わりに悪いことも続かない。バランスを取りながら、いつか報われると信じながら、今日もこうして文章を書いている。


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