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そこから見える「私」は、どんな風に映っているか。

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目の前に広がる溢れんばかりの自然。

作業を終え、皆で見た夕焼けと虹。

目に映るものが凄く新鮮に思えた。

何より、心が救われた気がする、人と話すこと、体を動かすこと、食物の有り難さ、気づくことが出来た。

話す中で、気づかれされたこと。自分は表現を追い求めているんだいうこと。(表現の仕方については主にきょうちゃんと語り合った)あいちゃんからは平和のいろんな在り方――戦争の被害者と加害者、一度は争いあった者同士が助け合って生きている姿――を教わった。
農作業・夜のミーティング・共同生活・・・3日間という短い時間だからこそ、強く心に刻み込まれている。

短い時間の中で、気付かされたことはたくさんあった。私には大切なものが多すぎて、ただ感動してしまう。こんな考えを持っている人がいるんだ、と。
相手の話からいろいろと気持ちを膨らませてしまうのが自分の癖。心の「対話」と形容するのが相応しい、そのかけがえのない時間に、私の気持ちはさらに膨らんでいった。

「いい人」という表現の仕方。そこで出逢った仲間を表現するため、私が使っていた言葉だ。これも話していて気づいたことだけど、自分の思っている言葉の意味を的確に表現できていない、と気づかされた。「いい人」とだけ言うと、とても軽々しい表現に感じられたのだ。
他人行儀的な意味ではなくて、心から好きだと思える雰囲気をもっている人・・・自分の中での「いい人」の解釈はそのイメージ。雰囲気のいい人、といった方が腑に落ちるかもしれない。
細かいことだけれど、私にとっては重要なことで、新潟での時間はそんな小さな気づきをも与えてくれた。

正直、キャンプに参加する前は、ふさぎこんでいる時間があった。人と会うことが怖い、と感じていた。何故、怖いという感情が出てくるのか。
それは、キャンプに訪れるアクティブな人たちを前にして、自分の持つ嫌の部分がさらに浮き彫りになるのが怖かったんだと思う。
そうはいっても、普通に出社はするし、傍目からではわからないようなものだと思うけれど。それでも、この人たちと関わりたい、という想いだけはあったから、この機会を逃したら自分はきっと後悔するんだ、と半ば言いきかせるかたちで参加を決めた。

そんな気持ちだったにも関わらず、ここには自分を受け入れてくれる空間がある、そう思えた。それと同時に、こんなにも素敵な考えをもっている人が目の前にいる、話したい、もっと近づきたい、そんな欲求が強くなっていくのを感じた。

皆それぞれいろんなこと考えて、それぞれ気付きを得て日常に戻っていくんだなぁ。楽しそうに振る舞っているこの人は、実は寂しがり屋なんじゃないかなとか、そんなことも考えたりして。とにかく、ここにいる人たちに不思議な信頼を寄せていた。心から好きだと思えた。

キャンプが終わり、帰りの高速バスの中で、夜のキッチンで話したこと、挙がったキーワードをぽつぽつと、ただひたすら書き出した。頭の中が少しずつ整理されていくのを感じると共に、今の会社を離れて新しいコミュニティ――内観の、会話を重視する生活したい――と改めて気づいてしまった。今のコミュニティでもっと深い関係を築いていければ、こんな風に考えることも少なかったのかもしれない。
自分の役割についても疑問を感じ、また、自分で自分を苦しめて心に余裕がなくなっていることに気付いた今、「離れる」というのも一つの手段なのでは、と思えた。言い訳のようではあるけれど。

なんだか書いていて凄く客観的に聞こえてくる。人生の主役は自分、とかいうどこかで聴いたような言葉が脳裏に浮かんだが、その時の自分は専ら、主役というよりも、ナレーターといった感じだった。

 新潟での生活を終えて数日後、当月いっぱいでの退職が決まった(キャンプ前から退職の話は上司としていたのだが)。自然や仲間との対話でパワーを頂いたことで気持ちはかなり軽くなっていた。しかし、キャンプ中に自分なりに心の声に耳を傾け、それを発信してきたため、この場所(会社)で自分を偽るようには生きていけないと感じてしまっていた。自分のもつ社会に対する甘さだとは薄々感じてはいたけれど。

 広告代理店で私は、某食品会社への営業を担当していた。商売をする上で、価格の高騰や内容量の変更、様々な改訂が行われることは食品に限らずあると思う。しかし、新潟において実際に目で見て、この手で収穫した作物たちに対して愛着を感じずにはいられなかった。
美味しいものを作っている、それを伝えることが、生産者と消費者を繋ぐ、私の関わってきた仕事の醍醐味なのだろう。

それにしても、皆で掘ったさつま芋はびっくりするくらい甘かった。そして、一本の稲穂から収穫できる米の少なさにも驚かされた。自分の目で見て感じた事実に、改めて感謝の気持ちを持つことが出来たと思う。

Facebook上で、3日間生活をを共にした仲間たちが、新潟でのそれぞれの想いを記している。目を通すと、キャンプ中に皆と交わした言葉と、自分が抱いている勝手な想いが相まって、なんともいえない気持ちになった。それぞれの想いに深く共感したり、考えさせられたり、様々。人と人が理解するのって、すごく難しく考えているだけで、実は余計な言葉はいらないんだろうなぁと思ったり。人は自然と何かを考えてしまう生き物だから、そりゃあ「この人にこのことを伝えたい」とか「私のこの気持ちをわかってほしい」といった欲求が出てくるのは仕方ない。
だけど、汗水流して共に時間を過ごしたり、美味しいご飯を一緒に食べるだけで、こんなに心の距離は縮まるんだ、と感じさせられた。

 ここで出逢った大切な仲間・想いを、ここで終わりにしたくない。新潟の自然に、施設の方々に、出逢ってくれた仲間たちに、感謝の気持ちを伝えたい。本当に、ありがとう。

そして、今ここにいる私は、未来の自分からはどのように映るのだろうか。

未来に恥じない生き方を見つけたい、そう思っている。

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2014年10月11-13日
新潟にて、+最近思ったことを徒然と。

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