親切な人③

「禍い転じて福となすってことわざ、あれはウソですよ」
背後で男の声が聞こえた。
聞き覚えがある声だった。というよりも、ついさっきこの声から逃れてきたのだ。
　俺はため息と共に振り向くと、そこには親切な人が立っていた。
「なんですか、いったい？」
昂まりつつあった勝負への闘志に、もっといえばカリナとの親密な時間に水をさされた気がした俺は、その憤りを隠しもしないで言った。
　トイレットペーパーの件とは話が違う。
親切な人がコンビニで俺に声をかけてきたのは、トイレットパーパーが買い占められているという社会が抱える問題に対して、彼がなすべきことを考えて行動したと考えられなくもない。
いわゆるお節介なのだけど、そういう、お互いを律し合う精神は、社会を維持する上である程度必要なものだと俺も認める。
　しかし今回はそれに当てはまらない。
「君は至公至平の幻想に踊らされているよ。人生はフェアではない」
自分に向けられた俺の不満そうな顔など意にも介してないように親切な人は言った。
これから昨今の不幸を原資に、一発当てようと目論んでいる俺にとって、この上なく縁起の悪い言葉だった。
「禍福は糾える縄の如しってことわざもあるくらいだから、禍いの分、福があるって信じるのはそんなにいけないことですかね？」
親切な人は俺の言葉を聞いて2度ほど大きく頷いた。俺にはそれが、私は相手の話にも耳を傾けられる人間である、というアピールに見えて苛立ちをつのらせた。
「なるほど。縄が複数の素材ーーこの場合は禍いと福ーーで作られていても、なんら不思議なことではない。いま私がきているシャツも綿とポリエステルの混紡だ。服に限らず、この世の中のものが単一の素材だけでできていることの方が珍しい。卵は黄身と白身だし、空気は酸素と窒素でできている。君が今、掴んでいる縄が、禍いと福で作られていたってなんら不思議はない」
「でしょう？　昔の人はよく言ったもんだ」
「そう。年嵩の人の言葉を知るのは正しいことだ。・・・ただ！」
「うわ、びっくりした・・・なんです？　まだ言うことがあるんですか？　俺、ほら、夕方までに家に帰らなくちゃなんないんで時間がないんです。申し訳ないですけど・・・」
ここを出た後にカリナと90分コースって考えると、親切な人と悠長に話している暇はない。かといって、自分からこの場を離れると言うことは、この特別な台を手放すことになるのでそれもできない。俺は懇願するように言った。
「まだ、話は終わってない。私の話を聞かないと君はきっと後悔する。そして私を責めるかもしれない。“親切な人が近くにいながらなんで教えてくれなかったのか”ってね。それは君が親切な人と呼んだ私にとっても不本意なことだ」
「わかった。わかりました。ただ、なんです？」
「よろしい。続けよう。ただ・・・」
親切な人は、ズボンにインしているシャツの裾を引っ張り出して、いくつかボタンを外した。
「ほら、私の服の内側にも縫い付けられている表示ラベルを見なさい。たしかに綿とポリエステルで作られていることが表記されているのと同時に、その使われている割合、パーセンテージも書いてあるだろう」
俺は親切な人がこちらに向けた表示ラベルを見た。
「ポリエステル90%　綿10%」
俺は声に出して読み上げた。
「いかにも、そのとおり！」
膝を打たんばかりに親切な人は言った。
まわりに座る客たちも、ちらりらと親切な人を不審な目で振り返り始めていた。
「つまり、俺の禍いと服の割合も・・・？」
親切な人が結論づけようとした言葉を想像していると俺は頭に血が上っていく。次の瞬間には「どこかに消えろ！」と叫んでいた。