人類最後の敵
昨日(2月25日)、新しいシングル「幸せについて本気出して考えてみた」のサンプルが僕 らのところに届いた。実際に店頭に並ぶ前に音質をチェックするための、XDと呼ばれる味も素っ気もないCDが、まず最初にできて(よくネットオ—クションで違法に売買されてるやつね、悲しいことに)、間もなくこのプロモーション用のサンプルができる。これはジャケットも含めた完成型で、否応なしにリリースが近づいていることを実感させられる。 収録されている曲たちへの想い入れは言うまでもないが、ジャケットとかも何度となく打ち 合わせし、時には殴り合って創っていったので、このサンプルCDを手にとると感慨もひとしおだ。
本題にも関係あるのでネットオ—クションについて触れてみよう。XDやサンプルCDは、 あくまでチェックやプロモーション用なのでこの業界内でしか流通しない。もともとそれらの CDは何百枚か作られてて、管理だってガードマンが四六時中見張ってるみたいに厳重なわけではない。この業界にいたら手にすることはそんなに難しくない。が、そこには当然ルールが あって、売っちゃダメってことくらいは誰もがわかること。非売品で第三者への転貸、譲渡等はダメですよって、わざわざ黄色い紙も貼ってある。にもかかわらず現実としてネットオークションに出ている。
ここで権利やらの難しい話をするつもりはない。
今回は「人類最後の敵」です。たまにはカッコいいタイトルもいいかな。 僕がこんなことを考えたのは、メールアドレスがきっかけ。何年か前に携帯にメール機能がついて、それまでパソコンでいえば暗号のようなメールアドレスが、電話番号そのままで使えるようになったのは、みんな知っているだろう。これって人のコミニュケーションの分野では 電話が発明されたのと同じくらいの発明だと思った。単純なことなんだけれど。電話番号と一緒に携帯メールアドレスも交換すればいいとは思うが、なかなかね。電話番号よりも、ちょっとだけ交換するのが面倒というか、気を遣うというか。自分のメモリの数を見 てもそうでしょ?このちょっとを埋めるために、これに限らずさまざまな発明がなされてき たんだろう。そしてそのちょっとが埋まったことにより、直接話すほどの用件もないからって 電話をするのをためらってしまい、大切な出会いがそのままになるという状況も少なくなったし、疎遠になってしまっている友達にも気軽に近況を伝えたりできた。メールなら何げないひと言でも成り立つから。人とつながっていれるよね。ほったらかしの出会いを救えた人類の偉 大な発明だったんだ。
なのに今や……。現在の状況は僕が説明するまでもないだろう。人類の発明を、壊したのは人間だ。なんて悲しい言葉だろう。いつも人間はちょっとでもいい方向に進歩しようとして、さまざまな困難に立ち向かう。時には失敗もするだろう(だんだん表現が大げさになってきたが)。技術的に壁にぶつかることだってあるだろう。同じ志を持った仲間たちとの行き違いもあるだろう。それを乗り越え乗り越え、シュッシュポッポ、シュッシュポッポ頑張って創り上げたものにはロマンがある。それをだ、最後の最後、人間に壊されるって考えるとね。どうしても乗り越えれない壁が人間の悪い心ってねえ。
なるべくなら人間には悪い心なんてないと思いたいけど、そういう目で身の回りを眺めてみ ると、悪い心って確かにあるんだって認めざるをえないものが身近にもある。簡単に言うと鍵ね。天使のような人間ばかりだとしたら、いらないわけだ。他人の家に勝手に入っちゃいけませんよっていう、ごく簡単なルールがみんな守れたとしたら。公園に貼って ある〃犬の糞は飼い主が責任を持って!!〃っていう貼り紙だってね、持って帰んない人がいるからだろう。パソコンのソフトですごく売れているのが、会計ソフトやゲームソフトといった 本来のパソコンの機能を活用したもんじゃなく、『ウィルスバスタ—』みたいな、やっぱり人 間から守るものという現実もそうだ。
この先、科学も哲学も何もかも少しずつ進歩していくんだろうけど、そこにはいつも敵がいるんだろうね。
「自宅にて」
