自分を大事にしない生き方は、人も不幸にする(かもしれない)

仕事が終わらず大雨の中自宅まで帰らなければならない日があった。その日は夕方から豪雨だから早く帰りたいと思っていたのに。タクシーも捕まらずびしょびしょになりながら歩いていた。
靴の中に水が入ってきて、歩くたびにぐしゅぐしゅと音がする。気持ち悪いとはうっすら思っていたけど、「どうでも良い」「仕方ない」という感情が大半だった。大雨の中歩いて帰らなければならないのは、自分が能力不足で仕事を時間通りに終わらせられなかったから。むしろ自分には、大雨を凌いでも良いと言える権利があるくらい能力があり価値のある人間なのか。今日だって沢山の人に迷惑をかけたじゃないか。ほら、私が雨に濡れるのはそれだけのことをしたからなんだからしょうがないんだよ。当然の報いなんだよ。このとんでもない自己否定で、意識と無意識の中で「雨に濡れるの嫌だなあ」という自分の心の声をかき消そうとしているきがする。

「想像力がない」「人の気持ちがわからない」と言われることが多い。自分の中の「これは嫌だなあ」「これされたら嫌だなあ」と思うセンサーが破壊されてて人の「これされたら嫌だなポイント」に気付けないのだと思う。(たぶんだけど、過去に色々あって傷つきすぎてセンサーを破壊しないと生きていけなかったんじゃないか?)だから気配りができなくて失敗もする。そうなると、コミュニケーション能力や人間関係構築力がメインとなる今の仕事はきついことが沢山ある。

自分のセンサーが壊れているので、無理な依頼をされても脳死で精一杯応えようとしてしまう。だから、相手がされて嫌な気持ちになるお願いの仕方を知らず知らずのうちにしてしまっていることがある。自分はそんなお願いされても嫌にならないから。相手は大人だから多少失礼でも仕事だから文句言わずにやってくれる。だから、余計良くない。だから、周囲の人の微妙な反応で「これまずかったんだな」と何となく察するしかない。
自分の気持ちを大切にできない行動の仕方と同じように仕事をするので、相手も巻き込んで「相手の気持ちを大切にできない」仕事のやり方をしてしまう。それを繰り返すと何となく「仕事ができない人」になってくる。コミュニティにいられなくなる。

だから、「自分の気持ちを大切にする」のって自分を守るのはもちろんコミュニティの中で生きるためにも必要なんだなあと思う。
いきなりは無理だけど、少しずつ自分を大事にしたいなあ。

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