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幼馴染だった

少し前に、男ともだちが街を出て行った。

同じマンションの同じ棟に住んでいて、小中高同じ学校に通って、大学も同じサークルに入っていた男ともだちがいる。幼馴染じゃん、と人からはよく言われていたけれどその度に2人で首を傾げていた。馴染んでたかな?そうでもないよね?なんて。“幼馴染”という言葉のイメージがどうにもわたしたちには合わないくらい、小さい頃から仲良しという訳ではなかった。

小中一度も同じクラスにならなかったからか同じグループで遊ぶこともなかったし、進学先の高校が同じだと知った時もお互いにふーん、みたいな感じだった。流石に大学が違うのに、同じサークルに入っていた時は笑い合ってしまった。またお前かよって。ここで初めてちゃんとともだちになったのだと思う。

同じような環境で育ったからか、距離感が程良かった。わたしは基本的に格好つけで、人と1枚壁を挟んでしまいがちなのだけれど、猫とか鎧とかを被らずに素の自分でいられた。人柄なのか、過去を知られているからかはわからない。今更お互いを男だとか女だとか意識することもなかったのも大きかったのかもしれない。

だからといって別段ふたりで遊ぼう、とかいうことはなかった。やっぱりそこまで仲は良くなかったのかもしれない。でもサークルの集まりには大体いたし、その帰り道、同じ家に帰るわたしたちにはたくさん時間があった。

バイト先の愚痴、サークル運営の相談、好きな人の話、好きだった人の話。いろんな話をした。電車の中でどちらかが寝落ちしてしまうこともあったし、オール明けにふたりで寝過ごしてしまうこともあった。駅からは一人だと10分かかららないくらいの道を15分くらいかけてふらふら歩いて帰る。自転車で二人乗りをして、大きな声で話しながら帰る日もあった。マンションに入ってエレベーターの前でじゃ、とか、ん、とかなんとか言って別れる。ガチャガチャと鍵を開けて家に入る時、彼を乗せたエレベーターが閉まって7階に登る音がする。別にお互い見送ったりもしない。近いようで距離がある、この感じが心地良かった。

就職して、忙しくなっても時々みんなで集まって飲んだ。その時も結局最後は一緒になって、帰っている時にぽつりと彼が言った。

「俺、この街出て行くんだ」

え、というわたしの間抜けな声が静かな夜の街に響いた。

「え、そうなんだ」
「うん、そう」
「彼女と同棲するの?」
「いやただの一人暮らし」
「そっか」

なんとなく、なんとなくだけど彼はずっとこの街にいるのだと思っていた。周りのともだちが配属が決まったり仕事に慣れてきたりしてどんどん街を出て行く中、彼だけはここにいるのだと根拠もなく信じて疑っていなかった。
だって、何度も「俺たち良い街に住んでいるよなあ」って話をしていた。

彼の前のわたしは普段よりも素直だから、それをそのまま話した。明るく、冗談ぽく。
彼は笑った。「寂しいんだろ」って。
わたしも笑った。「寂しいよ」って。

別に普段街ですれ違うことなんてほとんどないし、わざわざ電話して会いにいくこともない。何なら日常生活で彼のことを考えることなんてほぼゼロに近い。集まりに行ったらいるな、ということくらい。でも、だけど。東京での飲み会の帰り道。電車に乗っている長い時間。終電で辿り着く静かな街。そこに彼がいなくなるのは、何だかどうしようもなく寂しかった。

「泣いていいよ」とぱしんと背中を叩かれる。「泣かないよばーか」とばしんと思いっきり背中を叩き返す。エレベーターの前に着いてん、とかじゃ、とか言って別れる。鍵がなかなか見つからなくて玄関でもたついていると彼を乗せたエレベーターの動いた音がした。振り返ってエレベーターの表示が7で止まるのを見届けてみる。カバンの底にあった鍵を見つけてわたしも家に入った。

そしていつの間にか彼は街を出て行った。そのことをインスタのストーリーで知った。そっか、もうこの街にはいないんだ。でもわざわざ連絡をするまでもないよなあとそのまま次のストーリーを見ていく。ぼんやりと彼について思ったことはすぐに忘れた。

一週間、二週間ほど経った頃。家の前のエレベーターの表示が7で止まっているのを見て彼のことを思い出した。そしてすぐに彼はもういないんじゃんって考えてハッとした。ここのエレベーターの表示を見る癖がついていることに。他の階に止まっているときは意識にも残らない。でもそこの階数表示が7であるときにだけ、反射的に彼のことを思い出していることに気が付いた。ああ、と笑ってしまう。だってわたしたち、20年弱も同じところに住んでいた。たぶん、幼馴染だった。

別に会えなくなった訳じゃない。いつもの仲間たちの飲み会に顔を出せば彼はいるんだろう。でもこれからわたしたちは東京の駅の改札で別れる。そのときもやっぱり少しは寂しく思うんだろうな。つけあがるだけだからもう二度と言わないけど。

エレベーターの表示の7が目に入るたびに彼はいないんだって思い出すのを繰り返して、いつか何も思わなくなる日が来るのだと思う。それも近いうちに。もしかしたらその前にわたしがこの街を出ていくのかもしれない。

でもたまには彼に連絡してみようと思う。「飲みいこ」って、絵文字も顔文字もない文章でいい。駅前の海鮮居酒屋は少し高いけど美味しかったよね。行きつけだったもんじゃのお店も。少しは上手く作れるようになった?そいでラーメン食べに行こう。君が教えてくれたあそこのラーメン屋より美味しいところにわたしはまだ出会っていないから。そしていろいろな話をしよう。わたしたちの育った街で。

ねえ、元気でいてね。

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