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自宅にて「夢の話」

以前、パチパチという音楽情報誌で「自宅にて」という連載を持たせてもらってた。結構長い期間、連載は続き、まさかの出版にまで至った。
自分の名前が入った本が書店に並んだことがうれしい反面、照れくさかったこともあり、これまであまり読み返す機会がなかった。
先日、外出自粛の中、部屋のかたずけに勤しんでいて懐かしいこの本に再会した。

当時、ソニーマガジンズのポルノ担当の女性に「文章を書く機会が欲しい。文章は書き続けないと下手になってしまうので」という身勝手なお願いをしたことを覚えている。
そう。このnoteを始めた理由と全く同じ。
20年弱の時間を隔てて、同じことを言っているのは誇っていいのか、成長のなさに恥じ入るべきか。

本を開いてみると、初々しいと言えるのかもしれないけど、まあ、フェアな評価として稚拙という他ない僕の文章をよく紙面に載せてくれたなと、当時の担当者の胆力に感心すらする回も多々ある。
それでもデビューしてから間もない、自分を取り巻く環境が激変した頃の心境を一定期間にわたって綴っていたことは、今になってそれなりの価値を持っている。特に自分にとって。

そこで思いついた。
「自宅にて」は毎回、一つのテーマについて書いたエッセイ。
同じテーマで、今の自分が書けばどうなるのか?
自分にとって興味深いものになるのではと期待しているし、一部の方ーーどんな世界にもこの「一部の人」というのは存在しているーーには楽しんでもらえるのではないかと願っている。

便宜的にもタイトルが必要と考え、「自粛にて」にしようかと思ったんだけど、どことなく不謹慎な感じがするので「自宅にて2020」としておく。

この企画の趣旨として、「自宅にて」の内容と比較してもらう必要があり、その文章もテキストで載せたいところなんだけど、何せ電子書籍もまだ存在しない20年も昔のこと。文書データはなく、まさかパソコンで打ちなおすなんて作業は面倒すぎて、自宅でスキャンした紙面の写真になることを容赦願いたい。ご自身で拡大したり縮小したり、縦にしたり横にしたりしてほしい。

さて、第一回目は「夢の話」

夢の話1

夢の話2

当時の僕は「夢心地なんかじゃない」などと書いてあるけど、やっぱり夢心地だったろうと思う。
逆にいえば、嘘でも地に足がついているフリをしていないと、風船みたいにふわふわと飛んでいってしまいかねないほどうかれていた。
学生時代に憧れていた、ステージで髪を振り乱し、ギターをかき鳴らすヒーローたちと同じ場所に立てることに興奮していた。
そして今も地続きの生活を送っている。
やっぱり今でもステージで見せたいのは、あの頃、自分が憧れていたヒーローのような姿だし、彼らのような何にも縛られない自由な生き方で人生を歩みたいと思っている。
しかし、気がつけば、”あの時見たヒーローたち”は今の自分より年下になってしまっている。
この衝撃は、あなたがサザエさんの年齢が自分より下だと知った時とたぶん同じだろう。
青春時代のヒーローの年を自分が超す(しかも、はるかに)なんて思ってもみなかった。なんなら、ヒーローより死んだ父親の年の方が近くなってしまっている。

学生時代、バンドを始めた自分が描いていた夢は、せいぜい30歳くらいの頃までだった。もちろん漠然としたイメージだが、少なくとも45歳までは見通してなかった。
繰り返すが、僕はヒーローたちに憧れていたし、ヒーローたちは概ね20代だった。

あの頃と同じサイズの夢を、現在の僕が持っているかと問われたら答えに困る。
もっといい詞が書きたい、もっとギターが上手くなりたい、などいくつかあげることは可能だけれど、因島の防波堤に座って友たちと語った「東京でヒーローになろう」という馬鹿げたサイズの夢から比べたら、瀬戸内海と太平洋ほどもスケールが違う。大きな目標というのがせいぜいだろう(それもなかなか実現しないけど)。
ミュージカルを書きたい、というのが今の自分にとっては夢と呼ぶにふさわしいことかもしれないけど、やっぱり敵わない。

大人の夢とは何か。

包括的な物言いになるが「トータルで幸せになりたい」ということになるのだろうか。
一点突破のバランスを欠いたものではなくて、いつか締めくくることになる自分史というストーリーを全体として読み応えのあるものにしたい。

有名な国民的な漫画、麦わら帽子をかぶった主人公が活躍する漫画のファンである友人が、まだ読んでいない僕にその魅力を語ってくれたことがある。
「伏線がすごい。最新の話の中で重要な役のキャラクターが、実は最初の方の巻にちらっと出てきているんだ。作者の長期的な展望に痺れる」と。
残念ながら、いまだに読んでいないので、その友人の言葉だけで捉えると、それってそんなにすごいことかな、と思う。(この漫画を貶めるつもりは全くない。念の為)
何気なく書いていたその他大勢の中から誰かをピックアップして大きな役を与えてやればいいだけなのだから。

この方法がありだとしたら、我々の人生にも使えるのではないか。
つまり、過去に放置したままの出来事を”後付け”で、とても意味のある伏線として回収できるのではないか、と。

例えば、むかし、親に反抗的な態度をとっていたが、今ではいたわる気持ちで接している。反抗的な態度は褒められたことではないが、いたわる気持ちをもてた今では、一つの伏線として機能させられる。
勉強できなかったけど今では、、、仕事ができなかったけど今では、、、泣いてばかりだったけど今では、、、。
ちゃんと回収してやることで、過去は変えられる。過去の持つ意味というべきか。
そうであるなら、昨日のことだって変えられる。
何気ないその他大勢の一人一人に名前をつけて、現在で活躍させればいいのだ。
それができるなら、既に半ばあたりまで差し掛かった自分史という本、ストーリーもまだ、トータル的に素晴らしいものに作り上げることは可能なのではないか、と思いたい。

おまけ

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