面白さとの距離感

面白いことをやろうとすればするほど面白くなくなる。
面白さを企めば企むほど、現れてくるのは面白さではなく企みの部分である。
そういう裏の企みが見えるほど、見てる側は冷める。
自分が感じていた純粋な面白さが、一気にただのゴミのように見えてくる。
面白さはそれが何者なのかよくわからないくらいが丁度いい。

面白くありたければ面白さを考えちゃいけない。
いたって普通に、平凡に、そのまま出さなければならない。
何も装わず出せたとき、それがスタートとなる。
何かを出せば、何かしらが返ってくる。
時にはそれがものすごく弱いもんだから、わかりづらい時もある。
返ってこない時もある。
でもそれは、何も返ってこないということが返ってきている。
この跳ね返りを、何も装わずに受け止めた時、それがスタートとなる。

面白さを考えるとき、面白いものではなく、逆につまらないもの・何もないものを見ないといけない。
面白さとは物体ではない、見えない動きだ。
つまらないものを違うところへ動かす、その行為が生み出す結果が面白さである。
面白さを求めるほど、面白さからは離れていく。

「面白くなくていいじゃん」
こんくらい力抜けている方が、面白さの動きがよく見えるのである。

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