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2012 高知を巡る絵金尽くし

2012年に書いたブログのコピペです。
その前の回が読んだ本についての備忘録で

『「雅(が)」というのはハイカルチャー、伝統的文化、「俗」はサブカルチャー、新興文化、時間的に綿々と受け継がれてる文化であるかどうかということより、前者の特徴を挙げるなら「品格」であり、後者は「人間味」ということで、美人画を例に説明がなされておりました云々…』

みたいな話だったのでその流れからはじまりはこんな感じで。


雅か俗か分けるなら、

俗の極み―「絵金」

品格 < 人間味、
ハイカルチャー < サブカル
伝統 < 新興

江戸後期…というか晩期の土佐の絵師―「絵金」。
今年は生誕200年ということで、高知県各地でイベントが開催されているとのことでしたが、最後の最後に三会場の展覧会に行ってまいりました。

わたくしがこの絵師の存在を知ったのはもうずーーーーっと前、
テレビ東京系の「極める」という番組(「極める Ⅱ」か「極める 日本の美と心」のどっちか)。

一年に一度だけ、祭礼の夜に境内や町屋の軒先に屏風が飾られ、
血塗られた芝居絵が灯火でゆらゆらとゆらめくという…。

闇夜に照らし出される「おどろおどろ」と表現される極彩色の屏風は
恐らく未就学児には「キョーフの地獄絵」のようなインパクトで襲ってきそうな耐えがたさではないかと心配するほどのド迫力…。(自分が幼児だったら泣きながら逃げ帰ってると思う)

絵金独特の絵具の配合による「血赤」と呼ばれる朱、
飛び散り、あるいはどくどくと、だらだら、たらたらと流れ落ち…、
よくこんなものがお宮や民家に保存され、晴れの日に飾られるものだと思えるのだけれど、
よくよく見れば「芝居絵」、
役者のデフォルメされたポージングで芝居を再現。
実は描写されているのは舞台の上のバーチャルな世界、
こっ、この血は、切りつけたら噴き出す赤い布と思えばいいのっ?
(子供の頃みた人形劇「新八犬伝」では刀の切り口から赤い小さな反物のようなのが四方に投げられたと記憶が…)


「絵金」こと弘瀬金蔵、
かつては狩野派に学んだ土佐藩御用絵師、
贋作事件に巻き込まれ町絵師に。

歌舞伎や浄瑠璃の世界を描いた芝居絵から伝わるのは気迫と退廃。

役者の指先にまで緊張感がみなぎるしっかりとした描線や、
背後の風景、花鳥風月からは、初期の狩野派の水墨画に通じるような品格が、
そして同時に、幕末に流行した鉱物を含む毒々しい色の顔料、猪首猫背の体型からは
後期江戸の典型的サブカル趣味が見てとれます。


土佐の幕末といえば、
龍馬、以蔵、半平太…、
厳しい身分制から締め付けの強い藩のイメージが強いのですが、
なぜこれほどまでに多くの芝居絵が描かれたのかというと、
お祭りの際に上演されてきた歌舞伎が御禁制になったからとのこと。
ならばせめてもの代わりに芝居絵を、ということだったようです。

それまで生身の舞台であったのが、映画どころか写真で我慢しなと言われ、
納得できるものではないのが人情、
ライブに負けないぞという気骨とサービス精神で描かれたのが土佐の芝居絵だったのでしょうか。


毎年夏には各地で祭礼に合わせ芝居絵屏風の展示が。
今年こそ…と思いつつ、暑さに負けて出かけるのがついついおっくうになってしまっていたのですが、
11月29日付けの新聞で、高知県立美術館での大規模な企画展(12月16日まで)の紹介記事を見て、
とるものもとりあえず…といった感じで旅行の手配を致しました。

初日に回った赤岡町の絵金蔵ではVTRやレプリカを見ながら絵金についてのおおまかなところを学習し、
二日目の香美市美術館、高知県立美術館では沢山の作品を鑑賞することが。
県立美術館では神社の絵馬台が再現されており、
人々の期待に応えての(これでもかの迫力だけぢゃなく、ちょっと下品だったりエロかったりする)制作だったということが推し量れます。
(絵巻物の昔から伝わる日本人のマンガやアニメ好き遺伝子の存在を感じずにもいられなかったワ)

初期の水墨画風の絵や、
「笑い絵」と呼ばれるエロい絵(扇情的なものではなく下ネタ的なのw)も展示されており、
力量はもとより、雅から俗まで―キャパの大きさが伝わる展示でございました。

(トップ画像はランチをいただいた高知市内の割烹旅館臨水)