ギャンブラーと確率、確率と統計、勝ち組と負け組
賽子の出目に始まりスポーツの勝敗やカードの合計、果ては生死を賭けたロシアンルーレットに至るまで、人間は様々な事象を太古の昔より賭けの対象にしてきました。
ギャンブルは確率のゲームです。
確率は予測の指標であり、結果の集合が統計となります。
あとに残されるものは、勝ち組と負け組です。
そこに因果関係はあるのでしょうか。そして、人間の意志が介在する余地はあるのでしょうか。
この記事は、そんなお話です。
ギャンブラーと確率は不可分の関係
ギャンブラーを自負する方であれば、確率を気にかけない方はいないでしょう。
賽の目は1/6、ヨーロピアンルーレットのストレートアップベットは1/37、PGGは1/8192というのは、ギャンブラーの誰もが知るところです。
ゲームが変われば確率が変わり、ルールが変われば確率が変わります。
私自身、確率信仰者の一人として、愛好するギャンブルにおける最適手順を一から計算して確認したことがあります。
その作業を通して得たものは約束された勝利では決してなく、あの選択は間違っていなかったと自分を慰めるための言い訳だけに過ぎません。
しかしギャンブルを愛しギャンブルに生きる者にとって、確率とはそれほどまでに神聖不可侵な存在であるという主張に対し、反論できる方はいるのでしょうか。
確率は未来の予測、統計は過去の結果
勝てる勝負で勝てない、敗色濃厚の勝負で逆転勝利。
確率とは理不尽なもので、数少ない試行回数ではその通りに収まらないことが当たり前の世界です。
複数の結果を集めて整理したものが統計であり、母数が膨大となればなるほど総数の平均値=統計結果は理論値に近づいていきます。
半丁博打の勝率は1/2です。100回勝負なら50回の勝利が期待できます。
しかし100万人が100回ずつ張ったとき、全員が全員50勝で終わらないことは想像に難くありません。
30勝の者も居れば、70勝の者も居るでしょう。
ここには延べ10億回分の結果が残りましたが、統計上の勝率は概ね1/2に近い数字に落ち着くはずです(面倒なのでシミュレートデータは用意しません)。
子は半丁を選べても、勝率は操作できません。しかし勝率さえも、100回という一人一人の少ない母数のもとでは理想と大きく乖離します。
果たしてそこに、勝ち組と負け組が生まれました。
勝ち組と負け組を分かつもの
同じ博打を打っているのに、結果が大きく違う二人がいます。
彼らの間に存在するものとは、彼らを隔てる要因となったものとは、いったい何だったのでしょうか。
私はギャンブルを考えるとき、ギャンブルに向かうとき、いつもこのような問いが脳裏をよぎります。
答えはいまだに出ないままです。
運と言ってしまえばそれまでですが、運というのも結果の理由付けのような気がして納得に至りません。
ちなみにこの話は表計算ソフトのランダム関数によって試行したデータが基となっているため、そこに人間の意志は存在しません。
あるのは勝ち組のサンプル、負け組のサンプルだけです。
有象無象のサンプルの海に放り込まれたとき、あなたは自分の勘と腕と経験によって、ふたたび勝ち組として帰ってこれる自信はあるでしょうか。
勝つための努力、勝つための試行錯誤は尊いものです。
しかしこれらのサンプルのことを考えたとき、私はいつも、その努力が徒労に終わるのではないかとの不安に駆られるのです。
人の命に限りがある以上、試行回数は有限です。
有限である以上、勝ち組と負け組は存在し続けるでしょう。
そこに因果関係はあるのでしょうか。そして、人間の意志が介在する余地はあるのでしょうか。
ではまた、次回があれば。
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