この文章を読み直していて、真っ先に頭に浮かんだのは「ウォーキング・デッド」です。一年くらい前にハマったアメリカンドラマ。ご存知ない方のために大雑把にあらすじを。
昏睡状態から目覚めた保安官のリックが目にしたのは、ウォーカー=ゾンビに支配され、変わり果てた世界の姿だった。妻と息子が生き残っていることを信じ、避難所へと向かう彼は、そこで出会った生存者たちと共に安住の地を求め、危険な旅へと歩を進めていく。引用:【公式】U-NEXT
まあ、生き残った人類が迫り来るゾンビと戦うっていう話です。大ヒットしたタイトルらしく、シーズン10くらいまで続くこのウォーキング・デッド。登場するゾンビたちがシーズンの初期はもう本当に怖くて怖くて…手に持っていたiPadを何度落としたことか。しかしシーズンが進むにつれ物語の中心はゾンビとの戦いから、人間同士の縄張り争いの要素が強くなり、僕が最後に見たあたりでは、撮影中に「監督!今回、ゾンビが一回も出てきてないですけど大丈夫すか?」「あれそうだっけ?」「ゾンビ役のリーダーがふてくされてますよ」「しゃねーな。ちょっと出しとくか」という会話が行われたんじゃないかと思えるほど、ゾンビの影は薄くなっていきました。まあ、そこまで何十時間も見てきている我々視聴者も、ゾンビが画面に大写しになって唸ったところで「お、特殊メイクの技術、あがってきてんな」と分析できるほどに慣れてきていましたが。最後まで見ていないので、その後ゾンビは大活躍したのかもしれません。
これを見ていて思ったのは、結局怖いのって人間じゃね、という結論。ウォーキング・デッドファンの多くが思ったことかもしれません。
ご存知通り、我々は現在、未知のウイルスと向き合っています。確かにウイルスはいつの時代も人類の脅威です。しかし、最後の敵と言えるのかどうか。いくつかの本を読んでもみましたが、そうとは言い切れないようです。
素人なりに要約すると、ウイルスは鳥や豚、人間に感染し、その宿主の中で増殖して飛散し次に宿主に感染することで増え続けていく。そういう構造的な理由で宿主をあっという間に殺してしまう強毒を持ってしまうと、ウイルスは次の宿主に感染できないまま絶滅してしまう、というのです。種を残すことが目的のウイルスにとって好都合なのは、宿主が活動的なまま他の宿主候補と接触してくれることですが、それには弱毒である必要があります。極端な話、ものすごく弱毒、毒とはいえないほどであれば、ウイルスは増え続けるでしょうが、人間にとってもあまり深刻ではない状況になるのだそうです。
もちろん、強毒と弱毒の間、人類にとっては最悪の塩梅に変化してしまうことはあり得るので最大限の注意が必要ですが、それでもやっぱり人間を絶滅させることはないでしょう。それは、上記のような理由もありますが、そもそもウイルスは人を殺すことを目的として存在していない、という点です。ウイルスとは生命体とさえいえないタンパク質だと書いてある本もありました。今回の新型コロナで不幸にも亡くなってしまった方が世界中にたくさんいる中で軽々しいことは言えませんが、ウイルスの構造という点に限って言えばそうだということです。
つまり意志を持って人間を傷つけようとは思っていない。思うわけありません。意志がないのですから。
では、意志を持って人間を傷つけようとする存在は?
そう考えると、「自宅にて」と変わらない結論になりますが、人間こそが依然として人類の最後の敵ということになるのでしょうか?
コロナを理由に溝を深める超大国の関係や、コロナを理由に生まれる差別や。これらはまた、コロナという理由がない状況でも起こっています。
ちょっと話が大きくなりました。書きたかったのは人類や絶滅などというワードを使った話ではなく、私やあなたにとっての敵は、ということだったのですが、コロナ禍という状況で考えたことを合わせたらこんな感じになりました。
人類が絶滅する6のシナリオ (河出文庫)フレッド・グテル、 夏目 大
首都感染 (講談社文庫)高嶋哲夫
おまけ。
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